パン屋の息子とパン屋の娘 | ナノ

07 君だけのために焼くふわふわ食パンA


「二人仲良く並んでご帰宅とはいいご身分ですね!!おかえり!!!」

竈門ベーカリーのドアを開けると、泣きべそをかきながら眉を釣り上げた我妻善逸先輩の大声がいの一番に私たちを歓迎してくれた。店内にちらほらいた顔馴染みのお客さん達にもおかえりと言われ、少し恥ずかしく思いながらも言葉を返す。
やっぱりこのお店の空気はあったかい。そう実感して一瞬だけ忘れそうになったけど、我妻善逸先輩は何故かいつも竈門炭治郎がつけているエプロンをして、カウンターの中でレジと向かい合っていた。

「す、すまない善逸…。さっきは最悪の事態ばかりが浮かんで、本当にすごく焦ってしまっていて…」
「ああそうでしょうね!?聞いてくれよなまえちゃん!炭治郎ってばさ、『もし本当になまえが店に来なくなってしまったら俺は耐えられそうにない!お母さんに直談判してくる!!』…ってだけ叫んで突然飛び出してくんだよ!?事情もよくわかんねえしさ。例えば喧嘩したってんならなまえちゃん本人に謝りにいくよね?そこ通り越してお母さんに直談判って何?コイツ何やらかしたの?」
「う…ええとまあ、私の家庭の事情で色々ありまして…」
「まあね!言いにくいことなら追求しませんけどもね!?だから唐突にそんな甘酸っぱい音させないで!胸が痛いわ!!」

音とか匂いとか、この人たちはよくわからないことをたまに言う。厨房手前の棚から自分用のエプロンを取り出して早速つけてから、手を洗いながら首をかしげた。「俺、なまえちゃんみたいに器用じゃないですから。そんな突然エプロンぽいってされてもさ、急に店番なんて出来ませんから」なんてぶつぶつ言いつつしっかり一時間ほどこなしているあたり、この先輩もなかなか要領のいい方だと思うんだけど。
同じく身支度を済ませて我妻善逸先輩と交代した竈門炭治郎がカウンター内に立ち、私はお昼のピークで空になっていた幾つかのトレイを回収し始めた。解放された先輩はあー疲れた!!とイートインスペースに腰掛けて伸びをしている。
お店の中にいたお客さんが会計を済ませてちょうど私たちの他に誰もいなくなったタイミングを見計らい、我妻善逸先輩がテーブルに頬杖をつきながら話の続きを始めた。

「ほんで?その直談判ってのは上手くいったのかよ?上手くいったから今ここになまえちゃんがいるんでしょうけども」
「ああ!俺にとってなまえがどれくらい大きな存在か、なまえのお母さんにもわかってもらえたと思う!」

『大きな存在』って…。家でも思ったけど、たかが使い勝手のいいクラスメイト相手にやっぱり大袈裟すぎないか。質問した先輩まで「…ほんとにコイツなまえちゃんの家まで何しにいってたの?結婚の挨拶かなんか?」とドン引きしている。でも、竈門炭治郎の表現方法がおかしいことには私も全面的に同意するんだけど、我妻善逸先輩のそれは如何せんタイミングがまずかった。

「結婚!?」

たまたまちょうど奥から出てくるところだった花子ちゃんが、目を丸々とさせて頬を染めながら弾んだ声で叫んだ。まずい、彼女は何かとんでもない誤解をしている。慌ててそれを否定しようとしたけれど、何もかもが既に遅すぎた。元気いっぱいの竈門ブラザーズが次々に奥からお店へ駆け込んでくる。

「なになにどうしたの?」
「お兄ちゃん、なまえちゃんのお母さんに結婚のアイサツしたんだって!」
「ええ!兄ちゃん、なまえちゃんと結婚するのかよ!?」
「こぉーら。お兄ちゃん達を困らせないの」

茂くん、花子ちゃん、竹雄くん。三人がキャアキャアと騒ぎ始めたその後ろから、今日はフランスパンを咥えていない禰豆子ちゃんまで、キョトンとしている六太くんを抱っこして顔を出す。カウンター内はもう竈門家だらけでギチギチの大パニック状態だ。

「ごめんね。みんな暇そうにしてたから公園にでも連れて行こうと思ったんだけど、その前になまえちゃん達と話していくって聞かなくて…」
「ねえ!お兄ちゃんたち結婚するの!?本当に!?」

