前田まさおは、かく語りき | ナノ


  番外〜恋柱邸、客間にて〜


「うーん…。こっち…いやこっちか…?」

その一室からはもう長い時間、呪詛のような唸り声が響き続けていた。

「なまえちゃん!そろそろクッキーの焼き加加減がいいかんじだったわよ!……って、…あら?」

屋敷中に充満する甘いお菓子の匂いにお腹を鳴らしながらも元気に襖を開けた甘露寺蜜璃が首を傾げる。その少女に与えた部屋の中が惨憺たる光景になっていたからだ。
恐らくそう持ち物が多い方ではないはずなのに、畳の上に散らばった、服、服、服。髪留めや簪等もその中には紛れていて、もはや足の踏み場もないほどだった。

「蜜璃せんせぇ〜!!どうしましょう〜!!」

少女、みょうじなまえが半ベソをかきながら蜜璃にしがみつく。すがられた蜜璃は「あらあらどうしちゃったのかしら?」となまえの頭を撫でた。
そしてなまえは後ろの惨状を指差しながら、言う。

「服がっ!服が決まらないんです、先生ぇ!」


++


「なるほど?つまりなまえちゃんは、善逸君に一番可愛いと思ってもらえる服がどれなのか、決めかねていたのね?」

台所へとその居場所を変え、なまえから話を聞いた蜜璃が卵を握りながら応えた。なまえは腕に抱えたパンケーキの生地を一生懸命に混ぜながら、くすん、と鼻を鳴らす。

「はい…。思えば私、善逸の好きな女の子の傾向をぜんっぜん知らなかったんです。相手が女の子なら大体鼻の下伸ばしてるし、お淑やかなのが好きなのか、それともやっぱり大胆に行くべきなのか、全く検討がつかなくて…」

「好きな食べ物ならわかるのに…」と悔しそうに呟きつつ、蜜璃が割り入れた卵を生地に馴染ませるよう、なまえはさらに混ぜ続ける。丈の短い隊服をあんなに気に入らなさそうにしていたから、お淑やかなのが好みかな?いやいや、私以外のそれは鼻をふんふん鳴らしながら見てるもん、違うよね、…と悩みを深めながら。
しかしなまえの悩みを聞いた蜜璃は途端に顔を輝かせた。少し、ほんの少し力を入れすぎて握りつぶしてしまった卵にまみれた手を付近で拭きつつ、ニッコリ笑ってみせる。

「それならなまえちゃん、簡単な解決方法があるわっ」
「簡単な…?」
「そうよ!今日は一日お屋敷にいるんでしょう?だったら、何度だってお着替えしたらいいのよ!」

目から鱗が落ちた気分だった。生地を混ぜる手も思わず止まり、ポカンと口を開けて蜜璃を見上げる。

「だって今日は『二人きりになって善逸君と思いっきりラブラブしちゃおう大作戦!ついでに甘い手作りお菓子で胃袋も掴んじゃうぞー!』の日、なんでしょう?それなら色んななまえちゃんを見せて、めろめろにしちゃいましょう!善逸君、絶対に喜んでくれるわっ」
「せ、せんせぇ〜!!天才ですかぁ〜!?」
「エッ!?て、天才かはわからないけれど、私は恋する乙女の味方よ!」

蜜璃はそう言って、「パンケーキは私が焼いておくから、早速着替えてきたらどうかしら?色々な組み合わせを決めないといけないし、時間が必要でしょう?」と、生地を優しく受け取った。なまえはそんな彼女にぎゅっと抱きつき、「ありがとうございます!先生!!」とお礼を告げてから自室へと戻っていく。そうして台所に一人残された蜜璃は、(なまえちゃんとっても可愛いわ〜!キュンキュンしちゃう!)と目一杯胸をときめかせながら、恋する少女の背中を見送るのだった。


+++


我妻善逸が甘露寺邸に到着したのは、昼を少し過ぎた頃のこと。小腹を空かせておいてねと事前になまえから言われていたため、思い切って昼食自体を抜いてきた。
善逸がこの屋敷に足を踏み入れるのは今日が初めてだ。お互い任務や稽古がある為予定の合う日がなかなか見つけられず、なまえが恋柱の継子になってから初訪問までに時間がかかってしまった。

