10000HITリクエスト部屋 | ナノ

そうして私は愛を知る


最初から、わかっていた。
何も持たない私なんかでは、善逸さんとは絶対に釣り合わないってこと。

腕の中には、既に冷たくなってしまった母の死体。父の躯も、手を伸ばせばすぐ届く距離に転がっている。
決して裕福な暮らしではなかった。それでも温かく優しく私を守り続けてくれていた両親はもう、この世にいない。死んでしまった。殺されてしまった。鬼、という異形の怪物の手で。

「ああああああっ!うあああああああ…!!!」

私は、泣き続ける。住む家すら、鬼との死闘の末に崩れてしまった。その戦いを辛くも制した私とそう年の変わらなさそうな黄色い羽織の剣士さんは、慟哭する私のそばでただじっと佇んでいた。

「……間に合わなくて、ごめんね…」

悔し気に唇を噛み締めた剣士さんが、目の下の隈を一層深くしながら落とすように呟く。謝る必要なんてないのに。貴方は自分が傷つくのも厭わず、間一髪生き残った私を必死に守り抜いてくれたのに。そう言いたいのだけれど、私の心は壊れてしまったのだろうか、苦しみを叫びに乗せて吐き出すことしかできなくなってしまったみたいだ。

これは、夢。もう何度も見ている、過去の夢。
私が全てを失ったあの日の、夢。

目が覚めて最初に視界に入ったのは、まだ陽は昇っていないながらも確実に朝の訪れを主張する、薄暗い外と内を隔てる障子窓だった。眠気を追いやるように数回瞬きを繰り返してから、横向きに眠っていた体をゆっくりと起こす。
布団を畳んで押し入れにしまい、着物を替え、鏡台の前に座り髪を緩く一纏めにしたところで、障子の向こう側に人の気配を感じた。その人物はこちらの気配を伺うように少しだけ動きを止めた後、そろそろ…と静かに開けた障子から顔を出す。

「おはよう、なまえちゃん」
「はい。善逸さん、おはようございます」

挨拶を返した私に表情を綻ばせたその人、善逸さんは、私のそばまで足をすすめてすぐ隣に腰を下ろす。「まだ朝ご飯の支度までちょっと時間あるからさ、それまでおしゃべりしようよ」と言いながら。

「…善逸さんは、今日はお出かけなさるんですよね」
「うん!またちょっと街までいってくるね。あっ、今日はそんなに遅くならないと思うよ!でも心配だから、離れじゃなく禰豆子ちゃんと一緒にいてね」
「わかりました」

離れ、とは、竈門家のすぐ隣にあるもう一軒の家のこと。竈門家代々の人望もあり、麓の村の皆さんがあれやこれやと手助けして建ててくださった、こじんまりとしつつもしっかりした作りのお家。今、私たちが会話しているこの場所のことだ。
費用は、善逸さんが全て出してくださった。祝言をあげたら一緒に住もう、と言って。未来の我妻家になるらしいそれは、けれど祝言前に一つ屋根の下で二人きりだなんてそんな!と大騒ぎした善逸さんがまだ竈門家を主な居住場所としている為、今は何故か贅沢にも私だけが住まう場所となっている。

鬼に襲われ全てを失った私に温かい手を差し伸べてくださった、聖人のようなお方。蝶屋敷という住み込みで働ける場所まで紹介してくださって、それだけでもう充分救われていたのに。
鬼無辻との戦いが終わった後、これからどう生きていこうかと半ば放心していた私に、善逸さんは言った。俺と結婚してください、と。
告げられた時には、正直何が起きたのかよくわからなかった。頬を赤く染め上げ真剣な顔をした善逸さんだけが記憶の中に強く残っていて、もしかしたらあれは私が見た都合のいい夢なのではないかという疑いが、今も消えない。未来の我妻家だというこの場所を与えてくださったこと以外、婚約者らしいことをした記憶もないし。それどころか、恋人のような振る舞いですら。

胸の内に湧き上がってきた暗い物思いを振り切るように、ゆっくりと立ち上がった。雨戸に近づき開け放つと、こじんまりとした庭の向こうに植わっている桜の木が自然と目に入る。

「桜の季節も、もう終わりますね」
「そうだねえ。この辺りは気温が低いから遅咲きだったみたいだけど、それでもねえ」

桃色の中に混じる緑が随分と濃くなってきたその木を見ながらつぶやくと、後ろで座ったままの善逸さんも優しく相槌を打ってくれた。
この離れで暮らすようになってから、善逸さんとは毎朝あの桜を眺めてきた。その穏やかな時間が、私はとても好きで。散りゆく桜に大切なひと時の終わりを感じた私は、雨戸に沿えていた右手をぎゅっと握りしめる。

「……街、行きたかった?」

『音』で私の感情の揺れを敏感に感じ取ったらしい善逸さんが、けれど実際に私が考えているのとは違うことを気にかけてくださった。振り返ると、太めの眉をしゅんと下げて申し訳なさそうに私を見ている。

