びいどろ玉の恋模様 | ナノ


風柱様のお屋敷で善逸様と久々にお話ししてからはや数日が経過した。

あれから善逸様は私と会うたび何かしら声をかけてくださる。余裕のない時でも、まるでそれだけでもとても幸せだというように勘違いしてしまいそうになる笑顔で大きく手を振ってくださるので、その度私はむず痒い気持ちで控えめに振り返した。
特に岩柱様のお稽古は滝に打たれる必要があるからか上半身は裸の状態で、その鍛え抜かれた筋肉を惜しみなく晒されている。
他の鬼狩り様のそれは日々の鍛錬がうかがい知れて惚れ惚れとはしてもその程度で済むのだが、善逸様のお体だけは直視することが出来ず、ついつい赤くなってしまう顔を隠す毎日だった。想いを自覚する以前は平気で清拭してさしあげていたのに、恋心というものは実に厄介だ。

そうして私は、今日も柱稽古のお手伝いをして各地を飛びまわっている。

岩柱様のお稽古場所は他の方々と違って静かな山の中にある為、一日の一番最後にまわることにしている。
その日の分を準備するというよりは、次の日の分を整えて帰る、という感じだ。
お米や調味料等の補充、洗濯物の入れ替え等を滞りなく済ませて下山している途中、ここ最近では珍しく隊服を上下着用された炭治郎様と出会った。

「炭治郎様!山を降りられるのですか?」
「ああ!悲鳴嶼さんから訓練完了のお墨付きももらったからな!なまえも、今日の仕事は終わったのか?」
「はい。お稽古お疲れ様でした。ここでお会いできてちょうどよかったです。お羽織、お返ししますね」
「わあー!ありがとう!すっかり綺麗になってるな!」

お洗濯と修繕のためお預かりしていたお羽織をお返しすると嬉しそうにしながらすぐに腕を通され、いつもの見慣れたお姿に戻られる。
…炭治郎様がここを去るのであれば、今日からはお米ではなく握り飯を用意すべきだったのかもしれない。
今から戻ったとしたら日没までに屋敷に帰り着けるか微妙なところだな、と日の傾き具合を見ながら考えていたら、先程まで笑顔だった炭治郎様がいつの間にか「なまえ、」と眉を下げられていた。

「最近、善逸と会ったり話したりしたか?」
「…いえ。この数日はお姿もお見かけしていません」

お稽古中だしすれ違いになれば全く会わないこともあるだろう。そう思ってあまり気にしていなかったが、炭治郎様のこのご様子を見ると何かあったのだろうか。

「俺も、何があったのかは知らないんだ。でもここ暫くすごく静かで喋らないからどうしたのか聞いたら、やらなくちゃいけないことがはっきりしたとだけ教えてくれて…」
「やらなくちゃ、いけないこと…?」

炭治郎様に心当たりがないなら、最近はあまり交流を持っていなかった私にわかるはずもない。一体どうされたのだろうかと少し考え込んでいると「曖昧な話で不安にさせてすまない…」と炭治郎様が申し訳なさそうに表情を曇らせていらしたので、慌てて否定した。

結局二人でうーんと思考を巡らせても善逸様のご様子の変化に答えを出せず、水柱様のお屋敷へ向かうという炭治郎様とはその場で別れた。
善逸様を、探しに行こう。握り飯も多めに作って、余った分を差し入れとしてお待ちしよう。
そう思って踵を返した時、前方から、私の名を呼ぶ声が聞こえた。

「なまえちゃん」
「!!善逸様…?」

…炭治郎様のおっしゃる通りだ。何だか様子がおかしい。基本的にはいつも元気いっぱいの善逸様には似つかわしくない、静かで低いお声。それによく見ると、なんということだろう、善逸様はその頭から大量の血を流していた。
慌てて駆け寄り、背負っていた風呂敷包みを右側におろしてから、屈んで手ぬぐいと水筒を探す。

「け、怪我をっ、お怪我をされています、すぐに手当て、を…」

風呂敷包みを探っていた両手のうち左の手首を、善逸様の硬く分厚い手がそっと掴み上げた。驚いて、言いかけていた言葉が止まってしまう。
その動きを追ってゆっくり顔をあげると、善逸様はこれまで見たことのない無の感情を浮かべて、私を見下ろしていた。重く異様な空気に、いつもなら恥ずかしくて数秒も見ていられないそのお体も気にならない。

「なまえちゃん。俺、やらなくちゃいけないことができたんだ。柱稽古が終わったら聞いてほしい話があるって言ったけどさ、あの約束、果たせないかもしれない」

私が立ち上がると同時に、手首を掴んでいたぬくもりが離れる。善逸様は無表情ではあったが、瞳の奥にはメラメラと燃える決意の炎が見えた気がした。

「それでも、俺が俺のやるべきことをちゃんとやり遂げられたら…、もしなまえちゃんがよければ、その時改めて話を聞いてくれないかな」

善逸様が醸し出される空気にも、話されている内容にも、うまくついていけない。だから何の言葉を返すこともできない。
そんな私を見つめる善逸様が、ふっ、と無表情の中に少しだけ、不安げな色を滲ませた。

