分岐/short | ナノ

私は、地蔵だ。比喩でもなんでもない。優し気な微笑みを湛え、最近ちょっと色あせてきてしまった赤い前掛けを付けた、まるっこいお地蔵さん。正しく、それ。

と言っても、何を隠そう元は歴とした人間である。その頃の私は鬼殺隊という組織に所属して、人々を襲う鬼を日々懸命に退治していた。
あの日私はとある山頂付近の獣道で、『対象をその一番近くにあるものに変化させられる血鬼術』が使える鬼と戦っていた。そいつは小さな子供を一人わざと食べずに生け捕りにしておいて、手当たり次第にさらってきた人間をその子供に変化させてから食べる、という悪行を繰り返していたらしい。そうすれば鬼的により美味しいとされる子供の肉を、常に食べることができるから。
鬼は例にもれず、対峙した私にもその術をかけようとした。けれど、失敗した。やられてなるものかと精一杯地面を蹴って子供から距離をとった私にその術がかかった瞬間、不格好に転がった私の背には道端に打ち捨てられていたお地蔵様が触れていた。
そして、どろん。初めての事態に戸惑う様子を見せる鬼の目の前には、瓜二つのお地蔵さまが二体、転がっていましたとさ。
そいつの術では一度変化させたものをまた別のものに変えることはできなかったらしい。石になってしまった私を食べるわけにもいかなくなったその鬼は、別の飯を探そうと子供を担ぎ上げて夜闇に消えてしまった。ほかの隊士があの子を助けてくれているといいんだけど…。

こうして突然、動けないし意思疎通も取れない無機物になってしまった私は途方に暮れた。そばに鎹鴉がいてくれた様子もなかったから、忽然と姿を消した私は生死不明扱いで捜索されることもないだろう。あの鬼が誰かに討伐されたら元に戻れるだろうか。でも毒の術とかだと倒しただけじゃ治らないし…。
もしあのままそこでじわじわ朽ちていくことになっていたとしたら、もしかしたら今頃私は気が狂っていたかもしれない。けれど数日後、その道を山菜採りの途中でたまたま通りかかった優しいお爺さんが無造作に転がっている私たち?を見つけて「双子地蔵様じゃ!双子地蔵様が転がっておる!お可哀そうに!」と叫んだ。そしてすぐそばのちゃんとした山道沿いに何日かかけて小さな祠をこさえ、二つ並べて丁寧に祀ってくれたのだ。ついでにお揃いの赤い前掛けもつけてくれた。
それからというもの、私はこの道をたまに通る人たちからお供えをもらったり、時には身の上話などを聞いたりしながら、お地蔵さん生活を満喫?している。こちらから何かすることができなくても、話しかけてくれる人がいるだけで気の持ちようは違うものである。

特に最近は変わり者の男の子が足繁く通ってきて止まらない愚痴を毎日欠かさずこぼしていくので、それなりに飽きない日々を過ごしていた。人間だった頃は知らなかったのだけれどこの山にはどうやら鬼殺隊の育手が居を構えているようで、その男の子はそこで修行する鬼殺隊士見習いらしい。

「あれ…なんでこんなところに双子地蔵が…。とりあえず拝んどくか…」
「…ついでに俺の話聞いてくれます?変な爺が突然借金の肩代わりしてくれて助かったと思ったら、今度はこんなところまで連れてこられて剣士になれ!とかさ、意味わかんないんですけど。なれるわけないじゃん。鬼と戦えってなに…?」
「お地蔵様こんばんは。こんな夜更けにすいません。昼間だけじゃ全然足りないから、ちょっと隠れて修行をね…決意表明ついでにお参りにきました。…真面目に、頑張ってみようかなと思って。まあ全部無駄かもしんないんですけどもね…」
「ねえお地蔵様…見てくださいよこれこの髪…。雷に打たれたらさ、なんでかこんな色になっちゃって。信じられます…?そんなことあんの…?」
「お地蔵様。桃どーぞ。この山に生えてる桃の木からとってきました。俺何も持ってないから遅くなっちゃったけど一応お供えもんです。いつも話聞いてくれてありがとうございます」
「じいちゃんがさ、ぽかぽか殴るんですよ。刀の打ち方を知ってるかって言いながら。でもさ俺、鋼じゃないんだけど。どんだけ叩いたって強くなんてなりませんけども」

