びいどろ玉の恋模様 | ナノ


「お婆様。お話があります」

我妻様達に見つかってしまった後、朝餉の準備をすると言って部屋を後にした私は、お台所へ向かう前にお婆様のもとを訪れていた。
お婆様は既に起きだしていていつもと変わらず静かに優しく微笑んでいるが、私がこれから何を話し、何をするつもりなのかを既に理解している様に感じた。

「お婆様。私はあの方と、我妻様と共に行きたいと考えています」

幼きあの日に心を決めてからずっと、鬼狩り様の力になりたいと、自分にできる努力はなんでもした。
鍛錬を欠かしたことは雨の日も雪の日もたったの一日としてなかったし、どんな求めがあっても粛々とこなせるよう心を平坦に保つ意識も積み重ねてきた。
鬼狩り様方がこの家ではせめて心安らかに過ごせますようにと、お婆様を見習い先回りして全てをこなすよう心掛けてもきた。
そして、より羽を伸ばすためには知らない人間の存在は少ない方がいいだろうと思い、鬼狩り様の前に姿を現したことはこれまで一度もなかった。

けれど我妻様に見つかってしまった。正直なところ、とても驚いた。
良かれと思ってしていたことで逆に気を揉ませてしまっていたことを反省もした。
鬼狩り様は気配に聡い方が多いだろうから、もしかしたら気付いていたけど口に出していなかっただけの方も過去にいたかもしれない…。

そんな私に我妻様は「結婚を前提にお付き合いしよう」とおっしゃった。

鬼狩り様の求めには全て応えると決めている私に、それを拒否する選択肢はそもそもない。が、断らなかった理由はそれだけでない。
我妻様のご要望に応えることで、不必要に気を揉ませてしまった分の埋め合わせになればいいと思ったからだ。

それに私は、我妻様には本当は、私ではない心に決めた人がいることを知っている。

結婚を前提に、というのはあの様子からしても勢いでおっしゃっただけだろう。一夫多妻制は認められていない。あるとすれば、妾候補。
さらに、ご本命は他にいらっしゃるわけだから、心を通わせることは要求外のはずだ。だから気持ちが伴う必要はない。…そうしたいと言われたら、努力するが。

私が満たすべき役割は、今のご本命には出来ないこと、つまり影に日向に『まるで恋人のように』寄り添い、身の回りや鬼狩りの補助をする女。そういったところか。
そのためには行動を共にする必要がある。我妻様は「お互いを知るためのお付き合い」だともおっしゃっていたし、尚更だ。
屋敷内で漏れ聞こえていた話から我妻様が女性好きであることも想像できているし、女の形をした者を一人でも多く同行させたいというのもあるのかもしれない。

「覚悟はできていますか」

お婆様の優しくも静かな声。
決して怖いものではないはずなのに、無意識に体が震えそうになった。
…ごくり。生唾を飲み込む。目は逸らさない。

「はい」

我妻様の、鬼狩り様の求めにはそれがどんなに難しいことであったとしても必ず応えてみせます。それが私の生きる目的だから。

しばらく見つめあった後、お婆様が口にしたのはたった一言だけだった。

「どのような時でも誇り高く。身命を賭して、励むのですよ」

けれどこの時の私は、お婆様が言った『覚悟』の本当の意味を理解できていなかった。
身を隠し人との交流を持たず生きてきたせいで色々なことに鈍感で、あまりにも無知すぎたのだ。
もっとずっと後になってから、私はそれを痛感し苦しめられることになる。


***


凄まじい勢いで山に入っていった我妻様の背中を見送った後、約束した通り少しだけ山から離れてすぐに野営の準備を始めた。
まずは一番大切な、藤の花のお香。地面に置いた風呂敷包みからいくつか取りだして火をつける。
それから素早く天幕を張り、その周りをくるりと囲うように先程火をつけたお香を並べた。
これでもし鬼が山から出てきたとしても容易には近づけないだろう。
それから、怪我人がいつ運び込まれてもいいように大量に用意してきた治療道具や飲み物、食べ物等を天幕の中に並べる。
準備がひと段落ついたところで天幕の外に出た。
あの様子では我妻様達以外にも救援の鬼狩り様達がいらっしゃるかもしれない。
先程目の前で起こったことをしっかり説明しなければいけない。そう気合を入れた時だった。

「ーー可愛らしいお嬢さん。こんなところで一体何をなさっているのですか?」

気づけばその方はまるで蝶々のように、音もなくすぐ近くに立って私に笑いかけていた。
とても綺麗な女性だった。もう一人、半々羽織の男性もそばにいた。
一瞬惚けてしまったが、お二人が身につけているのは鬼狩り様の隊服だ。
救援部隊の方々だろう。
私はすぐに気を引き締め直して手短に状況を説明した。

「私は藤の花の家紋の家の者です。訳あって行動を共にさせていただいている鬼狩り様に緊急の要請が入り、ここまでついて参りました」

まあ!と女性が驚いた声をあげる。

「ここに到着してすぐ、目の前で鬼狩り様が一人殺されてしまいました。事態は逼迫していると考えられます。ここは藤の花のお香が大量にありますので安全です。医療用品も揃えておりますので、討伐後は救助活動の仮拠点としてお役立てくださいませ。力にも自信がありますので怪我人の搬送等でも助力できるかと」
「なんて頼もしいんでしょう!ねっ、冨岡さん」
「…早く行くぞ」

