善逸くんは幼馴染 | ナノ

社会人二年目


金曜もお昼を過ぎる頃になると、待ちに待った週末がすぐそこまで来ていることにソワソワしてしまうのは仕方ないと思う。
季節が一巡して、仕事もやっと板についてきた。新人だった私にも後輩ができて、去年はあんな感じだったなあと一生懸命働く彼らを懐かしく眺める余裕さえ生まれていたり。
今週もよく頑張った。お昼休みの残りわずかな時間、用を足しにきたお手洗いの鏡の前で考える。明日は春物のバーゲンでもあさりにいこう。今夜は何をしようかな、録り溜めてるドラマを観て、それから。
その時、サイレントモードにしているスマホの画面が、台に置いたハンカチの上でパッと点灯したのが目に入った。通知を見ると、続け様に現れる短い文章たち。

『今日空いてる?』
『飲み行こ』
『迎えにいくから勝手に動くなよ』

くすり、と笑みが漏れる。すぐにロックを解除して『りょーかい!定時上がり頑張ります』と返せば、『たのんますよ』とまたすぐに返事がきた。
私はつい先ほど立てた今晩の予定をあっさり塗り替えながら、少しだけ前髪を整えてお手洗いを後にした。録画済みのドラマなんて、いつ観たっていいんだから。

宣言通り定時で仕事を終わらせて、またお手洗いに寄り軽くお化粧を直してからエレベーターに乗り込んだ。ビルの入り口を出て少し歩いた先の街路樹の脇に立っているのが、さっきスマホでやりとりした相手。ずっと金髪だったのが社会人になってまた黒に戻った、善逸くんだ。

「お待たせ〜!早かったね」
「まあね。とりあえず行こ。昼食えてなくてさ、もう腹ペコなのよ俺」
「…? 何かあったの?」
「……後で話す。今日呼んだの、聞いて欲しかったからってのもあるし」
「おっけー。愚痴でも泣き言でもなんでも聞きますよ」
「さんきゅ。頼もしいねー」
「じゃあ今日は善逸くんの奢りかな?」
「うわひどくない!?前言撤回だわそんなの!」

軽口を叩いて笑い合いながらも隣を歩くその顔をそっと横目で確認してみれば、隠しきれていない疲れの色が滲んでいる気がする。…これは、こっ酷く凹む様なことが何かしらあったな。
直感的にそう見抜いた私は馴染みの店のいつもの席でネクタイを緩めながら「とりあえず生中!名前は?」とオーダーした善逸くんに、「一杯目は烏龍茶にしようかな」と応えた。

「あれ?この後何かあるの?」
「ないよ。強いて言えば、善逸くんの愚痴とことん聞くって任務がある」
「えっ…名前…」
「一杯目だけは、って話ね。私も後々しっかり飲ませてもらうから、遠慮せずにまずはどーんと吐き出しちゃいなよ!」

私がそう言って笑いかけると、まだお酒も入っていないというのに途端に善逸くんの眉が下がり、瞳はうりゅ…と涙で濡れる。それからちょうど運ばれてきた中ジョッキを持って少しだけ何かを考えるように止まったと思ったら、突然ぐいっとそれを煽り、なんと一息で全部飲み干してしまった。
わあこれは相当だぞ、と改めて覚悟を決める。確か善逸くんはお昼も食べていないと言っていたし、空きっ腹に一気飲みはかなり効くはずだ。

善逸くんがお酒を流し込む手は止まらなかった。空になったジョッキが増え、ビールだけでなくハイボールや酎ハイ等ちゃんぽんが進むにつれ、その呂律はどんどん怪しくなって、目も座っていく。
今まで何度も一緒に飲んだことがあるけど、こんなに自暴自棄な飲み方をする善逸くんは初めて見た。二人きりで飲む時は特に、「名前ひとりで帰らすなんてできないし、俺が潰れるわけにはいかんでしょ」と節度を持った飲み方を貫いてくれていたから。
善逸くんの話とはやはり、仕事で大きなミスを犯してしまったことの懺悔だった。要点をかいつまむとこうだ。尊敬する先輩から引き継いだ大切な取引先との仕事でケアレスミスをして納期が間に合わなくなってしまい、先方からこっぴどく叱られ契約打ち切りまで散らつかされた、と。

「先輩がさあ、一緒にめちゃくちゃ頭下げてくれてねえ。そのおかげでなんとかなりはしたんだけど、今度はそっちでもたついた分、他の仕事が大渋滞起こしてさあ?」
「うん」
「昼抜いて追い上げようって必死にやってたらさ、根詰め過ぎはよくないぞって、俺が手伝ってやるから今日は定時でどっか飲みにでも行って発散して、明日明後日はゆっくり休めよーって、先輩がフォローしに来てくれてさ、」

…なるほど、それを受けて私に連絡をくれたってことかな。

「素敵な先輩だね」
「そうなんだよっ!!そんなめちゃくちゃ尊敬してる先輩から引き継いだ大事な仕事ミスってさ、先輩の顔に泥塗って、手伝いまでさせて…。俺、自分が情けなくて仕方ないよお…」

