びいどろ玉の恋模様 | ナノ


これから、どうしようか。蝶屋敷の廊下を黙々と水拭きしながら考えていた。もうずっと、考え続けている。
今の私は善逸様とお付き合いしている身ではない。従ってあの方に同行する理由も、ない。
だから『柱稽古』に出られた善逸様にお供することもなく、私だけこの蝶屋敷に残った。お稽古で負傷し搬送されてくる方もいらっしゃるので、皆さんのお手伝いでそれなりに忙しくしている。
けれど、もともとここに置いていただけているのは私が善逸様の同行者であるからでしかないし、やはり出来るだけ早く事情を告げて出ていくべきなのだろう。
胡蝶様が戻られたら…。

「なまえさん、少々よろしいですか?」

そう思っていたところに、ちょうど件の人が向こうの角から姿を現した。しかも私に用があるらしい。雑巾を手に、慌てて立ち上がる。

「はい。何でございましょうか」
「いつもお掃除ありがとうございます。今日はなまえさんにお願いしたいことがありまして。…善逸君にも話を通した方がいいでしょうか?」

ほんの少しだけ揶揄するように微笑んでいらした胡蝶様が、その名前が出た瞬間どうしても曇ってしまった私の表情を見て少し不思議そうに瞬きをする。

「いえ、その…大丈夫です。私は何をすればよろしいのでしょうか?」

けれど私がすぐに何事もなかった風を装うと、胡蝶様もいつもの笑みに戻られて、特に追求もされなかった。本当にお優しい方だと思う。

「『柱稽古』が始まっているのはなまえさんもご存知ですよね?なまえさんにお願いしたいのは、そのお手伝いです」
「お稽古の補助でございますね。私でよろしければ、お受けさせていただきます。どういったことをすれば…?」
「ありがとうございます!なまえさんには、その時々で隊士の皆さんが多く留まっている柱のところに行って、柱や隊士達の世話等をお願いしたいです。宇髄さんのところは三人の奥さんがいらっしゃるので大丈夫なのですが、その先が問題でして。最低限身の回りのことは各自ですると言っても、どうしても人手が足りていない様なんです」
「かしこまりました」

鬼狩り様のお世話ということであれば、家で長年やってきたことだし、勝手等で違いがあったとしても大きな問題はないだろう。お引き受けすると、胡蝶様も満足げににこりと笑ってくださった。

「これから私も少し忙しくなるのであまりお会いできなくなってしまうかもしれませんが、休息にはこれまで通り、遠慮せずこの屋敷を使ってください」
「はい。ありがとうございます」

まだここに居ても良い理由ができたことは正直なところとてもありがたかった。何も成せないまま家に帰って良いものか、決断しきれていなかったから。そうでなくとも、せっかく与えていただいた仕事だ。全力で取り組まねば。
早速自室に戻って準備を、と思い、失礼しますと頭を下げてから踵を返したところで、胡蝶様が私を呼び止める。

「…なまえさん、」

まだ何か伝達事項があったのだろうか?そう思って足を止め振り返ったが、胡蝶様の雰囲気はそういったものを伝えるというよりは、どこかしんみりとしているような、気がして。

「いつも屋敷の手伝いをしてくださってありがとうございます。なまえさんが良ければこれからも力を貸していただけると、カナヲ達も喜びます」
「そっ、そんな勿体ないお言葉を…!ありがとうございます…!」

胡蝶様が優しい笑みを浮かべて、それでは、と廊下の向こうへ戻って行かれる。
藤の花の残り香の中揺れる蝶の羽のような羽織が何故かいつもより妙に美しく見えて、しばらくぼうっと立ち尽くして見送ってしまっていたが、すぐにはっ、と気を取り直して今度こそ、胡蝶様が行かれたのとは逆方向にある自室へ向かった。

それが、胡蝶様と交わした最期の会話になるなんて露程も知らずに。


***


胡蝶様は鬼狩り様が多く留まられている場の補助を、と仰っていたが、任せていただいたからには、求められている以上のことをする努力を。手が足りているという音柱様以外の箇所を、1日で全て周ることにした。それを毎日繰り返す。
基本的には柱の方や鬼狩り様方に係る炊事洗濯等家事一通りを行ってまわり、時折お使いを頼まれて買い物へ出たりもする。
皆さん初めてお会いする柱の方ばかりだったが、個性的ではあれどお優しい方ばかりだと思う。

特に恋柱様は「しのぶちゃんから聞いてたの、可愛らしい女の子がお手伝いに来てくれますよって!それで私、すごく楽しみにしてたのよ!仲良くできたら嬉しいわ!!」と、熱烈に歓迎してくださった。ぱんけぇきなる西洋のお菓子までご馳走になってしまってとても恐縮したが、「こうやって女の子同士で甘いものを食べられるって素敵な時間ね!」と笑いかけてくださるので、私の方までぽかぽかと温かい気持ちになってしまう。
他の柱の皆さんとは特別会話するようなことはなかったが、用意しておいた食事はきっちり食べてくださるし、顔を合わせれば労いの言葉をかけてくださる。
風柱様から「…昨日のおはぎ、美味かったから、また作ってくれねェか」と目を逸らしながらボソリと言われた時にはすごく驚いてしまったが、よく見ると耳が赤くなっていらして、失礼ながら可愛らしい方だなとも思ってしまった。

善逸様のことは…極力出会わないよう避けてしまっている。だって、何を話せばいいのか、わからない。ほかの鬼狩り様とそうするように、ただ淡々とやり取りすればいいとはわかっているのだが、それは理解しているというだけで、気持ちがついてきてくれるかどうかが怖くて。