中でも花子ちゃんは流石女の子というか、こういう話題が好きらしく、禰豆子ちゃんの優しいお小言も気に留めず竈門炭治郎へぐいぐい詰め寄っていく。でもそれは、そもそも切り取るべき部分が間違っているというか、事実無根の勘違いというか。竈門炭治郎が花子ちゃんの目線に合わせてしゃがみ込んだので、誤解を解いてくれるのだと私はほっと胸を撫で下ろしたのだけど。

「いいか花子、結婚もそのご挨拶も“当分先”の話だ。俺もなまえもまだ高校生だし、それに…」

口をつぐんだ竈門炭治郎が、予想外の台詞で呆気に取られる私を見上げて、つられた竈門ブラザーズの視線も一気に私へ注がれた。イートインスペースの方からも、我妻善逸先輩の怨念混じりのそれがビシビシ伝わってくる。
『当分先』、この男は今確かにそう言った。全面的に否定するのではなく、今このタイミングではないのだと、どうやらそういう方向性らしい。私は特別察しがいいというわけではないけれど、悪い方でもないと思う。それに込められたものに気付いてしまったかもしれなくて、耳から心臓が飛び出してしまいそうなくらいドクンドクンと鼓動が響いた。まさか竈門炭治郎も、私と同じ気持ち、なのか。

これまで私は自分のことに精一杯だったし、ましてやそんな空気や展開になったことなんてこの一ヶ月で一度もない。そもそも出会ってからまだ日が浅い上に、決定的なことを言われたりもしていない。でも、『それに…』に続く言葉が、もし私が今考えているように『まだ交際も始められていないのに』と、そういった類の言葉だとしたら。

『わたし、将来結婚する人は、パパみたいに美味しくてあったかいパンを作れる人がいい!』
まだ幼かったあの頃、自分で言ったそれが不意に頭に浮かんできた。

「…私、朝は食パン派なの。結婚するなら、とーっても美味しい食パンを焼ける素敵なパン職人さんじゃないと嫌なんですけど」

手にしていたトレイを抱きしめながらプイと真っ赤になっているだろう顔を背けてそう言えば、全員そっくりのまんまるの目がみんな揃って輝いた。

「お兄ちゃん、焼けるよ!美味しいパン、たくさん作れるよ!」
「食パンもすごく美味しいってみんな言ってくれてるもんね?なまえちゃんも食べてみてよ!絶対おいしいから!」

カウンターから飛び出してきた花子ちゃんと茂くんがワアワアと抱きついてくる。禰豆子ちゃんは竹雄くんと顔を見合わせて笑っていて、立ち上がった竈門炭治郎は私に負けず劣らず赤く染まった頬を幸せそうに緩めた。

「なまえのためなら、いつだって、何斤だって焼くぞ!」

ねえパパ。私、たくさん時間はかかっちゃったけど、やっと前に進めそうだよ。それは全部、この竈門炭治郎って男の子のおかげなの。意地っ張りな私には、この人みたいに真っ直ぐなくらいがちょうどいいかなって思うんだけど、どう?ずっと仲良しだったママとパパみたいに、私たちもなれるかな?

みんなお揃いで何か嬉しいことでもあったの?と、店内の賑わいを見たお客さん達がまた次々来店してきた。下の子達は仕事の邪魔にならないよう慌ててお店を出て行って、私と竈門炭治郎もそそくさと業務に戻る。我妻善逸先輩は魂が抜けてしまったみたいな顔をして、ふらふらと禰豆子ちゃん達の後について行った。
夕方のピークに向けて洗浄済みのトレイやトングを取りに厨房へ入ろうとしたら、お会計のお客さんが途切れた隙を見計らった竈門炭治郎に腕を掴んで引き留められた。それから、驚く間も無く耳打ちをされる。カラン、とあの耳飾りの揺れる音。顔が近づくと必ず聞こえる、音。一言だけ告げられ、お互いすぐに離れて何事もなかったかのように装いながらも、私も竈門炭治郎も赤くなった顔だけは隠しきれていなかった。

「後で改めて言いたいことがあるんだ。閉店したら、二人で少し話をしないか?」

結婚の挨拶とはいわないまでも、お付き合いを始めた報告に行くのは、そう遠い未来の話じゃないかもね、パパ?

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