「ご、ごめんくださぁ〜い?」

善逸がおずおずと、小さな声で挨拶しながら引き戸を開ける。途端に甘い匂いが全身を包み込んで、甘味に目がない彼は無意識にごくりと唾を飲み込んだ。

「善逸!いらっしゃい!あがってあがって?」
「ッッッぐふ、げふッ、!?」

喉を通って落ちていく筈だった唾液の一部が、驚きのあまり気管に入ってしまったらしい。善逸が大きくむせたことになまえの方もびっくりとして、足袋のまま玄関へと降り立ち、その背中をさする。

「ちょっ、善逸大丈夫!?」
「だっ、大丈夫だけど、なまえその格好…!?」
「あ。…えへへ。せっかくの逢引きだからおめかししてみたの。どうかな?」

善逸が早速身だしなみに触れてくれたことで途端に上機嫌になったなまえが、くるんと軽やかに一回転する。まずは基本の、和装から。白い生地は肩口から裾へ向かうにつれ桃色に染まり、そこへ模様として色とりどりの鞠と小花があしらわれた振袖だ。髪も耳の下で緩くまとめて、白い花飾りを添えてある。
善逸となまえはそれなりに長い期間一緒に過ごしてきたとはいえ、修行着か寝間着、隊服を着た姿くらいしか今まで見たことがなかった。それが突然愛らしい振袖を着て登場するものだから、善逸の心臓はバクバクと忙しなく音を立てた。喜びと、ときめきと、そして何より驚きで。

「…………」
「な、なにィッ?」

なまえが不意に顔を近づけ下からじーっと見上げてきたものだから、善逸は思わず一歩後退った。問うた声も裏返る。
そんな善逸をよそに何事かを考えながらしばらく善逸を観察していたなまえは「……ちがうな、」と一言だけ呟いて体を離した。そして、何が違うんだと善逸が思う前に背を向けて、玄関から続く廊下へと戻ってしまう。

「さっ、あがってあがってー!善逸に喜んでほしくて、甘いものたっくさん用意したんだよ!」
「えっ、ああ、うん…?」

なまえの行動の全てが唐突過ぎて、善逸の頭は全くついていけていなかった。けれど彼女が言った甘いものが沢山ある、という情報に、空っぽの腹は勝手にぐうと鳴る。結局善逸は深く考えることをやめ、なまえの後を追いかけて屋敷の中へと足を進めるのだった。

けれど。
それからも、善逸にとってみれば不可解としか形容できないなまえの奇行は続いた。最初は食卓いっぱいに並べられた西洋のお菓子たちに興奮し、舌鼓を打っていたのだが、八割がた食べ終える頃になるともう、善逸の頭の中は困惑でいっぱいになってしまっていた。なまえが少し食べ進めては席をたち、そしてそのたびに装いを変えて戻ってくるからだ。
振袖とはまた違う町娘のような着物姿に始まり、その上からふりふりとした前掛けをつけて喫茶店の店員風になってみたり、袴を着込んで女学生のようになってみたり。髪型も、服装に合わせて律儀に変えている。
さらに和装の次は洋装が始まり、その二着目である爽やかな檸檬色のわんぴぃすを着用したなまえがまた何事かに納得いかない顔をして部屋を出ていく。その背中を、善逸が最早ドン引きした様子で見送った少し後、隊服を着込んだ蜜璃が入れ替わるように顔を出した。

「なまえちゃーん!そろそろ見回りに行ってくるから、お屋敷のことはお願いねー!」
「あっ、甘露寺さん…」
「あら!善逸君こんにちはぁ!なまえちゃんは…お着替え中かしらっ?」
「え、そ、そうです…」

何故なまえが着替えの為に席を外していると、説明せずともわかったのか。いつもの善逸ならそこに気が付くところだが、今は別のものに意識が…目線がいって、それどころではなかった。
椅子に座った善逸のちょうど目の前に、うふふそうなのねーと嬉しそうに笑った蜜璃の、たわわに実ったふたつの乳房が現れる。思春期真っ只中の善逸に、見るなと言うのが無理な話だった。
そこに、今度は生成りの膝丈わんぴぃすに着替えたなまえが戻ってくる。なまえは「あれ、先生?」と蜜璃がいることに首を傾げた。