善逸くんの瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れる。そうか。善逸くんがこんな見たことないくらいベロベロになるほど落ち込んでいるのは、自分のミスで先輩の足を引っ張ってしまったからなんだ…。でもね、そんな一生懸命な善逸くんだから、きっとその先輩も親身になってくれるんだよ。
ぐずぐずと泣きながら机に突っ伏してしまった善逸くんの頭を、私はただただそっと撫で続けた。今はたぶん私がなにを言っても余計なお世話になってしまうだろうから。
しばらくそうしていると、善逸くんは真っ赤に染まった鼻をずびびと鳴らしながら顔を上げた。赤い鼻、とは言っても、体全体が酔っ払いのそれらしく紅潮しているので、泣いたせいなのかお酒のせいなのか微妙なところではあったけど。その瞳も心なしかとろんとしてるし、かなり出来上がってしまっているようだ。

「聞いてくれてありがとお」
「どういたしまして。善逸くんは大切な幼馴染だもん。元気になってくれるなら、いつでもなんでも聞きますよ」
「………」

善逸くんが無言で枝豆を摘む。お酒を飲む手が止まったということは、弱音を吐き出すだけ吐き出して少しは楽になれたってことかな。
よかったよかったと気の緩んだ私は、善逸くんが咀嚼する様子を見守りながら、いま自分で言った『幼馴染』というものについてふと浮かんだことをそのまま口にした。ちょっとした話題変更、くらいのつもりで。

「それにしてもさ。幼馴染って一言で言うけど、幼稚園から今まで私たちの縁がずっと続いてるのってほんとにすごいことだよね。おまけに勤務先まですぐ近くのビルになるなんて、偶然もここまでいくととんでもなさすぎるっていうか」

『幼馴染』より近い存在なはずの『恋人』だって、別れれば呆気なく関係性が途切れて、二度と会わなくなってすらしまうのに。大学生の頃一人だけ付き合ってみたけどすぐ別れてしまったあの人みたいに。
私の話が聞こえてるのかいないのか、善逸くんは難しそうな顔で枝豆をパクパク食べ続けている。やがて最後の一つの皮を殻入れに捨ててから、善逸くんは机の上を見下ろして低く低く呟いた。

「………本当に全部偶然だって思ってんの?」
「えっ?」
「中学まではさ、引っ越さない限り大体同じとこ行くけど。そっから先、社会人になってまでそばにいようと思ったら、絶対どっちかがめちゃくちゃ努力しないとどうにもならないんだよ」
「え、えっと…」
「偶然なわけないでしょうが。俺が名前の一番近いとこキープすんのに、どんだけ苦労してきたと思ってんのよ……」
「っ、」
「そろそろさあ、俺の気持ちに気付いてくれてもよくない…?」

善逸くんがこんな『男の人』みたいな切ない顔をして見つめてくるのも、思わせぶりな話をするのも、…机の上に行き場なく置かれていた私の手を、ひとまわり大きなそれで包み込んでくるのも。二十年も一緒に居てたったいま初めて触れたその熱い全てに、信じられないくらいバクバクと鼓動が高鳴る。まるで全身が心臓になってしまったみたいだった。
戸惑って何も返せずにいたら、つい今の今まで私を射抜いていた善逸くんの瞳がだんだんと半目になっていく。そのうちかくんかくんと頭を揺らして居眠りを始めてしまった彼を前にして、ガヤガヤと賑やかな店内で私はしばらくただひたすらに硬直し続けていた。ぎゅうっと繋がれたままの手を、どうすることもできないまま。


++


翌朝、あまり眠れなかったせいかぼーっとする頭で適当にテレビを見流していたら、ローテーブルに放置していたスマホの画面が光った。それからまるで昨日のお昼のデジャブのように、善逸くんから届くメッセージの通知が次々に並んでいく。

『名前ちゃんと帰れてる?』
『昨日の記憶全然ないんだけど』
『起きたら家の廊下でぶっ倒れてた』
『俺なにかやらかしてない?ウザ絡みしてない?』
『吐いたりとかした?』

記憶が、ない。あの泥酔っぷりから、そんな予感はしていた。私はスマホを手に取って、ただただ当たり障りのない文章を淡々と返していく。

『おはよう。ちゃんとお家にいるよ』
『昨日はすごく酔っ払ってたもんね』
『でも心配してる様なことは何もなかったから安心して』
『タクシーでお家の前までは送ったけど、そこからは善逸くん自分で帰ってったし』
『二日酔いとか大丈夫?気にしないで、ゆっくり休んでね』

適当に押したスタンプも全部すぐに既読が付いた。これ以上続けていたら昨日の熱を鮮明に思い出してしまいそうで、『ごめん、支払いも名前が出してくれてるよね?今度予定合う時絶対返すから』『わかった。でもほんと、気にしなくていいからね』というやりとりを最後に、スマホはポンとベッドに投げ出してしまった。善逸くんからはまだ何か来てるっぽいけど、もう知らない。

三角座りにした膝に顔を埋めながら考える。昨日の善逸くんのあれは多分何かの間違いだ。酔った勢い的な、何かの。きっと、そうに違いない。だって善逸くんは今までそんな素振り、一瞬だって見せたことがなかった。
でもじゃあ、私のこの心臓は?昨日からずうっと、苦しいくらいドキドキしてる。泥酔していた善逸くんとは違って、私はお酒を一滴も飲んでいないのに。うるんだ瞳で私を見つめる善逸くんのことを思い出すたび胸がぎゅうっとなって、昨日は全然眠れなかった。

最初から見ていなかった朝の情報番組がテレビでダラダラと流れ続けている。結局、ドラマ鑑賞以外の週末の予定も全部『家に篭って悶々とする』に取って代わられてしまったのは言うまでもない。

prev / next

[TOP]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -