はちみつホリック | ナノ

駅を挟んで向こう側の学校に所謂『学園のマドンナ』的存在がいるというのは小耳に挟んで知っていた。
噂を耳にした時にはなんつー羨ましい話だよと嫉妬で奥歯を噛み締めたけど、よく考えたら俺が通うキメツ学園にも学園三大美女がいるし、どこの学校にもそういう存在は案外いるものなのかもしれない。
いつかその姿を拝んでみたい、さぞ可憐な美少女なんだろうな…と、妄想を膨らませつつも、直接確認しに行ったことはなかった。街でそれらしき女の子を見かけたこともない。

放課後の委員会会議にてまたもや理不尽な理由で冨オェェ…からの一撃をくらい伸びていたせいで学校を出るのがめちゃくちゃ遅くなっていた。
早く帰らないとじいちゃんが心配するし兄貴にはカスクズノロマと罵られてしまう。まあそれも心配の裏返しなんだけど。俺には音でわかっちゃうからね。

いつもひとけのない公園の中を突っ切って近道しようと足を踏み入れたら、隅に設置されているベンチで仲睦まじく話をしている男女がちらりと目に入った。自慢じゃないけどそういうの見つけるの早いんだよ俺は。

「映画良かったね。なまえちゃん、楽しんでもらえた?」
「うん。とってもおもしろかった」
「気に入ってもらえてよかったよ!この後はどうする?」
「お腹すいたからごはん食べたいかなあ」
「わかった!この辺で美味しい店は、そうだなあ…」

おなじ高校生なのに俺と違ってイチャイチャイチャイチャしていいご身分ですね!!こんなほとんど誰も来ないようなとこに二人きりで、一体何してたんですかね!?とイライラしながらできるだけ素早く通り過ぎようとしたけど、聞こえてきた音に、その男女の目の前で思わず足が止まってしまった。

『それ』特有の重い音。
もう随分昔になった記憶の中で聞いたことがある。どんなに時が経ったとしても聞き間違えるはずがない、──鬼、の音。

「っひ、お、鬼ぃ…っ!?」

思わず口から悲鳴が漏れてしまう。
つい先程まで仲睦まじく会話をしていた男女が俺を見上げた。男の方はなんだこいつと訝しげな様子だったけど、女の子の方は不気味なほど無感情な瞳で俺を見つめていた。

「──、ごめんなさい。わたし急用ができちゃった」
「え?どうしたの突然」
「だからこれで『おしまい』。…また、あしたね?」
「…わかった。また明日」

一言で表現すると、清楚。そんな女の子は俺から1ミリも視線を外さない。
そのままの状態で唐突に用ができたと告げられた男は戸惑っていたようだったけど、女の子がおしまいだと言った瞬間に突然異常なくらい物分かりが良くなって、それどころかふらふら…とこの場を去っていってしまった。
俺は、ガタガタガタガタガタガタと震えが止まらない。なんでこんなとこに鬼が居んだよ!?

学園にも…自宅にも。俺の周辺には恐らく『前世』と呼ぶべき記憶の中で鬼だった人間がそれなりにいる。でも今はそう、『人間』だ。音だって他の人たちと何ら変わらない。
鬼を討伐する側として仲間だった人たちの中には何人か俺みたいに記憶を継いでいる奴もいるけど、鬼だった人たちはどうやら全員その時の記憶を持ち合わせていないみたいだった。
そのおかげで元鬼の人たちも今は幸せに暮らせているみたいだし、神様もこういうとこでは優しいんだな、でも俺に可愛い彼女を与えてくれないのは許さん、…と、思っていたんだけど。

この子が発しているのは正真正銘、鬼の音だ。
しかもこの様子を見るに、鬼だという自覚が、ある。

「あなた、わたしのこと知ってるんだね」
「あひっ、知ってるっていうか、なんていうか、」
「…あ、思い出した。その金色の髪。わたしのこと殺しにきた鬼狩りさんでしょう」
「っえ…」

