ご都合鬼血術万歳! | ナノ
「精神に作用する系統の血鬼術だとは思うのですが…それ以上はわからないですね」

なんとか帰り着いた蝶屋敷の診察室で、病人着姿の名前ちゃんを診てくれたしのぶさんがそう言った。鬼の爪にやられた傷はそんなに深くなかったらしく、時間はかかるだろうけど痕は残らないとのことだ。よかったよかった。名前ちゃんは女の子だしね。

「血鬼術全般に効くお薬を出しておきましょう。元凶の鬼は死んでいますし、あとは陽光に当たって安静にしていればそのうち治ると思います」
「そ、そのうち、ですか…」

しのぶさんのどこか暢気な診断結果に俺は顔を引き攣らせた。え?なんで名前ちゃんの診察なのに俺まで居るのかって?…それはだなあ。

名前ちゃんがもうずーっと、一寸も俺から離れてくれないからだよッ!!!

蝶屋敷に戻ってくるまでも大変だったんだからな!俺に腕を巻きつけてぎゅうぎゅうと抱きしめてくる名前ちゃんは、説得しようとしても全く聞く耳を持たなかった。

「ね、ねえ、これじゃ上手く歩けないしさ、」
「やだ!何言われたって離れないから!じゃあこれならいいでしょう?」

そう言ってにんまりと笑った名前ちゃんは俺に正面から抱きつくのはようやっとやめてくれたんだけど、すぐ腕に絡みついて俺をきゅるんと見上げてきた。ああまたこの目だ。きらきらの目。こんな風に見つめられて、邪険にできる奴なんているもんか。
そうして俺たちは、ぴったりくっついたまま蝶屋敷までなんとか帰ってきたという訳。年頃の男女が人目も憚らずべたべたしてるもんだから、すれ違う人すれ違う人、あらまあとでも言いたげに俺たちを見てきた。俺は羞恥心でもう何も言えなくて、にこにこるんるんな名前ちゃんの横でダラダラ汗を流しぐっと口を引き結んでいるしかできなかった。…さすがに着替えは、ふすま一枚隔てたところで絶対待ってる、逃げない!って条件で、なんとか自分でしてもらったけどさあ。

「お大事に」と微笑むしのぶさんに見送られて二人で診察室を出る。その間もずぅっと、上機嫌の名前ちゃんは俺の腕にしがみついたままだ。頬をすりすりと擦り付けてすらいる。うう…。
え、ええと、とりあえずどうしようかな。任務に出発してから握り飯しか食べてないし、お腹すいたな。多分名前ちゃんもそうだよね。

「名前ちゃん、お腹空いてない?アオイちゃんに頼んで何か食べるものをーー…」
「善逸!名前!大丈夫か!?怪我をしたって聞いたが!」

食べるものをもらいにいこう、そう言いかけた俺の言葉にかぶさってきたのは、向こうから心配そうな顔で駆け寄ってくる炭治郎の声だった。後ろから伊之助もついてきている。

「ああ、俺は大丈夫なんだけど、名前ちゃんが俺を庇ってくれて、怪我させちゃってさ…」
「そうなのか…。名前、大丈夫か?」
「うん。痛いけど耐えられないほどじゃないよ」

っそうだよねえ、痛いよねえ!?状況に混乱して頭から抜け落ちてしまっていた心配が途端に湧き上がる。あわわ、とつい泣きそうになった俺だけど、そんな俺のことは気にもしていない伊之助が怪訝そうに俺たちを指さした。

「…おい、こいつどうしちまったんだ?なんで紋逸にべったりなんだ」
「そ、それは俺も気になっていた…」

炭治郎も、言いにくそうにしつつも名前ちゃんをちらりと見る。まあそらそうだよね。ハァ、とため息をついて俺は提案した。

「俺もよくわかってないんだけどさ、そんなんでもよかったら訳を話すよ。とりあえず腹減ったから何か食べながらでも良いか?」


+++


貸してもらった和室で三人仲良く正座をして(伊之助は寝転んでる)、昨日指令を受けてからの一連の流れを説明した。俺と名前ちゃんの前にはアオイちゃんが用意してくれた遅めの昼食が置かれている。

