びいどろ玉の恋模様 | ナノ


ここ最近の蝶屋敷は悲しい音で溢れている。
そりゃそうでしょ、あの無限列車での出来事からまだそんなに経っていないし。
炭治郎も伊之助も、そして俺も。心の傷はまだまだ開きっぱなしだ。めちゃくちゃ痛くてたまらない。
そんでそれは、彼女も同じみたいで。

抱えたまんじゅうを落とさないよう慎重に屋敷を歩き回ってやっと見つけたなまえちゃんは、よく晴れた庭に出て洗濯物を干していた。
どこまでも広がる青い空と風に揺れる真っ白いシーツの対比はとても爽やかな気持ちにさせてくれるはずのものなのに、その下に立つなまえちゃんの姿は酷く儚くて、今にもかき消されてしまいそうで。
そんなこと絶対させないからなと、空気をぶち壊すような元気さで、でも驚かせてしまわない様に意識しながら声をかけた。

「なまえちゃん!お饅頭(無断で)もらってきたからさ、ひと段落ついたら休憩にしようよ」
「私は休憩させていただくほどの者では、」
「俺が!なまえちゃんと一緒にお饅頭食べたいんだよね!一緒に!」
「…すぐにお茶を入れてきます」

ちょっと強引過ぎたかな。でも多分これくらいしないとなまえちゃんは一日中何かしら働き続けるだろうしな。
前から頑張り屋さんだったけど、ここ最近のなまえちゃんの働きっぷりは度を超えている。アオイちゃん達もすごく心配してるんだから。

「なまえちゃん、」

言葉通り凄まじい速さでお茶を用意して戻ってきたなまえちゃんと並んで縁側に腰掛ける。
今日俺がなまえちゃんを探していたのは何もただのんびりまんじゅうを食べたかったからではない。

「悩み事があるとさ、腹がこう、ぎゅうっと苦しくなるよね。溜め込んだままだと体に悪いし。壁にでも話してると思ってさ、吐き出してみてもいいんじゃない?」

なまえちゃんの方ではなくふわふわ揺れるシーツを敢えて見ながら、まんじゅうを頬張りつつなーんでもないことを話す様に言う。
なまえちゃんがちらりとこちらを見たのを感じた。
しばらくそのまま無言の時が続く。
多分なまえちゃんのことだから、鬼狩り様にそんなことを聞かせても良いのか…なんて悩んでるんだろう。
でも、その小さな体は、抱え切れないほどの重いものでいっぱいだったみたいで。
やがて俺がまんじゅうを一つ食べ終わる頃、ぽつり、ぽつり、と落とす様に吐露し始めた。

「私はずっと、鬼狩り様のお役に立つことこそを人生の目的と決めて生きてきました。全てを犠牲にして戦っておられる鬼狩り様を、支えたいと」

「私に求められた望みは全て叶えたくて、体と心を鍛え、実際に鬼狩り様からのご要望をお断りしたことは一度もありませんでした。家にいた頃、私はまだまだだと口では言いながらも、自分は鬼狩り様のお役に立てていると…どこかで自惚れていたのだと思います」

鬼狩り様の前にきちんと姿を表して、ご満足いただけていますかと確認することさえしなかったのですから。
そう言ってなまえちゃんは目を閉じ、自嘲するように薄く笑った。

「善逸様のご要望にお応えして外の世界に出てから、短い期間ではありましたが…私は、これまで見てきた鬼狩り様のお姿はたった一欠片にしか過ぎないのだと思い知りました。戦いで命を落とされた鬼狩り様を直接目にしたのでさえ、那田蜘蛛山が初めてだったのです」

「それでも何かもっとできることはないかともがいていた矢先…あの列車で、鬼狩り様が日々向き合われている残酷な現実を目の当たりにしました。私はただの役立たずでしかなかった。ほんの一部にも満たない部分に関わっただけで手助けをできている気分になって。…思い上がりもいいところでした」

順風満帆に生きていて、初めて直面した現実の中で経験した大きな大きな挫折。
実際はそんなことはないんだろうけど、自分としてはそれまで特に躓いたことはなかったと思っているからこそ、心がボロボロになってしまって、自分でうまく立ち上がれなくなってしまっているんだろう。
いつもキラキラと綺麗なびいどろ玉をこれでもかと曇らせ己の無力感に苛まれるなまえちゃんの姿に、見守っている俺まで胸が痛くなってくる。

と、同時に俺は、気付いてしまった。

『鬼狩り様のご要望をお断りしたことは一度もありません』。
『善逸様のご要望にお応えして』。

家紋の家を旅立つときに感じた違和感の正体が今やっとわかった。
なまえちゃんの返事には、一番大切であるはずの俺を好きだという気持ちがこもってなかった。だからしっくりこなかった。
なまえちゃんはただ『鬼殺隊士である俺からされた交際してほしいという要望に応えた』だけだったんだ…。

冷静になって思い返せば、なまえちゃんの音は俺と居てもいつだって平坦なままだったじゃん。
恥ずかしがり屋さんだから、とか、もともと音が聞こえにくい子だから、とか、勝手に解釈してたけどさ。

…まるで餅つきの杵で頭をガツンとぶん殴られたみたいだった。

『他に本命がいるのに交際を申し込んだ俺のことを本当はどう思ってるのか?』っていう、前から抱いていた疑問の答え。
『特筆すべき感情を持ち合わせていないから何とも思っていなかった』が正解だったみたい。
…いや、もしかしたら心のどこかでそれがわかっていたから、怖いだの何だの言い訳を重ねて、無理矢理そんなはずはないと信じ込もうとしてたのかもな。だから本当のことを知りたくなくて、あの誤解を訂正しようとしなかった。時間も機会も、沢山あったのに。

