パン屋の息子とパン屋の娘 | ナノ

01 お手並み拝見フランスパン@


今日引っ越してきたこの街には、美味しいと評判のパン屋さんがあるらしい。
その名も竈門ベーカリー。スマホで調べたら☆5.0だったし、クチコミもパンから従業員に至るまで絶賛の嵐。自演か?とすら思うほどの、驚異の高評価っぷりだった。

だから私は潜入する。
この竈門ベーカリーとやらが、本当にこの街一番のパン屋さん足るのかを調べるために。
何故なら私には、そんじょそこらのパン屋に『この街を代表するパン屋です』面されては困る理由があるからだ。

新しい我が家となったお婆ちゃんの家は、古き良き和風建築といったかんじ。踏むとギシギシ鳴る急な階段をのぼった2階に自室をもらった。
古臭い畳の上に苦し紛れのカラフルな水玉模様のラグを敷いて、大きな家具はお気に入りのベッドと勉強机くらい。
それでも6畳の部屋は既に手狭な感じがして、空いたスペースに積まれた引っ越し屋さんの段ボールまであるとなれば、もともとそんなに面倒くさがりというわけではない私でも、あまりの煩雑さにうんざりとしてしまう。
…よし。片づけはおいおいやっていこう。今日はとりあえず寝れたらいいよね。
早々に整理を放棄した私はスマホと財布だけを肩掛けバッグに詰めて、極力静かに1階へ降りると、バレないように引き戸を開けてそぉっと家を抜け出した。

小走りで角を曲がって家が見えないところまで移動してから、スマホを取り出してマップアプリを立ち上げ『竈門ベーカリー』と入力する。
画面に表示された徒歩での所要予想時間は10分ほど。最短経路もそんなに複雑じゃない。
慣れない道なので一応スマホをこまめに確認しながらそこを目指して歩き始めた。

お婆ちゃんの家があるのは住宅街の一角で、竈門ベーカリーへ向かう道筋にも、たくさんの家々が建ち並んでいた。お婆ちゃん家みたいな古い住宅と、新築一戸建てが建ち並ぶ界隈とが混在している。そのチグハグさはまるで前に進まなきゃと思う気持ちと、思い出に縋り付いていたい気持ちが混在した今の私の心の中みたいだとちょっと思った。
人通りもそこそこ多くて、賑やかな印象を受ける。でも煩いとかじゃなくて、ご近所さん同士の会話や、子供たちの笑い声が響いているような、あったかいかんじ。

スマホが示した到着予定時刻通り10分と少し歩いた辺りで、画面に映し出されているのとまったく同じの店構えが正面に見えてきた。隣には文房具屋さんや服屋さん等、ほかにも色々な個人商店が立ち並んでいる。地域密着型の商店街というやつか。

今日は調査に来たわけなので、入る前にまずは外観の確認から。お店の数メートル手前で立ち止まり、ふむ、と顎に手を当てて観察する。
見た目はごく普通の、街のパン屋さんといった感じだ。
「パ」と「ン」の間にデフォルメされたパンの絵が描かれていて素朴な印象を受けるが、特に評するところはない。古めの町並みに溶け込む庶民的な外観だなあと思った。

さてお次は、外から見た店内の印象を確かめたい。
足を進めようとしたちょうどその時、カラン、とベルの音を鳴らしながらドアが開いて、中から女の子が出てきた。
お客さんかな、どれくらい買ったんだろ。そう思う『つもりだった』。つまり、思えなかった。その子の様子が、あまりにも衝撃的すぎて。
たっぷりとした腰辺りまで長い黒髪を風になびかせるその女の子は、手ぶらだった。でも、咥えていた。パンを。その可愛らしい顔より大きな、フランスパンを。
ど、どういうことなんだ…!?お店から出るよりも先に思わずかぶりついてしまいたくなるような、そんな美味しいフランスパンだってこと!?
16年生きてきて初めて遭遇したその光景に、狼狽えることしかできない。
あわわわわ…と見守る私に、けれどその女の子は気付くことなく、なんてことない顔でトコトコ歩いて向こうの角を曲がって行った。

女の子の姿が見えなくなっても、呆気に取られたまましばらくぼーっとしてしまった。この通りを歩く私以外の人たちは、彼女を見ても何の反応も示していなかった。動揺しているのは、私だけ。
あれがこの街のスタンダードなのか…?混乱しつつも、ずっと立ちすくんでいるわけにもいかないので、気を取り直して、小走りでお店の前に進み出る。