「あら〜!淡いお色も素敵よ〜!すごく似合ってるわ!」
「ありがとうございます!でも先生、どうなさったんですか?」
「見回りに行くから留守をお願いしようと思って!二人の時間を邪魔しちゃってごめんなさいね」
「いえ!わざわざありがとうございます!留守番はお任せください!先生用のお菓子も取り分けて、携帯できるようお台所に準備してありますよ」
「まあ!本当?ありがたく持って行かせてもらうわね」

思わず鼻が膨らみ血走った目が蜜璃の胸元を凝視してしまっていたのをなまえに気付かれないよう、善逸は必死で自制する。そんな彼の苦しみを知ってか知らでか、女性二人は軽やかに会話を交わし、やがて蜜璃は「じゃあ、いってきまーす!」と元気いっぱいに出かけていった。
蜜璃の背中を「いってらっしゃーい!」と見送って、振り返ったなまえはしかし、瞳にいっぱいの涙を浮かべていた。

「っ、なまえ、」
「やっぱりおっぱいなんじゃなーい!!!」

蜜璃に聞こえないようにだろう、遠くで戸の閉まる音が確かに聞こえてから、なまえは悔しさを爆発させるように叫んだ。善逸がぎょっとして立ち上がると、その羽織の裾を緩く握ってぼろぼろと涙をこぼし続ける。

「これで私の手持ちの服、全部終わっちゃうのに!何着ても善逸の反応あんまり変わらないし、善逸の好み全然わかんないままだし!挙句やっぱりおっぱい最強めろめろでしたー!なんて、ひどいよ!ひどすぎるよ!善逸のばか!エロハゲ親父!!」
「えろはげ…ッ!?」

衝撃的な悪口を受けて咄嗟に頭の天頂部分を掌で隠しながらも、善逸はようやっと全てを理解していた。今日、なまえが何度も着替え、その度に何事かを呟いていた理由。そんな彼女を蜜璃が微笑ましそうに見守っていた理由。それからやはり、蜜璃の胸部へ夢中になってしまっていたのになまえが気付いていないはずがなかったことも。
善逸は頭をガシガシと掻いてから、「…………はぁ〜〜〜」と深くため息をつく。そして震えるなまえの体をぎゅうと強く抱きしめた。途端に彼女が「な、なによ!変態!さわるな!」と騒ぎ立てるのも、気に留めず。

「お前はホント、お馬鹿さんだねえ」
「ば、馬鹿はぜんい…っ」
「いろんな服着て反応見てたんでしょうけど、俺の態度が変わらなかったのはねえ。なまえが何着ても全部可愛いからだよ。俺にとっては、なまえが何着てても変わんないの。お前自身が可愛すぎて仕方ないから、どんな格好しててもずっと世界で一番可愛いのよ」
「………え、は…………」

背中をぽんぽんとされながら、なまえは絶句した。善逸にこんなことを言われたのは初めてだ。頭の中で今言われたことを何度も繰り返して、体がどんどんと熱くなっていく。恥ずかしい。でも、嬉しい。

「俺の言いたいこと、わかった?」
「わ、わかった…」
「じゃー続き食べようぜー。せっかくの逢引きだってのにお前大体着替えてるんだもん、俺ほとんどずっと一人で食べてたんだけど?」
「う゛…、ごめんなさい…」

最後に優しく頭を撫でて、善逸がそっと離れていく。包まれていた体温がなくなるのが寂しくなって、なまえは椅子に座ろうとしているその背中をふらふらと追いかけた。そして、席につこうとしたら目の前になまえがいて驚いた勢いで腰を下ろした善逸の膝の上へ、自分ももそもそと横向きに腰掛けて。それから腕を、善逸の首にするりと回す。

「…なまえサン?」
「…じゃあ、さ。私がおっぱい出したらどうなるの。ずーっと可愛い私が先生みたいな格好してたら、善逸はどきどきしてくれる?」

至近距離。うるんだ瞳。見慣れない洋装。しっかりと釦で留められた、胸元。視線が勝手に滑り、善逸の喉がゴクリと鳴った。

「そりゃあ、どきどきというか、…鼻血止まらなくなって死んじゃう、かも…?」

「試してみよっか?」と、なまえは小さな指先を釦にかけて、にんまりとわらった。ぷち、ぷち、とひとつずつ外されていくそれから目を離せない。

善逸の鼻血が本当に噴き出すまで、あと3秒──…。

 

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