胸が痛くて、手足がジンジンしてうまく力が入らない感覚を味わう。
…でも今、一番大切なのはそこじゃない。
目の前で、俺にとって他の誰よりも大切な女の子が、こんなにも悲しい苦しいって音を立てている。

「那田蜘蛛山でも列車でも、役に立ってないなんてことなかったよ。なまえちゃんの手当で助かった人、たくさんいたでしょ?列車の下敷きになってた人だって一生懸命助け出してくれたじゃない」
「…………」

なまえちゃんが返事をしてくれないなんて、出会ってからこれが初めてだった。それくらい、心がぽっきり折れてしまってるんだ。
どうすればなまえちゃんの気持ちが少しでも軽くなるかを意識しながら、慎重に慎重に言葉を選んでいく。

「俺ね、よわっちくてさ、理想の自分に全然近づけないんだよ。でも俺頑張ってみるからさ、任務はめっちゃ怖いしすぐ死んじゃうかもしれないし弱音も吐いちゃうかもしれないけど…逃げるのはやめる。だからなまえちゃんも俺と一緒に、また頑張ってみない?」

夢見た自分と、本当の自分。
あまりにも違い過ぎてボキボキに折れちゃう気持ち、俺にもわかるよ。
でも立ち止まっちゃだめなんだ。傷ついてベコベコになって、それでも立ち上がらなきゃ前に進めない。

「理想の、自分…」
「そう。俺の育手のじいちゃんが言ってたんだけどさ、刀って叩いて叩いて叩きまくって、硬く強靭な刃に仕上げるんだって」

そんで俺の頭ゴチンゴチン毎日ぶっ叩くんだけどさ、それがまた痛くて……って違う。

「今なまえちゃんは、初めて外に出て色んなことを知って、ガンガン叩かれてる最中なんじゃないかな。つれーし泣きそうだし逃げたくなるけどさ、思い描く自分になりたかったらそれでもめげずに進むしかない……って、俺は、思うん、だけども…ね……?」

なまえちゃんに元気になってもらいたくて一生懸命思いつくことを話していたものの、俺なんかがこんな偉そうなこと話していいのか…?と唐突に自信がなくなってきてしまった。
どんどん尻すぼみになっていくのを不思議に思ったのかなまえちゃんが俯いていた顔をあげる。
上から目線すぎない!?偉そうだったよねえ!?とどうしても挙動不審になってしまう俺を見かねたのか、「素敵なお師匠様ですね」と小さく微笑んでくれた。

またしばらく無言が続いたけど、話を始める前みたいに重いものではないように思う。
なまえちゃんから聞こえる音が、少しずつ少しずつ彼女が立ち直り始めているのを教えてくれる。

「そう、ですね。立ち止まっている時間がもったいないですね」
「まあなまえちゃんの場合はもっと休憩した方がいいんだけどね!知ってる?しのぶさんもカナヲちゃんもアオイちゃんもきよちゃんもなほちゃんもすみちゃんも、みんなみーんなずっと働き詰めのなまえちゃんのこと心配してたんだよ。もちろん俺もね!」

思いがけないことだったんだろう、見開いた目をぱちぱちとさせて驚いている。
そんでさ、いっぱい話してきたけど、これが、俺が伝えたい一番大切なこと。

「俺は、なまえちゃんが一緒にいてくれて、とてもとっても助かってるよ」

なまえちゃんのびいどろ玉がきらりと光って、嬉しいという音が耳に心地よく響く。
俺のありがとうの気持ちがちゃんと伝わったのかな。伝わってくれてたら良いな。

もし誰か他に耳のいい人がいたら、今の俺の音はどんなふうに聞こえてるんだろうか。
多分、すごく歪な音をしてると思う。
炭治郎は鼻が利く上に嘘みたいに優しいから、もしここにいたら自分のことみたいに悲痛な顔をするかもしれない。

それでも俺は、辛い悲しいと叫んでる自分の気持ちにそっと蓋をして。
なまえちゃんが前を向いてくれたんなら、あと今すべきことはお付き合いの解消だ、と思う。
だってなまえちゃんは俺のことが好きでお付き合いしてくれたわけじゃないから。想い合っていないのにそんな関係を続けるのはおかしいわけで。早く解放、してあげなくちゃ。

「…あの、こんなことを言うのは失礼に当たるかもしれないと思って黙っていたんですが」

すべきことはわかっているのになかなか切り出せないでいると、なまえちゃんの方が意を決したように話し始めた。
膝の上に乗せられた小さな両手に視線を落として、揃えたり握ったり、落ち着きなく動かし続けている。

「善逸様の戦うお姿、稲光のように美しくて見惚れてしまいました。…とても、素敵でした」

そう言ってこちらを見たなまえちゃんは、溢れた涙を指先で拭いながら綺麗ににこりと笑った。
いつそんなとこ見せたんだ俺…と不思議に感じつつも、その言葉と笑顔を心から嬉しいと思ってしまう俺には、なまえちゃんとの唯一無二の繋がりを自分から断つなんてこと、最初からできるはずがなかったんだ。

「…ほら!お饅頭!食べてよ!なまえちゃんに食べて欲しくて持ってきたんだからさ!」
「はい。ありがとうございます。…とっても、美味しいです」
「いいえ、どういたしまして!この後さ、このお饅頭持って炭治郎のところにも行こうと思ってるんだよね。炭治郎も結構落ち込んでるみたいだからさ…。よかったら、なまえちゃんも一緒に行かない?」
「はい。お供させていただきます」

ずるい男でごめんね、なまえちゃん。なまえちゃんが少しでも嫌だって言ったらすぐに離れるからさ、もう少しだけ俺の一番そばにいてくれないかなあ。

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