そぉっと中の様子を伺おうとしたらなんと正面にレジがあって、窓越しに店員さんと目が合ってしまった。その店員の男の人は、ギクリ、と挙動不審な私の動きに少しだけキョトンとしたあと、すぐにニコッと人好きのする笑顔を浮かべた。
う…き、気まずい。もうちょっと見たらちゃんと中に入るから、あんまり見守らないでほしい。
気にしないようにしようとしても、ちらちらと目が合ってしまって店内観察に集中できない。…今日のところは私の負けだ。外から見た印象の調査はまたの機会ということにする。

仕方なくドアを押し開くと、先ほども鳴っていた爽やかなベルの音が頭上で響いた。中に足を踏み入れた途端に私を包み込む、大好きな大好きな焼きたてパンの香り。思わず、ぐ、と目頭に込み上げるものがあったけれど、それには気づかないふりをして涼しい顔で商品棚を見渡す。

家に持って帰ると外出の物的証拠が残ってママに怒られそうだし、どっかで食べて帰ろう。そう思いながら、三分の一にカットされたバゲットが透明な袋に入ったものをひとつトレイにのせて、レジへ向かった。ふむ。単身への心遣いはマル。断面が乾かないようにする工夫もマル。
ちなみにこれを選んだ理由は、ずばりあの女の子だ。この店のフランスパンが本当に思わずかぶりつきたくなるくらい美味しいのか試してみたくなったから。

近くで見た店員さんは、男の人というか、男の子かな。年齢は私とそんなに変わらなさそう。優しそうな笑顔に似合わず、花札の様な木製の大きなピアスをつけているのが印象的だった。額にはやけど跡のようなものもあって、隠れ不良か…?と内心身構える。

「初めて来てくれた方ですよね」
「あ、はい」

でも、警戒は不要だったと一瞬で分かった。店員さんの口から出てきた言葉は、それはもう表情そのままの優しい響きをしていたから。柔らかなひだまりの様な。なんとなく、この街とパン屋さんに合う声だなとも思った。
愛想もへったくれもなく返事する私のことも特に気にすることなく、にこやかに、かつ手際良く、バゲットを紙袋に入れてくれる。
提示されたお金を素早く支払ってそそくさと帰ろうとする私に、その店員さんはまたもや優しさいっぱいの声で見送りの言葉をかけてくれた。

「よかったら、また来てくださいね」
「はは、どうも〜」

適当に返す私の、我ながらなんと可愛げのないことか。仲良くなりに来たわけじゃないから別にいいんだけども。
店の前でまたマップを確認する。違うルートを通れば途中に小さな公園があるみたいだ。ここで食べよ、と早々に決めて、さっきとは違う方向へ足を向けた。
しばらく歩いてたどり着いたそこは、ぶらんこと滑り台、ベンチがあるくらいの、本当にこじんまりしたものだった。
まあベンチさえあれば問題ない。腰掛けて、早速パンの入った紙袋をピリリと開けた。

「いただきまーす」

まずは、一口。
外はカリカリ、中はしっとりもっちり。噛めば噛むほど小麦の甘みが口いっぱいに広がって、鼻から香りが抜けていく。それに、なんとなく心までポカポカしてくるような。優しさを感じる、そんなパン。

文句なしに美味しかった。
咥えて歩きたくなるほどの衝動はちょっと理解できないけど、買ったからには早く食べたいなと思ってしまう気持ちは、わかる。
まずは一口、なんかでは食べる手が止まらなくて、はむ、もふ、と、あっという間に完食してしまった。


…美味しいパンと、お店の優しい雰囲気に絆されてしまったのだろうか。
バゲットが入っていた袋を丸めながら、大きく膨らんでいた使命感も一緒にクシャクシャになっていくようで、何してんだ私…と急に自分がバカらしく思えてきてしまった。心に、目には見えない重いものがのしかかってくる感覚に襲われる。
何が、「そんじょそこらのパン屋に『この街を代表するパン屋です』面されては困る理由がある」だ。
だってもう、私は………。

…だめだ。これ以上は、だめ。
考えを払うように、ゆるゆると頭を振る。丸めた紙袋はしっかりゴミ箱に捨ててから公園を後にした。
帰路につく足取りは、意気揚々と弾んでいた往路と打って変わって、とぼとぼと頼りないものだった。

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