むかしむかしあるところに、 | ナノ
04 けれど、そんな二人の前に脅威が立ちはだかりました。

やっぱり、彼は想像通りの素敵な、いや素敵すぎる人だった。
半ば勢い任せで声と引き換えに手に入れた足を駆使して陸へと上がり、彼の人、善逸さんと過ごしたのはたった一日だけ。でも、この人がどれほど心優しく善良な人間であるのかを知るには、それだけでもう十分だった。
陸の常識も知らず、意思疎通すら取れない女に、"着物"を与え、美味しい食事を与え、夜になった今もずっと、見捨てずそばに置いてくれる。初めて触れる人間世界の全てがこんなに素晴らしく感じられるのはきっと、善逸さんと一緒に体験したからだ。

でも、難しい。声が出せない今の状況で好意を伝え、口吸いをしてほしいと頼むことは本当に難しい。
くい、と前を歩く善逸さんの着物を引っ張ると、彼は優しく「どうしたの?」と振り返ってくれる。だから私は彼の瞳をじっと見上げて、唇を気持ち突き出してみた。

「………」
「ッえ…?な、なに?何なの…?」
「………!」
「ご、ごめんねえ?この音なんだろう…、わかってあげられなくてごめんよお…」

カアア、と赤くなってはくれる。でもそれでおしまい。私のやりたいことは大体予測して対応してくれる彼だけど、流石に口吸いしてほしいという気持ちは読み取ってもらえないみたい。
そりゃ、そうか…。善逸さんにとって私はさっき出会ったばかりの変な女だし。私が溺れていた彼を助けたことは、知らないわけだし。
申し訳なさそうに私をチラチラと見る善逸さんに、見つめるのをやめて、気にしないでくださいという気持ちを込めて笑いかける。彼は眉を下げてまだ私のことを気にかけながらも、「じゃあ行こっか…?」とまた歩き始めた。

そして到着したのは"宿屋"という場所の前。道中善逸さんがしてくれた説明によると、ここは寝たり食事をとったりして体を休めるところらしい。

「ねえ、俺ちょっと探し物をしててさ、外に出ようと思うんだけど君はここに…」
「…!……!」
「う、うーん、着いてきたいの…?どうしよっかなあ…」

『君はここにいて』と言われてしまいそうになった私は、彼が言い切る前に必死で首を横に振った。置いていかれるのが嫌だったわけではない。善逸さんは何か探し物をしているというから、それを探すお手伝いをすることで、今日一日の御恩を返せたら、と思ったからだ。
少しだけ迷った彼は私の眼力に負けたようで、その腰に挿した長い棒の先を撫でながら、「絶対に、俺のそばを離れないでね…?」と最終的には了承してくれた。

それにしても善逸さんは、こんな暗くなってから一体何を探すというのだろう。探し物をするなら、日の昇っている明るいうちにすればよかったのに。もしかして私の相手をしていたから、できなかったのだろうか。それなら尚更、お役に立たないと。
特に周囲を見回している様子もない善逸さんを少し不思議に思いながらもその背中についていく。すると、昨日善逸さんを救出し、今日また出会ったあの海岸にたどり着いていた。なるほど、昼間は探し物をしにここへ来て、私と遭遇したということか。
善逸さんが両耳にぱちん!と手を当てて、唐突に立ち止まる。ぶつかりそうになったその背中から顔を出して前方を確認すると、遠くに人影が見えた。

「…、こ、この音…ッ」
「あっ!貴方様は、あの時の!」
「………!」

その人影から聞こえたそれは、私の声だった。驚き、目を凝らすと、人影が誰なのかもすぐにわかった。あの、人魚だ。私に、脚をもたらす秘薬をくれた、あの。

「私のことが分かりますか?昨日貴方を助けた者です!ご無事でよかった…!」
「………!?」

私の声で、何を言い出すのか。意図が分からなくて、混乱することしかできない。確かに、助けた彼に一目惚れしたという話はした。でもその知識を利用しわざわざ私に成り代わって、彼女は一体何を。彼女も、善逸さんのことが好きだとでもいうのだろうか?
善逸さんは「やばい、やばいよアイツ、」と呟きながら何故かガクガク震えている。それに気付いてない様子のあの人魚は、同じ秘薬を使ったのだろう脚を動かして、こちらへ走り寄ってきた。

「ヒギャアアアア!!!!来たアアアアアア!!!!!」

突然叫び声を上げた善逸さんの体から力が抜けて、ふらりと倒れ込んできた。慌てて全身でその体を支えたけれど、自分より大きな彼の重さを載せて立っていられるわけがない。どしんと尻餅をついてその顔を覗き込めば、善逸さんは硬く瞳を閉じて、気を失ってしまっているようだった。まるで昨日助けた時のように。

「どう、されたんですか…?」

あの人魚が心の底から心配していると言いたげな声で言いつつそろりと近づいてくる。何がしたいのかわからないけれど、私だってこの人が好きなのだ。渡すわけにはいかないと、腕の中のその頭を優しく抱きしめた。

「……声を聞いて、わかったよ。全部わかった」

意識を失っていたはずの善逸さんが今までとは一段低い響きで話しながら、また突然むくりと起き上がった。『声を聞いてわかった』。それは、彼女が自分を助けた者だということを?違うのに、貴方を助けたのは、彼女じゃなく、私なのに。伝えたくても声が出ない私には、そんな簡単なことさえできない。
けれど、絶望して座り込んだままの私の前に立った善逸さんは、背後の私を守るように左腕を広げてみせた。

「なにが目的か知らないけど、自分の足で海から出てきてくれる間抜けで助かった」
「!!!」

そう言った善逸さんが、腰の棒に手をかけ姿勢を低くする。そこで初めて何かに気付いたらしい人魚は焦って砂を蹴り海へ逃げ込もうとしたけれど、何もかもが手遅れだった。

「雷の呼吸・壱の型。霹靂一閃」

光が駆けた。その風圧で倒れ込みそうになりながらも必死で耐え、巻き上がった砂埃に思わず目を閉じて顔を覆うしかない。
その砂の向こうから、善逸さんの声がする。

「俺を助けてくれたのは、お前なんかじゃない。俺の耳が人より良くて、残念だったな」

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