「…あむ。もごもご…、ってまあそんな感じでさ、名前ちゃんはこうなっちゃったってわけ」
「なるほど…血鬼術か…」
「むぐ、ごくん。しのぶさん曰く、薬飲んで日に当たってれば治るって話だし、名前ちゃんにはしばらく日向ぼっこしててもらうしかないかなあ…。…あむ」
「……失礼かもしれないが、違和感のある光景だな…」

相変わらず横から離れない名前ちゃんが俺の口に甲斐甲斐しく押し込んでくるおかずを咀嚼しながら話していたら、炭治郎がちょっとだけ頬を染めて苦笑いをこぼした。俺だって人前でこんなさ、恋中でもない同期の女の子からあーんってされるのは恥ずかしいわ。でもやめてくれないんだよ、名前ちゃんが。

「お茶飲む?」
「ああうん、ありがと。ていうか名前ちゃんも食べなよ」
「私も善逸くんに食べさせて欲しいの!」
「んええぇっ!?」

差し出された湯飲みを受け取って何気なく言ったのに、まさかの応えが返ってきた。いらんことを言ってしまったかもしれん。でも名前ちゃんだってお腹空いてるだろうし…。

「あーん!」
「…はい、あーん……!」
「普段のこいつが今の光景を見たら卒倒するんじゃねえか」

珍しくお前に同感だよ、伊之助。俺が箸で運んだ小芋を嬉しそうに咀嚼する名前ちゃんは、にっこりと笑いかけてくる。俺も引き攣っているであろう苦笑いを返しながら、心の中でため息をついた。
そうして友人二人に女の子との食べさせあいっこを生暖かく見守られるという恥ずかしすぎる時間をなんとかかんとか終えた俺たち。昨日から寝てないのも相まってぐったりとしていたら、炭治郎が空気を変えるようにぱんと手を合わせた。

「二人とも!腹が膨れたなら次は風呂に入ってきたらどうだ?汗と汚れで気持ち悪いだろう」
「あ、ああ、そうだな!あっでも、名前ちゃんは清拭だけになっちゃうか」
「今日のところは仕方ないな。手ぬぐいと湯は俺がもらってくるから、善逸は先に風呂へ、」
「やだ」

…『やだ』って、何が?俺と炭治郎の動きが止まる。伊之助はもう興味を失って寝てる。ぷうと頬を膨らませた名前ちゃんは俺にまた横から抱きついてきた。

「私も善逸くんとお風呂入る!一緒に!」
「いっ、いやいやいやいや!?流石にそれは駄目じゃないかなあ!?」
「やだ!離れたくない!!」
「とは言ってもなあ、血縁関係でもない男女が一緒の風呂に入るというのは…」

炭治郎と二人でわたわたと説明したって、名前ちゃんはつんと明後日の方向を向いて全然聞いてくれない。これだよ、これだよ。もうずっとこの調子なんだから!
けれどしばらくすると、ピンと何かに気付いたような顔をした名前ちゃんが突然スッと俺から離れた。そして「わかった。いってらっしゃい、善逸くん」と、やけに素直に笑いかけてくる。
俺も炭治郎もそのあまりの変わりように揃って首を傾げたけど、最終的には名前ちゃんの気が変わらないうちにさっさと風呂を済ませてこようという結論に至った。

「じゃ、じゃあ、あとはよろしく!」
「ああ!任せてくれ」

炭治郎と名前ちゃんの笑顔に見送られて部屋を出る。途中すれ違ったアオイちゃんがお風呂の準備もできていますよと教えてくれたので、ありがたくそのままの足で風呂場まで急いだ。

「っ、ああ〜!生き返るうう!」

脱衣所で手早く服を脱ぎ、まずは体を洗ってから浴槽へどぼん。任務で疲れた体にたっぷりの温かい湯が効いて、思わずおっさんみたいな声が出てしまった。
はあ、極楽極楽。でも一人用の風呂だしさ、名前ちゃんがたとえ男だったとしても、一緒に入るのは無理があったと思うよ。

つい昨日まで俺のことをまるで生ゴミみたいに見てた名前ちゃん。今はとろとろに甘い瞳で俺を見つめてくる、名前ちゃん。正直に言うと悪い気はしない。そりゃ嫌われてるより好いてもらえる方が嬉しいでしょ、やっぱり。
濡れた顔を片手で拭う。でもあんなにきゅんきゅんと幸せそうな音を立ててくれているのは、血鬼術にかかってしまっているせいなんだよなあ。俺の代わりに怪我をして、その上普段は不快に思ってる男にベタベタせざるを得なくなるなんて、どんな罰なんだよって感じだよねえ。そうそう、こんな感じの音させてさ、きゅんきゅん、きゅーん、って……。

…あれ、と俺は固まった。聞こえるんだ。名前ちゃんがさっきまで俺に向けてくれていた、幸せそうに高まった胸の音が。
血鬼術が『俺にベタベタするようになる』ものじゃなく、『近くにいる男にベタベタするようになる』ものだったとしたら。炭治郎は清拭の準備をすると言っていた。まさか名前ちゃん、今度は炭治郎に、拭いてほしいの!なんて迫ってるんじゃないだろうな。堅物炭治郎が応えるわけないんだけど、それでも。

もやり、とよくない感情が胸に渦巻いた。

「ッッッ名前ちゃん!!!清拭は自分でできるよねええええっ!!!」

ザバリと勢いよく湯船から上がり、風呂場を飛び出す。もちろんのこと素っ裸で突入した脱衣所には、なぜか俺の脱ぎ捨てた羽織にくるまっている先客がいた。いや実際のところ先客は俺なんだけど。あれ、なんだかもうよくわからなくなってきたな。
お互い固まることたっぷり三秒。ばちりと合っていたその目線がすすす…と下へ移動していって、俺はようやくそこを両手で隠しながら飛び上がった。

「ヒギイイイアアアアアアアアア!!!!!」
「あっ!名前!こんなところに…!」

遅れて現れた炭治郎はえらく焦っていた。一方の先客?である名前ちゃんは頬をぽうっと染めて、「…ちゃんとは、見てないよ」と、また俺の羽織に顔を埋める。きゅんきゅんと、甘い音をさせながら。

「清拭の準備をしてる隙に居なくなるからびっくりしたぞ!こんなところにいちゃだめだ!戻ろう!」
「やだ!私は善逸くんの脱ぎたて羽織を思う存分すーはーしたいの!!」

全身びっちょびちょのまま浴室の壁に身を隠して、顔だけで脱衣所の様子を覗き見る。言葉通り俺の羽織に包まって匂いを嗅いでいる名前ちゃんと、それを引っ張って辞めさせようとしている炭治郎という地獄絵図が広がっていた。

「はわ〜!善逸くんに抱きしめられてるみたい!きゃ〜!!」
「きゃーじゃない!行くぞ!!」

普段紳士的な態度を貫く炭治郎でももうどうにもならないと腹を括ったらしい。むん!と名前ちゃんの首根っこを掴んでずるずる引きずっていく。名前ちゃんは羽織を抱きしめたまま「すぐ戻ってきてね、善逸くぅん!」と照れたように笑いながら脱衣所の戸口から消えていった。
と、盗られたのは羽織だけだよな!?床に脱ぎ捨ててあった衣服を慌てて調べれば、隊服も、足袋も、…褌も。羽織以外のものは恐らく全て手付かずのままちゃんとそこにあってくれた。

「…何なのォ…何で俺だけこんな目にぃ…?」

しゃがんで調べた体勢のまま、途端に静かになった脱衣所で自分を抱きしめつつ子猫のようにぶるぶると震えることしかできない。名前ちゃんが突然俺から離れたのは、俺が脱いだ直後の羽織を狙っていたから。何もかもが意味不明な中、そのことだけははっきりとわかった。
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