「ごめんね。今日もちょっと、野暮用でさ…」
「…いえ。ゆっくりなさってきてくださいね」

この方は本当に、素直な人だ。『野暮用』と濁すその瞬間、瞳が微かに揺れていたことに気付いてしまった。気付かせないでくれれば、いいのに。
善逸さんが一人で山を降り、街へと繰り出していくのは今日が初めてではない。むしろ最近は回数がかなり増えている。麓の村はともかく、街まではそれなりに離れているというのに。
険しい山を登り降りし、さらに遠くまで歩いていく苦労を越える何かが、そこにはあるとでもいうのだろうか。食か、娯楽か、それとも。
私はその先に続くものについて考えないふりをしながら、「また今度、一緒に行こうね」と誤魔化すように頭を掻いた善逸さんへ「…はい」と笑い返した。


皆さんと一緒に朝食を摂った後、善逸さんは予定通りいそいそと出かけていった。炭治郎さんと伊之助さんも、山を降りて炭売りの仕事へ。私は禰豆子さんと一緒に、村で炭治郎さん達が請け負ってきてくださった繕い物の内職に精を出していた、その時。

「あっ!お兄ちゃんったら、忘れないでねって言ったのに!!」

玄関先にポツンと残った風呂敷を見て、禰豆子さんが叫ぶ。あれには確か、今日お届けするはずだった繕い済みのお着物が入っている。炭売りのついでに届けるはずが、持っていくのを忘れてしまったのだろう。

「ううーん。どうしよう。申し訳ないけど明日でいいかなあ」
「…私が、持っていきましょうか。お約束を破るのは良くないですし」
「えっ!そ、それなら一緒にいきましょ!一人で山を降りさせるなんて、私が善逸さんに怒られちゃいます!」
「大丈夫ですよ。それに、この繕い物もなるべく急ぎだって言われてますし」

そもそも善逸さんが禰豆子さんを怒ることなんて、天地がひっくり返ってもないことだと思うのだけど。ましてや私を一人にしたからだなんて、そんな理由なら尚更ありえない。
そう思いながらも禰豆子さんの手元にあった着物を指さすと、彼女は「うっ…」と言葉を詰まらせる。結局、帰りは絶対に炭治郎さんたちと合流すること、と口酸っぱく言われた後、私は禰豆子さんに見送られて一人で竈門家を出発した。
道中これといった問題はなく、私は無事村に着いてすぐ、まずは繕い物をお届けに向かった。感謝と報酬のお金をいただいてから、炭治郎さん達探しを開始する。通りで声をかけて売っていると言っていたから、苦労せず見つけられるはずなのだけど。そう思いながら進んでいった路地で、私は捜索していたのとは別の人を視界に捉えた。

善逸さんだった。街へ行ったはずの人が、どうしてここに。団子屋の軒先で、店の長椅子に腰掛けて可愛らしい女性と話をしている。心底幸せそうな笑顔を、浮かべて。
善逸さんが懐に手を入れ、掌くらいの大きさの平べったい木箱を取り出した。優しく開かれたそれを覗き込んだ女性が、両手を合わせて歓喜に顔を輝かせる。箱の中身が何かはここからでは見えなかったけれど、二人がまた目を合わせて微笑みあったその頃にはもう、私は全てを悟ってしまっていた。

つまり私は、ただのお荷物だっただけでなく、お邪魔虫でもあったというわけだ。あの木箱は、愛しい本命への贈り物といったところか。思わず視線を落として、自嘲の笑みを浮かべる。

私の家族を救えなかった責任感から、居場所を与えてくれただけでなく結婚しようとまで言って、これまでずっと私の面倒を見続けてきてくれた彼のことだ。本当は心を捧げた人が私の他にいるのだとしてもきっと正直には言ってくださらないのだろうし、私をあの離れから追い出すこともしないのだろう。……だったら。

私は善逸さんに見つからないようそっと踵を返した。結果的に禰豆子さんとの約束まで破ってしまうことになったけれど、心の中で謝りながら山道を一人駆け上る。
帰宅したことを悟られないよう静かに離れへと戻り、甘味でも買いなよと善逸さんから頂くたび使わずに貯めていたお金と、最低限の下着等を風呂敷に詰めた。そして感謝の言葉とお金はいつか必ず返す旨を書き残すと、私は再び離れを出て、炭治郎さん達と鉢合わせないよう別の経路で山を下っていった。もう二度と、この場所へ帰ってくることはない。

直接別れを告げる強さは、私にはなかった。私では釣り合わないとずっとわかっていたけれど、それでも私は恐れ多くも惹かれてしまっていたから。善逸さんの優しさや、強さや、温かさに。だからこれまで、ずるずると甘え続けてしまっていたのだ。手遅れに、なっていないといい。散りゆく桜の花びらが絨毯のように彩る山道を行きながら、私は我慢しきれず少しだけ泣いた。
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