「待ってて、くれる…?」

具体的なことは何一つわからなかったが、確かなのは、善逸様がこれから、炭治郎様にすら頼らずたった一人で何か大きなことを為されようとしていること。それから私への質問という形をとった言葉の中に確かに滲む、待っていて欲しいという、願望。
自分の気持ちを押しつけず、あくまで私の意思を確認しようとしてくださる善逸様は、なんと、なんとお優しい方なのだろうか。

それでも私は貴方と過ごして、人と触れ合って、言葉の裏にある本当の気持ちを、ほんの少しだとしても汲むことができるようになりました。
だから私はもう一度屈み、地に置いた風呂敷包みから取り出した。手ぬぐいではない。炭治郎様の分と同じくお預かりしていた、善逸様の隊服とお羽織を、だ。風呂敷の中で少しよれてしまったそれを丁寧に整えながら立ち上がる。

「はい。いってらっしゃいませ、善逸様。私はいつでも、いつまでも、お待ちしております」

共に戦う力を持たない私には、お見送りすること、そして待つことしかできないけれど。
どうか無事で帰ってきてほしいと願いを込めて両腕で差し出すと、その気持ちが伝わったのだろうか、善逸様は「ありがとう」と静かに微笑んでそれを受け取ってくださった。

「待っててくれる人がいるのってさ、それがどれだけ力になるか、なまえちゃんは知ってる?なまえちゃんが待っててくれるから絶対生きて帰らなきゃって、今までも何度も助けられてきたんだから」

だから、…いってきます。
そう言って善逸様が背を向ける。きっとまだ『やるべきこと』のためにお稽古を続けられるのだろう。炭治郎様のように羽織を着ることなく、手に持っていかれたから。
離れていくその背中を見ていたらどうしても気持ちが抑えられなくなってしまって、気付けば叫んでいた。

「あの…!できれば、私はまた早く、善逸様とお会いしたいです!その時は、もっとたくさん、いろいろなお話が、したいです!!」

なんと自分勝手な我儘だろうか。それでも。

「わかった!任せてよ!」

驚いた顔で振り向いた善逸様は、目が合うと片手で拳を作って天高く掲げ、いつものように優しく笑ってくださったから。
今度こそ、遠ざかっていくその背中を見送った。
今日はもう日が暮れてしまう。岩柱様のお稽古場所に戻るのは諦め、明日早めに屋敷を出て握り飯をたくさん作りに行こう。そう思いながら。


けれど『明日』は来ないまま、その時は突然訪れた。


「緊急招集ーッ!緊急招集ーッ!産屋敷邸襲撃ッ…産屋敷邸襲撃ィ!!」

蝶屋敷中に響き渡った産屋敷邸襲撃の緊急招集を合図に、鬼舞辻無惨との総力戦の火蓋が唐突に切られた。
緊迫する空気の中、アオイ様たちと一緒に強く強く祈り続ける。どうか皆さんが無事でありますように。長く続いた戦いが、今夜で終わりますように。
『鬼のせいで自分と同じ様な悲しい思いをする人が一人でも減るなら。そう思うと怖くても辛くても戦えるんだ』そう言って微笑んだあの鬼狩り様自身も、鬼に人生を狂わされた人間の一人だということ。そんな人が、もうこれ以上生まれませんように。

どんなに重く長いものであったとしても、明けない夜はない。太陽が昇って、しばらく。鎹鴉が戦いの終わりを高らかに告げる。鬼殺隊の、勝利だ。
失われた命は数えきれない。柱の皆さんも、風柱様と水柱様だけを残して逝ってしまわれた。この屋敷の主である、胡蝶様までも。
けれど生き残った方達も皆酷い怪我を負われていて一刻を争う状態の方も多いとのことだ。悲しみに暮れてる暇はない。懸命に、こぼれる涙をぬぐった。
先程までの静けさから一変し、蝶屋敷の空気が慌ただしく動き始める。一通りの受け入れ準備は祈りながらも同時進行し整えてあるが、足りるだろうか。
やがて怪我人の搬送が始まった。風柱様、水柱様、炭治郎様、禰󠄀豆子様、伊之助様、お稽古の手伝いで顔を合わせた他の鬼狩り様たち、そして、善逸様。

「ただいまっ」

顔も体も全身血だらけで、羽織ももう体に引っかかっているだけと言ってもいいくらいボロボロだ。自力では立っていられないような怪我を負われて、それでも憑き物が落ちたように笑う善逸様がそこにいた。

「…おかえりなさいませ!」

長い長い夜の終わり。心に決めたその使命を全うし解放された鬼狩り様方は、これからどんな人生を歩まれるのだろうか。

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