はちみつホリック | ナノ

世界中の人がわたしを愛してくれればいいのにと思っていた。

そうしたら衣食住と勉強道具を淡々と与え続けるだけの両親も、私に話しかけてくれるかもしれない。
学校の人達もわたしに気付いてグループに入れてくれるかもしれないし、わたしなんていないみたいに扱う親戚の人たちも少しは優しくしてくれるかもしれない。

誰もわたしのことなんて愛してくれない。見向きもしない。そんな世界は怖くて寂しくて、前なんて向けなかった。
ずっと下ばかり見ていたから、この世界に何があるのかなんて知らなかったし興味もないまま大きくなってしまった。
それでも、生きてさえいたらもしかしたら、わたしのことを愛してくれる人が、いつか。

そんなことを毎日考えていたからだろうか。
高校生になってすぐのこと。ある日突然、鬼だった頃の記憶と血鬼術が戻ってきた。
きっかけは、お父さんとお母さんが死んだこと。交通事故だったらしい。わたしは部屋にこもっていたからよくわからない。
とにかく二人の遺体を見た瞬間、急に力が湧いてきて。
神様が哀れんで、生きていく術をくれたのかな、と思った。

大人たちに術をかけたらとんとん拍子で話が進み、両親の遺したあの新築の綺麗な家で一人暮らしをできることになった。
学校でもクラスの人から順番に術をかけていって、影響範囲をどんどん広げていった。
特に素晴らしかったのは、その途中で『恋』というものを知ったこと。もらえる気持ちも、心の飴玉も、信じられないくらい甘くて美味しくなった。
だから、わたしは力を使う。みんながわたしのこと愛してくれて、とってもとっても幸せ。

でも、同じ失態は繰り返さない。
前世のわたしが討伐されてしまったのはきっと、もっともっとたくさん愛されたいと欲張ったことで、わたしの存在を鬼狩りたちに嗅ぎつけられてしまったから。
学校の人たちがわたしを愛してくれているだけで、もう充分。これ以上は望まず、わたしだけの幸せな世界に浸っていよう。

なのにあの鬼狩りは、ぜんいつは、どうしてかまたわたしの前に現れた。『鬼のわたし』をまた討伐してしまった。力がなくなって、わたしはまたひとりぼっちになったのだと思った。
でも、ちがった。みんながわたしに見向きもしなくなっても、ぜんいつだけは離れていかなかった。
わたしに、本当の恋というものを教えてくれた。それがわたしの心の中にもちゃんとあるということを教えてくれた。
手を繋いで歩く帰り道。ひとりぼっちだった頃の話をしたら、まるで赤ちゃんみたいにぼたぼたと泣いて心を痛めてくれたぜんいつを見て。
ああこの愛しいと想う気持ちが恋なんだと、心の底から実感した。



***



「本当に!!!申し訳なかった!!!!!」

水曜の放課後。ここになまえちゃんを連れてきてくれと指定された店で案内された半個室に足を踏み入れた瞬間、テーブルに頭を擦り付ける勢いで炭治郎が頭を下げていたものだから、俺となまえちゃんは思わず面食らってしまった。
その店は、カフェにしては珍しく席が一つ一つ壁で囲われていて、話に集中しやすいという理由で選ばれたそうだ。
とは言っても所詮は半個室。突然そんな大声を出すものだから店員さんが何事かと様子を伺いにきて、俺は慌てて何でもないで〜すと手を振って応えた。なまえちゃんはまだテーブルに頭を擦りつけ続ける炭治郎をきょとんと見ている。

「と、とりあえず顔上げろよ炭治郎、話にならねえから…」

既に席に着いて俺たちを待っていたのは、炭治郎としのぶさん。その向かいになまえちゃんと並んで座ると、炭治郎がやっと、どよんと曇った顔を上げた。

「こんにちは。なまえさん、とおっしゃるんですよね?私は胡蝶しのぶと申します。こちらは竈門炭治郎くん」
「みょうじなまえです」

しのぶさんは炭治郎とは対照的に普段と特に変わることなく微笑んでいた。
簡単な自己紹介が滞りなく終わったところでメソッと情けない顔をしている炭治郎が体ごとなまえちゃんの方を向く。

「あの時は鬼の匂いがして咄嗟にああなってしまったが、詳しく話も聞かずに男が寄ってたかって女性を囲んで威嚇して…怖かったろう…。本当にすまない…」
「だいじょうぶ。へいき」