それでも、鬼狩り様たちのお稽古の進み具合がバラけてくるにつれて、次第に全く関わらないわけにはいかなくなってくる。善逸様がチラチラと私を気にしてくださっている視線を、背中に感じる。一方的に関係性を断ち切った上に自分を避け続ける女のことまで気にかけてくださるなんて、本当に慈悲深い方だと思った。

そして、ついに。

風柱様のお屋敷での作業を済ませ、ちょうど休憩に入られた風柱様にそっとおはぎをお出しして。
さあ次は岩柱様のところだ、と風呂敷包みを背負って廊下を歩いていたら、善逸様が向こうの角からスッと姿を現した。
たまたまそこを通った、というわけではなさそうだった。その瞳から、私と話そうという明確な意思を感じた。

「なまえちゃん!ひ、ひさしぶりだねぇ〜」
「善逸様…。はい、ご無沙汰しております」
「え、と…あ、あのさ、元気してた?その、無理とかしてない?ちゃんと休憩してる?みんなのことお世話してまわってくれてるんだってね。隊士達の間でさ、噂になってるんだよ、なまえちゃんのこと」

なにか噂が立つほどの粗相をしてしまっただろうか。不安になり思わず「えっ…?」と反応してしまった私に、善逸様がわたわたと両手を振る。

「ああいや違うんだよ!悪い内容じゃなくて、可愛くて優しい女の子が甲斐甲斐しく世話してくれるって、そういうの元気出ていいよねって、男達で言い合ってて、それで…」

そこまで、気まずそうながらも一気にお話されていた善逸様の口が、ぐっ、と閉じられた。
手をもじもじとさせながら、視線は床に向けられて、その先を言うかどうか悩まれているようだ。
私は善逸様と久しぶりに言葉を交わせたことがどうしても嬉しくなってしまって、けれども弾んでしまいそうになる気持ちを必死で抑えつけながらその様子を見ていた。
やがて、善逸様は話すと決断されたようだ、眉を下げ、此方を上目遣いで見つめる。一段、声が低くなった。

「…ねえ、なまえちゃんはさ、もし俺からされたみたいにお付き合いしてくださいって鬼殺隊の誰かからお願いされたら、あの時と同じように受け入れちゃうの?」

…それは、どうだろうか。考えたこともなかったので、キョトンとしてしまう。
鬼狩り様からのご要望は基本的に全てお受けしたいので、肯定が答えになるだろう。
それに、私には既に善逸様という想い人がいるから、もう、不要な想いを抱いて職務放棄するような無責任なことにはならない筈だ。

「そ、そうでございますね…。そのような方はいらっしゃらないと思いますが…」

逡巡しながらもそう答えると、善逸様の顔が苦しげにグシャリと歪んで、また私は間違った選択をしてしまったかと焦ってしまう。
けれどその焦りは一瞬で何処かへ行ってしまった。スッと距離を詰めた善逸様に、両肩を掴まれたから。

「…やだ」
「え、」
「そんなのやだよ、なまえちゃん、絶対だめ。他の男と特別な関係になんて、絶対なっちゃダメだから」

見上げる。べっこう飴の瞳と視線が交わった。
真正面からこんなに近い距離になったのは初めてで、本来なら羞恥心で頭がいっぱいになってもおかしくないのに。
苦しげに眉を寄せているところも、低く掠れた声も、善逸様の雰囲気が普段とあまりに違いすぎて、知らない男性が目の前にいるようで、ただただ見上げることしかできない。

「あのさ、俺…なまえちゃんに言いたいことがあって、」

ドクンと高鳴ってしまう胸を抑えられない。

「俺、なまえちゃんのことが…っ」
「オラァ!クソども!!再開だァ、へたれてんじゃねェ!!」

突然、お庭の方から響き渡った怒号に、二人してビクンッと飛び跳ねてしまった。風柱様のお声だ。お稽古を再開されるらしい。
ということは善逸様ももう戻らねばならないということで…、お話の腰を盛大に折られてしまった善逸様はまだ私の肩を掴みながらも、目に涙を浮かべて悔しげにぶるぶる震えながら歯軋りされている。

「はいはいそうですよねそうなりますよねえ!?すんなりいくわけないんですよ、そういうもんなんですよ!!」
「ぜ、善逸様…?」

雰囲気もすっかり普段のそれに戻ってしまわれた。私の方も無意識に息をつめていたらしく、新鮮な酸素がたっぷりと肺に取り込まれて、ぼうっとしていた頭が途端に動き始める。
善逸様の眉が突然キリッと釣り上がった。

「なまえちゃん!」
「はいっ!?」

すごく大きな声だ。びっくりして私の声まで大きくなってしまう。

「柱稽古が全部終わったら、聞いてほしい話があります!!そん時は、俺に時間をくれませんか!!」

鼓膜がビリビリした。善逸様の勢いに思わず体がのけぞってしまうが、肩を掴まれているので倒れることはない。

「は、はい、承知いたしました」

勢いに負けそうになりながらもなんとかそう答えると、パアッと顔を明るくした善逸様は肩から手を離し、「絶対だからね!!」と振り返って叫びながらドタバタと走って行ってしまわれた。
…何だったんだろうか。嵐のような目まぐるしい展開に頭がついて行かない。
ひとつ確実なのは、やはり私は今でも善逸様をお慕いしているということ。話せるだけで、その手が肩に触れただけで、胸が高鳴ってどうしようも無い。

オラアアアァァ!という風柱様の怒号と複数の悲鳴が遠くから聞こえる。善逸様のお声も混ざっている様な気がする。
私も、与えられた仕事をしっかりやり遂げなければ。お話とは何なのだろうかとどうしても気になってしまう思考をなんとか振り払って、今度こそ岩柱様の元へ出発した。

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