男の子は毎日ころころ表情が変わって、それを見ているだけでもとても面白かった。私たちの前に座り込んであーだこーだと話す内容は、大体が日々の修行に関する愚痴。こんな風にしごかれたとか、逃げても逃げても捕まって連れ戻されちゃうとか。けれど最後は必ず、期待に応えられない自分が申し訳ないと、震える声で零す。
そのたびに、今はないはずの胸がきゅうっと締め付けられた。手はマメがつぶれて血だらけ、全身の怪我や打ち身の跡。実際の様子を見なくてもわかる。愚痴や弱音を吐きながらも、日々の修行に一生懸命取り組んでいるということが。最初はひょろひょろのがりがりだったその体が日に日に逞しく成長していってることに、この子は自分で気付けていないのだろうか。大丈夫だよ、君は一生懸命頑張ってるよって抱きしめてあげたいのに、今の私にはそんな簡単なことすらできない。

ある月の綺麗な夜、やってきた男の子はいつものように私たちの前には座らず、何故か祠に寄り添うようにして地面に腰掛けた。「お地蔵さんから見えてる景色はこんなかんじなんすね」と言いながら。

「俺、とうとう明日、最終選別っていう試験に行かないといけないらしいです。多分、いや間違いなく俺、そこで死んじゃうんです。ああ怖いなあ、親に捨てられて、女の子には騙されまくって、最後は地獄の特訓続きで、ほんとロクでもない人生だったなあ…。こんな俺の話をずぅーっと聞いてくれたの、お地蔵さまだけですよ。いや石像に独り言ぶつけてるだけなんだから当たり前だろって言われたらその通りでしかないんですけどもね」

自嘲するように、ははは…、と笑う乾いた声が祠越しに聞こえてくる。この子は何か勘違いをしているようだ。私が毎日君のお話を聞いていたのは、私がお地蔵様の姿をしていて動けないからだけじゃない。君が私に胸の内を包み隠さず話してくれた理由はそれかもしれないけれど、例えばもし今この瞬間に人間に戻れたとしても、私は君のことおいてどこかにいったりはしないよ。だってうんざりなんて、全然してないもの。こんなに一生懸命な男の子のこと、見捨てられるわけないじゃない。

「…きっとこれが最後になっちゃうと思うんで、最後ついでに俺の夢、聞いてもらってもいいですか。俺、弱い人や困ってる人を助けてあげられるような、誰よりも強いやつになりたいんです。それで、じいちゃんが俺にかけてくれた時間は無駄じゃなかったんだって証明したい。じいちゃんのお陰で強くなった俺が、たくさん人の役に立つ。それが俺の夢。…最終選別で死ぬ予定の俺が何を言ってんだって思うでしょうけども」

ううん、そんなこと思わないよ。誰かのために強くなりたいと努力できる君なら、絶対にその夢を叶えられる。だから、自分にはできないと諦めてしまわないで。自分を信じてあげて。この声が届くことはないけれど、じゃあ俺はこれで…と自信なさげにとぼとぼ帰っていく背中に向かって、私は心の中でたくさんたくさんそう思った。

そうして次の日から、男の子は私の元に来なくなった。藤襲山へは方角的に別の道を通って行ったんだろう。絶対大丈夫だ、絶対生きて帰ってくる。そう信じてはいるものの、早くまた元気な顔を見せて安心させて欲しいとどうしてもソワソワしてしまう。
幾日か経ち、陽光と月光を何度か交互に浴びた頃、男の子はようやっと私の前に帰ってきた。…ほら、やっぱり君は強いじゃないか。あの試験、生き残るの結構大変なんだぞ。

いつものように私の前に座り込んだ男の子が、とりあえず生きてます…と帰還報告をしてくれる。育手の家で一晩やすんでからここへわざわざ来てくれたようだ。「鬼がうじゃうじゃいる山に閉じ込められて七日間生き延びろって言われたんですよ。どんな試験内容だよって思いますよねえ?ほんとよく生きてるわ俺」と、さっそくいつもの調子で止まらない愚痴が始まった。見た目は結構疲れてそうに見えるけど、帰還翌日でこれだけ口が回るなら大したものだ。

「おっかねえ思いたくさんしたんですけどね、特にやばかったのは変な術使う鬼と遭遇した時でね?たまたま出会って一緒に行動させてもらってた子がそのわけわからん鬼の術にかかって、目の前で一瞬のうちに、木に、ただの木に!なっちゃったんですよおおお!?」

…ん?目の前にいた子が鬼の術で木になった?覚えのある話に聞こえるのは気のせいか。そう思いながら「それで俺怖すぎて気を失っちゃって、ああこれ死んだわと思ったら死んだのはその鬼っていうか、目覚めたら誰かが倒してくれてたみたいでえええ、」と涙ながらに続く男の子の話に耳を傾けていた、その時。
木々の間から温かな陽光が差し込み、私の、地蔵の体を照らす。……どろん。突然視界が高くなって、最初は全く意味がわからなかった。何故か目線が近くなった男の子も、座り込んだ体勢のまま口をあんぐりと開けて私を凝視している。急に大きくなった体は祠の屋根を突き破り、砕けた木屑が頭を滑ってバラバラと落ちていく。そうして私は本物のお地蔵様の横に座り込む形で、人間の、元の姿に戻っていた。こういうのにありがちな、戻ったら素っ裸!ということもなく、変化させられる直前と同じ隊服を着込んだ状態なので安心して欲しい。

男の子が藤襲山で遭遇したというのはやはりあの時の鬼だった。私の前から姿を消した後藤襲山に隔離されたらしいそいつが遂に討伐され、私自身も何日かかけて一定量の陽光を浴びたことで、術が解けて人間に戻れた。多分、そういうこと。
長い間地蔵状態だったのでどうかと思ったけど、体は普通に動かせるようだ。逆に驚きで身動き取れないままでいる男の子に、おずおずと右手をあげて愛想笑いしてみる。

「ど、どうも〜?」

それを受けた男の子の喉が、ヒギッ!とよくわからない音を立てた。

「お地蔵さんが突然女の子になるとか、そんなのあるううううう!?」

防衛本能が働いて手が意識せずとも両耳をパチンと塞いでしまうくらいの凄まじい大声だった。叫んだ彼はそのまま泡を吹いて勢いよくぶっ倒れてしまった。まあ、目の前で地蔵が突然人間になったら、もともと気弱な君だもの、そんな反応にもなりますよね…。
さてこれからどうしたものか。でもこれでこの子に、君は頑張ってるよ大丈夫だよってやっと言ってあげられる。いっぱいいっぱい、今までの分もたくさん言ってあげちゃうんだからね。あっでもその前に、まずは名前を教えてほしいな。毎日色々な話を聞かせてもらったけど、そんな簡単なことさえ私はまだ知らないから。

だけど目覚めるまでこのまま放置するというわけにもいかないし、とりあえず育手のところに連れていくか。事情説明をして、隊に私は生きてますよーって連絡して、それからそれから…。
男の子の襟首を引っ掴んでズルズル引きずりながら、長い間私の相棒であり続けてくれた本物のお地蔵様に、今までお世話になりました。とひとまず頭を下げた。新しい祠、造りに来るので、正式なご挨拶はまたいずれ。私の分の前掛けだけは、お守り代わりに持って行かせてもらいますね。


地蔵さまは聞き上手


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