ベンチに座ったままの女の子は、無感情な瞳で俺を見据えたままニコニコと笑っていた。
対して俺はガクガク震えながら、何のことだ、と必死で記憶を遡る。
そしたらすぐに思い出した。
この軋むような不協和音には聞き覚えがある。
なまえちゃんというらしい目の前の女の子と同じ名の、少女鬼の音。
村中の人間を自分の虜にして意のままに操っていた鬼。

あの時は確か10歳の女の子だったのに大きくなったなあ。成長していたらこんな美人さんになってたんだなあもったいない。
体は恐怖で震えが止まらないのに、怖さが限界突破しておかしくなってしまっているのか、頭の中ではそんな呑気なことを考えていた。

「今のわたしは殆ど普通の人間だから人を食べたりしないよ。安心して、そんなに怖がらないで?」
「え、あ、そ、そっそうなの?」
「だけどお兄さんはわたしが『何』か気付いちゃったからちょっと面倒だなあ。だから今度こそ、わたしのこと好きになってくれる?」
「ッヒイイイイイイイイィィィ!?」

人を食べないと聞いて少し安心したのも束の間、なまえちゃんが暗い笑みを深くする。
やっぱりこうなりますよねえええ!?既視感すごい!!イィヤアアアアアア!!!今の俺は呼吸も使えない、日輪刀だって持ってない、普通の高校生なんですけど!!??

ーー血鬼術・魅惑の抱擁

彼女からぶわりと放たれた見覚えのある桃色の霧をすんでのところで避けた。
でもこの霧、どうやら自動追尾型らしい。ちょっと、そんなの聞いてませんからね!!!
走り、転がり、なんとか避け続けたけど、今の俺は所詮ただの高校生。すぐに体力の限界がきて霧に捕まり、視界が桃色に染まった。

…でも、何も起きなかった。

「あ、あれえ…?」

意識は、はっきりしている。
多分だけどこの血鬼術にかかったら気を失って強制的になまえちゃんのことが好きになる、とかそういう類のやつだよね?
念のため彼女のことを思い浮かべてみても、可愛いなとは思うけどしゅきしゅきだいしゅきでしゅう!!!とまでは思わない。
おかしいとこないよね!?と必死に自分の身体を見回していたら、ベンチの方からなまえちゃんの小さく呟く声が聞こえた。

「なんで…?」

ふらり、と立ち上がる。
ずっと余裕そうにニコニコしていたのに、今では彼女がさっきまでの俺みたいにガクガク震えている。

「そうだっ、あなたはあの時も、わたしのこと好きになってくれなかった…!」

なまえちゃんは今にも泣き出しそうなくしゃくしゃの顔で俺を見ていた。
今さっき攻撃を仕掛けられた相手ではあるんだけど、それがどうしようもなくかわいそうに思えて胸が締め付けられる。俺は何も声をかけられず、見つめ返すことしかできなかった。

「…いやだ!やめて!そんな目でわたしを見ないで!!!」
「あっ!待っ!」

痛々しい叫びと共になまえちゃんが駆け出した。
勢いでローファーが脱げそうになって転びかけても、すぐに体勢を整えそのまま駆けていく。
一瞬遅れて俺もその背中を追い公園を飛び出したけど、右を見ても左を見ても彼女の姿はもう見えなかった。
とりあえず丸腰で鬼と出くわすなんて危機的状況は脱した。術がかからなかった理由はよくわからんけど。たまたま調子が悪い日だったのかもしれない。

ほおっと胸を撫で下ろして、術から逃げる時に投げ出していた鞄を回収しにまた公園へのろのろと戻る。
そこには誰もいなくなったベンチだけがぽつんと残っていて、俺は前世で崩れゆく彼女が見せた、あの絶望に満ちた最期の涙を思い出していた。


02 無意識の敗北

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