優しさの塊である炭治郎はあの日の険悪なムードになった一幕をずっと後悔していたらしい。なまえちゃんが本当に気にしてなさそうに返事をしても、まだ申し訳なさげに下を向いている。
しのぶさんが場の空気を変えるようにパンッと両手を合わせた。

「さて!早速ですが本題に入りますね。善逸君から報告は受けていますが、炭治郎君、どうですか?」
「…はい。本当だと思います。彼女からはもう鬼の匂いはしません」

今日二人でここに呼ばれた理由は、なまえちゃんが本当に鬼の力を失い、ただの人間に戻ったのかを確認する為。炭治郎としのぶさんは『同窓会』から指名されてここへ来たんだそうだ。
炭治郎の言葉を受けて、しのぶさんがにこりと笑う。

「なるほど!では差し当たっての問題は解決ですね!良かったです!」
「…でもどうして突然、鬼の力が消えちゃったんだろう…。俺、結局何もできてないんですけど…」

ちらっとなまえちゃんの方を見ると、彼女も俺を見ていたらしく目が合った。「好きになってくれたんだから、何もしてなくはないよ」と恥ずかしげもなく真っ直ぐ言われてしまって、思わず顔が赤くなる。炭治郎も少し頬を染めて目を丸くしていた。
そんな俺たちを他所にしのぶさんはメニューを広げて見ながら「あくまで推測の域を出ませんが、」と切り出した。

「教えていただいた内容から導いた私の考えで良ければ、お話ししましょうか?」

流石は、しのぶさんだ。「お願いします」と言って、姿勢を正して身を乗り出す。するとしのぶさんの視線がすっとなまえちゃんに注がれた。

「なまえさん。貴女はもうずっと、飴玉を食べてらっしゃらなかったのでは?」

その響きは、質問というより確認。問われたなまえちゃんは驚いたように目をまん丸にさせ、少しだけ俺の方を伺ってからしのぶさんを見つめ、こくん、と頷いた。

「っええぇ!?食べてなかったの!?俺が見てないところでは好きにしてるって言ってたじゃない!?申し訳ないけど、てっきりバリボリ食べまくってると思ってたんだけど!?」
「…好きにしてたよ。食べたくてたまらない時もたくさんあったけど、食べたらぜんいつに嫌われちゃうかもと思ったら、どうしても食べられなかった。それだけ」

驚きでギャアギャア騒ぐ俺と対照的に、なまえちゃんは目を逸らしながらボソボソと恥ずかしそうに呟く。
俺に嫌われるかもしれないって、いやそんなことは絶対ないんだけども、それが理由だったなんてそんなの、そう思う時点で俺のこと好きだったって言ってるようなもんじゃない…!?自惚れですかねえ!?いやこんなの自惚れたくもなるわ!

「えっ…。い、いつから食べてなかったの…?」
「……飴玉食べなくて偉いって言われた辺りから」

念のため時期を確認して、昇天しそうになった。それ、めちゃくちゃ最初のほうじゃん!!たしか出会ってから一週間以内には言った気がするんだけど!?気まぐれで、って言ってたのに、実はそれからずっと食べてなかったってこと?そんなに初めの方から、俺に嫌われたくないって思ってくれてたの?

「これはあくまで推測に過ぎませんが。鬼は人を食べて栄養を得、力を高めていましたよね。今のなまえさんは人間ですからもちろん人を食べませんし、代わりに摂取していた人の心の結晶である飴玉が、その役割を果たしていたのではないでしょうか。つまり、鬼としての力の源だったということです」

どうしてもなまえちゃんの方を見つめてしまう俺と、俺から体ごと顔を背けて、これ以上はノーコメントですと全身で表現するなまえちゃん。
二人でぽわぽわとハートな空気を醸し出していても、しのぶさんは特に気にしていない様子で説明を続ける。
炭治郎はそんなしのぶさんを見ながら何やらハラハラしていたみたいなんだけど、なまえちゃんばかり見ていた俺は全然気付いてなかった。

「今のなまえさんは普通に食事をされますから、生きていく上での栄養はそちらで摂れます。飴玉を食べなかったことで鬼の力だけが補給されず、結果として消失してしまったのではないでしょうか」