男性はこちらをチラリと見ただけだったが、女性の方はご自身の鎹鴉に「カナヲと隠の皆さんに今の話を伝えてくださいね」と言った後またニッコリと笑う。

「可愛らしくて頼もしいお嬢さん。それでは私たちはこれで」

言うのが早いか、お二人は一瞬で目の前からいなくなっていた。
あの身のこなしはもしかしたら、柱の方々かもしれない。それほどまでに、この山での戦いは危険なものということか。

「…どうかご無事で」

山に向かって深々と頭を下げる。
これが、鬼狩り様たちが常に身を置いている環境。
初めて身近に感じたその残酷さに、無意識のうちに両の手を握りしめていた。
せめて、どうか一人でも多くの鬼狩り様が、我妻様達が、無事に戻ってきてくださいますように。
心を落ち着け、必死に祈りを捧げる。
遠くで雷の落ちる音が聞こえたような気がした。


***


鎹鴉から話は通っているのだろう、次々と到着した隠の方たちが私の天幕を一時的な待機場として活用してくださっている。
重い空気の中、すぐに動けるよう準備だけは進めながら合図を待つ。

どれくらい経っただろうか、永遠にも思える時の後、鎹鴉が戦いの終わりを告げた。
安全が大方確保されたということなので、私も隠の皆さんにお願いして山へ同行させてもらった。
中でも後藤様とおっしゃる隠の方が、なんだよこの変わった嬢ちゃんは…と困惑されていたが、お役に立つことで同行は無駄ではなかったと証明したい。

道中、地に、茂みに、木の上に、事切れてしまった鬼狩り様が大勢いらした。
隠の皆さんには先行していただき、残ってくださった一名の方と共に、蜘蛛の糸のようなもので吊るされた体を丁寧に降ろしていく。
さらに一帯の亡骸を一箇所に集め黙祷を捧げたあとは、後で運び出せるよう目印を残して前へ進んだ。
一人でも多くの生存者を救うためだ。

少しでも気を抜くと胸が締め付けられてうまく息ができなくなりそうだった。
隠の方も必要なこと以外何も口にせず淡々と作業されていたが、布地の隙間から見える瞳には深い悲しみが滲んでいた。
けれど私はこんなことではいけない。心乱され怖気づいていては役に立てない。
幼い頃から常に意識してきた、感情の波が一定であるようにという自身への暗示をより強くする。

しばらく行くと、蜘蛛の糸につられたボロボロの小屋が中央に浮かぶ開けた場所に出た。

「付近の鬼は私が狩るから、安心して作業して」

大きな蝶飾りをつけた鬼狩り様が隠の皆さんに指示を出している。
ここには生存者が何人かいらっしゃるようで、全滅ではなかったことに少しだけホッとした。
ほとんどの方が人面蜘蛛になってしまっているらしい悲惨な状況だが…。
先に進んでいただいた隠の皆さんが手際良く手当てを進められていて、見る限り応急処置は済んでいるようだった。

ふと、視界の端にすっかり見慣れた金色が写った気がして木の根元に目をやった。
あれは…我妻様だ。
生きていた。……良かった…。

包帯でぐるぐる巻きにされて治療済と大きく書かれた紙をつけている。
ほとんど顔も見えない状態だったが、隙間から覗く髪とべっこう飴のような目で我妻様だとすぐにわかった。
隠の皆さまは既に方々へ散ってしまっているし、ここの作業は大方済んでいるようだったので、少しの間だけ申し訳ございませんと心の中で謝罪してから、たた、と我妻様のもとへ駆け寄る。

「我妻様。ご無事…ではないようですが、生きておられて良かったです。お勤めご苦労様でした」
「……なまえ、ちゃん…」

こちらをチラリと見た我妻様は、しかしすぐに目を逸らしてしまった。

「俺は…泣き喚いてただけで何もできてないよ…。鬼も多分、しのぶさんが倒してくれたし…」

我妻様の言うところによると、どうやら思うような戦果は上げられなかったらしい。
掠れた小さな声。色濃い疲弊が滲んでいて、痛ましい。
けれどここにたどり着くまでの惨状を見る限り、命があって人の形を保ったままの我妻様は善戦された方なのではなかろうか。

それでもしょんもり、と太めの眉尻を下げ目を伏せている我妻様を見ていると、生まれて初めての感情が胸の内からどんどん湧いてきて、どうしようもなくなってしまった。
これが母性というものなのか。

ーー…なで。

どこを怪我しているのか判断できないので、痛みがないように優しく優しく。

「なまえちゃん!!??な、なにして、、えっ、笑っ…!?」

我妻様が少しだけのぞく顔を赤く染め、芋虫のような体をくねらせる。

「危険を顧みず命を賭けて戦う鬼狩り様方は皆等しくご立派です。我妻様も、同じです。…よく頑張られましたね」

鬼狩り様にこんなことをするなんて失礼だと、普段の私なら絶対に取らない行動だっただろう。
しかしこの時はどうしてもそうしたくなってしまった。

「……なまえちゃんがこれから俺のこと善逸って呼んでくれるなら、ちょっと元気出るかも」
「はい。お約束いたします。善逸様」

鬼狩り様のことを、善逸様のことを、心から尊敬していると。
この手のひらから全て伝わればいいとおもった。

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -