はちみつホリック | ナノ

日曜日も、土曜と同じく何もできないまま終わってしまった。
だから月曜日の今日が勝負だ。火曜のタイムリミットを過ぎてしまったら、無理矢理捕まえてでも『同窓会』に連行するらしい。そこで彼女が何をされるかは、誰も教えてくれなかった。

俺が教室を飛び出したのは委員長の号令より早いくらいだったかもしれない。本当は学校も休みたいくらいだったんだけど、じいちゃんに心配や迷惑はかけたくなかったから。
走って走って走って最短記録を大幅に更新したおかげで、俺を避けるためかおそらく一番乗りで学校を出てきたなまえちゃんとちょうど校門のところで鉢合わせることができた。
けれどなまえちゃんは俺を無視して帰ろうとする。視界にすら入れてくれない。今までは全然本気で嫌がってなかったんだな、とこんな形で知ることになった。それでも負けるわけにはいかない。

「なまえちゃん!LIME見てくれた?違うんだよ、誤解なんだよ、あれは…」
「しつこい!近付かないで!」

何度も言われたその言葉もかつてないくらい鋭利で。一瞬怯んでしまった隙に、すぐそばを追い抜かしていこうとした男子生徒のところへ駆けていき、その背に隠れられてしまった。

「『あそこにいる人を追い払って』!」

以前なまえちゃんが術を使って信者を操るときの例として「追い払って欲しい人がいるときに協力してもらう」ことを挙げていたのを思い出した。まさに今、それを実行したのだろう。
けれどその生徒は言うことを聞くどころか、怪訝な顔で彼女を見下ろした。

「…はあ?突然なに?」

信者らしからぬ反応だった。この学校の生徒は漏れなく彼女の術にかかっているはずなのに。

「えっ…」

言われたなまえちゃんも困惑している様子で、眉間に皺を寄せ目を見開いている。それでも男子生徒は俺たちを胡散臭そうに見ながら、避ける様に歩いて行ってしまった。

さっきまでなまえちゃんの説得に必死で意識が向いていなかったけど、思わぬ事態に困惑すると同時に今、気付いたことがある。
学校を絡め取る軋む様な音が、以前より小さくなっている、ような。
俺が耳を澄ましていると、なまえちゃんもハッと何かに気付き、慌てすぎてもたつく手で鞄から小瓶を取り出した。

「うそ、なんで、そんな…っ」

飴玉が、殆どなくなってしまっていた。一瞬、あの後自暴自棄になって食べてしまったのかと思って焦った。でもそれにしてはなまえちゃんの反応がおかしい。小瓶を持つ手も、足も、ガクガクと震え、明らかに動揺している。

「なまえちゃ、」

とにかく落ち着かせようと俺が一歩踏み出した時だった。突然その瞳孔が、まるで鬼だった頃の様に細長くなる。何が理由かわからなくても減ったらその分増やせばいいと、反射的にそう思ったんだろう。近くを通りかかっていた何人かの生徒に向かってあの桃色の霧を吹きかける。いや、"吹きかけようとした"。

ーー血鬼術・魅惑の抱、よ……う…

術は発動しなかった。なまえちゃんの体から放出された桃色の霧が、指向性を持たず空気に溶け霧散する。
それどころか、溢れ出ていくその力をコントロールできないらしい。押さえ込む様に自身の体を抱き締めても止まらない。どんどんと、彼女の意思に反してその体から滲み出し、消えていく。

「あっ、ああっ、なんで、どうして!?」
「なまえ、ちゃん…」

少しだけ残っていた飴玉も、小瓶の中でキラキラとした光の粒に変わっていく。やがてその光も桃色の霧と一緒に宙に舞い、溶けて。
それはこんな状況にも関わらず見惚れてしまうくらい幻想的で綺麗な光景だった。周りの人たちは特に反応を示していないから、力を認識している人間にしか見えないんだと思う。そして。

やがて、霧も光も全てが最初からなかったみたいに消えてなくなった時には、呆然と立ち尽くす何の力も持たない一人の女の子だけがぽつんとそこに取り残されていた。

あの軋む様な音も、もうどこからも聞こえてこない。鬼の音も、しない。
なまえちゃんが震える両手で小瓶を持ち上げても、もう中には何もない。家にはもーっとたくさんあるの、といつしか言っていたそれらも全て消えてしまったのだろうということが、確認はしていないけど直感的にわかった。

「あああっ、ああ、あああああっ!!!」

縋り付いていた全部を失くしてしまったことを理解した途端、なまえちゃんは悲痛な叫び声を上げながら泣き崩れてしまった。
その様子を怪訝そうに見ながら通り過ぎていく生徒たちの中には何度か親切にしてくれたあの女の子も混じっていたけど、その子も、誰も、駆け寄ってなまえちゃんを助けようとする人は一人もいない。
ぺたんと座り込んで蹲り泣き続ける彼女の周りは、そこを避けるようにぽっかりとした空間があいてしまっている。

なまえちゃんに対して"元鬼殺隊としての俺"にできることはなくなった。何がどうなったのか全くわからないけど、彼女の体から鬼の力は消え去ったわけだから、あとはそれを『同窓会』の人たちに報告すれば全部終わる。

それでも俺は、あの時あの村を後にした時と同じようには、今この場を去ったりしない。
ただただ泣き続ける小さな体にそっと近付いて、目の前にしゃがみ込んだ。

「…なに。まだなにか、用があるの。よかったね。あなた達のお望み通り、もうわたしは何もできない。だからもう、ほっといて…!」

気配に気づいたらしいなまえちゃんが下を向いたまま威嚇するように吐き捨てる。言われたのは俺なのに、彼女の方がその言葉で傷ついているような、そんな気がした。胸が、痛い。

「…そんなことできるわけないよ。だって俺は、なまえちゃんに恋してるから」

嗚咽が途切れ、可哀想なくらい涙でぐちゃぐちゃになった顔が、信じられないものを見るように俺を見上げた。
だって何度やっても術は効かなかったじゃない、と思っているのが、口に出さなくても視線から伝わってくる。

「もう鬼の力はなくなっちゃったみたいだけどさ、俺がなまえちゃんのこと好きな気持ちは変わってないよ。なんでか、わかる?」

ちょっとでも落ち着いてくれればいいなと、笑いかけてみせた。
痛々しいくらい強く握りしめられた両手をコンクリートの地面から掬い上げて優しく包み込んであげると、なまえちゃんの瞳がゆらゆらと揺れて、残っていた涙がぽろりと溢れた。

「俺が俺の意志で、なまえちゃんのこと好きになったからだよ。俺言ったでしょ?恋愛は自由意志だって。なまえちゃんはどう?俺のこと、何とも思わない?俺がこのまま君から離れていっても、気にしない?」

なまえちゃんは何も言わなかった。でも、震える指先が俺のセーターの袖をぎゅうぅと掴んでいて、きっとそれが答えなんだと思う。行かないでって、指から、目から、伝わってくる。

「人間ってさ、不思議な生き物なんだよ。もらうばっかりじゃ満足できないの。勿論、あげるだけもダメ。もらって、あげて、そうして初めて満たされるんだよね」

前世で会った鬼のなまえちゃんも、恋の形をした幻を集める今のなまえちゃんも、どうしても気になって心に残り続けた理由はたぶん、俺自身にある。俺も長いことひとりぼっちで、『あげる』と『もらう』のバランスがうまく取れずに、満たされない心を持て余して生きていたから。
その辺りを埋めてくれたのは、じいちゃんや、炭治郎や、そのほか全部の、出会った優しくてあったかい人たちだった。

「だから俺にちょうだいよ。なまえちゃんの想いをぜんぶ、俺にちょうだい。俺も、負けないくらいいっぱいなまえちゃんにあげるから、そしたらさ、俺たち二人とも、すっごくすっごく幸せになれると思うよ」

俺が、この子の幸せの箱を満たす人になろう。
鬼の力なんかに頼って手当たり次第に幻をかき集めた上、それでも満足できないまま空虚に生き続けるなんてこと、もう二度としなくて済むように。
なまえちゃんは自分の気持ちを確かめるように胸に手を当てる。

「わたしは、ぜんいつのことが、好き…?だからこんなに一緒にいたいの?わたしはぜんいつに、恋を、してるの…?」

震える声で自問自答しながら、胸に当てた手でぎゅうっと制服を掴んだ。

「…ふしぎ。そうかもって思ったら、なんだか心がぽかぽかする。わたしきっと、…ぜんいつに恋してる!」

そうして顔を上げた彼女は、最近よく見せてくれるようになったあの可愛らしい笑顔を浮かべていて、つられて俺まで笑ってしまった。

「よかったっ。んじゃ、両想いじゃん!俺たち!」

偉そうなこと言いまくったけどさ、なまえちゃんも俺のこと好きになってくれてるか、本当のところは結構不安だったからね。ほっとして気が抜けたから自覚したけど、顔の筋肉結構強張っちゃってたみたい。
とりあえず周囲からの注目度が凄まじいので、座り込んだままのなまえちゃんを引っ張り上げて立たせる。

「好きだよ。なまえちゃんは術なんてなくたって初めから、とっても可愛くて魅力的な女の子なんだから!」

俺の言葉を聞いて浮かべてくれたなまえちゃんの笑顔は今まで見た中でもめちゃくちゃとびきり可愛すぎて、ただそこを歩いていただけで全く関係ないはずの元信者たちまで息を呑んだのが聞こえた。
ちょっ、見るなよ!せっかく術から解放されたんだから、自由に恋愛しててください!勿論この子じゃなくてどっかの誰かさんとね!!
ってかあいつ、『水山クン』じゃね?普通に元気に頬染めてんじゃん。鬼の力が消えたことで、無気力状態になっていた人たちも元に戻ったってことか?よかったね、でもだからってなまえちゃんに今度こそ本気で恋しちゃうなんて展開は許さんぞ。

周囲をギンギン睨んで威嚇しながらその手を握ると、嬉しそうに微笑んで握り返してくれて。想って、想われているのが、触れたところから伝わってくる。
ああ、恋するって、両想いって、最高に幸せだなあと思った。なまえちゃんもそうだといいな。


10 失くしたものと、見つけたもの

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