ぽわぽわしつつも、しのぶさんの筋の通った説明になるほど…と納得したところで、なまえちゃんが、ん…と指を顎につけ、首を傾げる。

「でも、どうしてぜんいつにだけ術が効かなかったんだろう」
「ふむ…。まず『以前』の善逸君は意識を失うことによって本来の力を出すことができていたとのことなので、術の作用で自意識が閉じたことにより結果的に貴女の頸を切ることができたのでしょう。そして『今』については、この人には術が効かないかもと無意識に強く思ってしまったことで、うまく発動させられなかった可能性はあります」

あの絶望に染まった音を鳴らしながら塵になって消えていく間に、『我妻善逸は自分を好きになってくれない相手』だと無意識的に刻まれたということか。かわいそうで申し訳ないと思うけど、そのおかげで今は丸く収まってるんだから、よかったってことにしておこう。
ずっと不思議に思っていたことの落とし所を見つけてほ〜と感心していると、突然しのぶさんの微笑みが一段深くなってどことなく嫌な予感がしてくる。

「力の消失以上に不確かなお話しなのでこれに関しては何とも言えないですね。案外、善逸君はもともと恋多き少年なので、かかっていたのにその後も目移りし続けてわかりにくかったというだけかもしれません!」

ととと、突然何を言うんですかしのぶさん!?
炭治郎が、あちゃーと額に手を当てている。
ギギギ、と隣の彼女を確認すると、なまえちゃんは案の定ジト目で俺を見上げていた。

「恋多いの…?」
「むむむむむ昔の話ですよ!?今もこれからもそんなことないから!!なまえちゃん一筋ですから!!!」

ま、まさか俺たちが勝手にラブラブムードを振り撒き続けてるの、全然気にしてないように見えて内心めちゃくちゃキレ散らかしてたのか…?これはその仕返しということですか、しのぶさん。
勘弁してくれよおおと冷や汗をかいていたら一応は気が済んだらしいしのぶさんがいつもの優しげな微笑みに戻り、「ですが、」と逸れてしまった話を真面目な方向へ戻してくれたのでほっと胸を撫で下ろす。しのぶさんの真面目トーンに気を取られ、なまえちゃんのジト目も治まった。

「解明されていないことはあまりに多過ぎます。突然鬼の力が蘇ってしまった理由や、その変異、無気力化してしまった方々が既に心を喰われているにもかかわらず回復した理由…。今回は結果として全て丸くおさまったので幸いでしたが、栄養補給を怠ることで一種の飢餓状態に陥り暴走してしまっていた可能性も考えられます。今後のことを思えば、より深く探っておく必要があるというのが『同窓会』の総意です。もしなまえさんがよろしければ、お力添えをいただければありがたいのですが…?」
「わかった。わたしにできることなら」

なまえちゃんが悩む様子もなく二つ返事で了承したので、しのぶさんが少し驚いている。
でも俺は『同窓会』が彼女に何をする気でいたのかを知っていたから、慌てて立ち上がり、なまえちゃんを炭治郎たちから守るように腕を広げた。

「ちょ、ちょっと、なまえちゃんに酷いことするつもりじゃないでしょうね!?たまたま力が消えたから良かったけどさ、あんたら俺の説得が間に合わなかったら強制連行するって言ってたよね!?結局教えてくれなかったけど、連れてって何する気だったの!?拷問!?キエエエエ恐ろしいいいわあああ!!!」

両頬に手を当てて顔を真っ青に染め上げ叫ぶと、それとは対照的にしのぶさんの顔がキラキラーッと輝いた。

「そんなことするわけないじゃないですかー!」

………は?いやでもさ、めっちゃおどろおどろしい雰囲気でさ、「お連れした後は……、…。」って私にはとても言えませんって仕草してたじゃない?あの日の廊下でのやり取りは何だったわけ?

「鬼の力が消えたと報告は受けているとは言え、その確認に今はまだ子供に過ぎない私と炭治郎君を行かせるんですよ?なまえさんを無闇矢鱈と怖がらせたりしない、人畜無害な我々が選ばれたんです!」

確かに、しのぶさんは元柱とはいえまだ高校生。身分で選ぶなら宇髄先生がここにいるはずだ。しのぶさんの横でキョトンとしている炭治郎はいつぞやのなまえちゃんと違って本当に人畜無害の塊みたいな奴だし。しのぶさんは…ちょっと怪しいけど。

「勿論、あのまま力が消えていなければ、同行は願っていたと思います。でもそれはあくまで紳士的に行われる予定でしたし、お話をするのも密室などではなく透明性を確保できる方法で、という話になっていました。今のように、ね」

扉がなく、レースのカーテンが掛けられただけの入り口を指差す。た、た、確かに…。カラオケとか、もっと密室にできる場所もたくさんあったはず。
しのぶさんのあれは大げさに演技して俺に発破をかけたのか、ただただ俺の反応を見て楽しんでいたのか、真相は本人のみぞ知るってことで、あまり深堀しないでおこう…。知らないほうがいいこともある。
でもそれとこれとは話が別だ。なまえちゃんからしたらつい最近まで自分の敵といってもおかしくなかった人間たちの集いに顔を出すことになるわけだから。

「ほほほんとうに大丈夫…?怖かったら、無理しないでいいからね…?」
「大丈夫。今のわたしに何ができるかわからないけれど、頑張る。それでぜんいつの役に立てるなら」
「なまえちゃん…」

だめだ。素直になったなまえちゃんの破壊力は凄まじすぎる。真面目な話をしようとしても、気付けば伊之助みたいにほわほわしてしまう。

「あらあら!本当に仲がよろしいことで、羨ましい限りです」
「ああ!二人からはお互いを想いあってる匂いがする!」

炭治郎は心から祝福してくれてそうだけど、しのぶさんの真意は読めない。でもなまえちゃんを見るしのぶさんの目は優しいから、悪い感情を向けていないことだけは間違いないはず。

「これから私達ともそんなふうに仲良くしていただけたら嬉しいです。…さあっ!真面目な話をしたのでお腹が空いたんじゃないですか?宇髄先生から今日のためにたんまりお金をいただいてますので、何か食べましょう!」

…うん。『たんまり』という四文字が怖すぎるので、しのぶさんには一生逆らわないでおこう。怪しむのも、やめよう。



***



四人仲良くパンケーキを食べ、その日は解散となった。炭治郎としのぶさんと別れて、陽の落ちた繁華街をなまえちゃんの家へ向かって歩き始める。
なまえちゃんに今日の分のはちみつのど飴を渡すと、ちょうどじいちゃんにもらった大袋が空になった。
何日かすれ違いの日々はあったけど毎日ひとつずつ渡すのがすっかり恒例となっていたから、これが空になるくらい一緒にいたんだな…としみじみしてしまう。明日からの分も、あとで買いに行っとかないとなあ。

「どうだった?二人とも、怖くないでしょ?」
「うん。でも最初からわかってたよ。ぜんいつの知り合いなら、悪い人はいないだろうなって」

絶対的な信頼を寄せてくれるなまえちゃんに感動しつつ、冨岡先生には絶対会わせないようにするぞと心に誓う。悪い人じゃないけどさ、不純異性交遊は禁止だ!!とか言って突然殴りかかってきてもおかしくないし。
そんな決意を秘める俺を他所に、なまえちゃんは飴の袋を開けながら何かしらをうーん、と考えているみたいで。

「どしたの…?」
「血鬼術が使えなくなったことは何とも思ってないけど、ぜんいつが『どんな味』なのか、前世でも今世でも味わえなかったのが心残りといえば心残りかも、なんて」

飴を放り込んだ口をモゴモゴと動かしているなまえちゃんの横で、やっぱこの子色々ずれてんな…と頬が引き攣った。と同時に、俺の味、俺の味といえば…?と、健全な男子高校生的思いつきが頭の中をぐるぐるし始める。

ちょうど繁華街を抜けて、住宅街に差し掛かったところ。もうすでに暗いので、いつものような人通りはない。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
平和そうな顔でぽやっとしているなまえちゃんの手を掴んで立ち止まると、驚いたように俺を見上げその足も止まった。
一歩、近づいて、小さな両肩にそっと手を添える。

「代わりと言っては何ですが、」

ちゅ、と軽いリップ音が鳴って、見開かれた瞳がすぐ目の前で、あの飴玉のようにきらりと輝いた。

「…こんなんでどう、っすかね」

驚きに染まった顔が、一瞬で満面の笑みに変わる。
想い想われる大切な女の子との初めてのキスは、病みつきになってしまいそうなくらい甘い蜂蜜の味がした。


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