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(C)Yuuki nanase 2010 - 2013



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恋に落ちた音
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芸術学部棟の三階にはたくさんの練習室が並んでいる。

その中の一つ、“A-304”というプレートのついたドアの鍵穴に潤が管理部から借りた鍵を差し込んで回すと、ガチャンという重い音がした。

防音のために分厚い造りになっている扉を開けて、潤は梨子たちを室内へと促す。

練習室内は15畳程の広さで、グランドピアノが一つと壁際には譜面台がいくつかと椅子が何脚か置かれていた。

「大学の練習室って広いんですね」
「普通の練習室は高等部とあまり変わらないよ。ここは普通よりちょっと広い部屋なんだ。四重奏以上するとさすがに狭いじゃない?だから何部屋かはこんな風に広いんだ」
「まぁ、今日はたまたまここしか空いてなかったんだけど」

高等部で室内楽の授業はないが大学部では選択によっては室内楽の授業がある。

通常の広さでは弦楽四重奏などを練習するにはさすがに狭いのだ。

「グランドピアノが三台以上入ってる部屋もあるんだよ」

英聖学院大学は設備が整っていることでも有名だった。

「さて、はじめようぜ。っていうか、はじめてもらうか」
「宮川くんはこっちにどーぞ」
「あ、すんません」

潤は鍵盤の蓋を開けてから修司をピアノの椅子に座らせ、自分はグランドピアノの上板を開けて棒で支えて準備を終えた。

その間に梨子もケースからヴァイオリンと弓を取り出して準備完了。

「いきなり弾いてっていってもアレだから十分後ぐらいにはじめてもらおうかな。チューニングとか打ち合わせとかするでしょ?」
「わかりました」
「じゃあ十分後にね。隼輔くんと蒼輔くんは、ここ座ってね。ずっと立ってると疲れるからさ」
「あ、ありがとうございます」
「ども」

潤は人数分椅子を並べて双子に座るよう促した。双子は軽く会釈をして座り、ピアノの前で相談する宮川兄妹に目線を移した。

「お兄ちゃん、音ちょうだい?」
「おう」

修司はポーンと鍵盤を押した。梨子は弓を引いて音を確認し弦の微調整をする。

「うん、オッケー。お兄ちゃんは?」
「俺はいつでも」

修司はYシャツの袖のボタンを外して肘のあたりまでまくりあげ、両手を組んで手首を軽く回した。

「で、何弾く?」
「何にしようかなぁ?でもお兄ちゃんと演奏って久しぶりだよね」
「そうなんだよなぁ。多少ミスしても勘弁な」
「うん!」

そんな二人を見守る隼輔と蒼輔。

「修ちゃんと梨子の演奏聴くの久しぶりだよね」
「そうだな」

そう言う隼輔は穏やかな顔で梨子を見ていた。それは愛しい、大切な者を見つめる優しい眼差し。そんな隼輔を見て蒼輔も優しく微笑んだ。

双子から少し離れた場所で並んで壁に背をついて立っている潤と恵介。

仲良く相談する兄妹を見て潤が一言。

「それにしても、本当にビジュアル完璧な兄妹だよね」
「まぁな」
「イケメンでピアノ弾けたらそらモテるよ。同じ男の俺でもカッケーなって思うし。でも女の子と二人で歩いてるとこ全く見ないんだけど。彼女いないのかな」
「いないんじゃね?ついでに妹も彼氏いないんだと」
「何で知ってんの?」
「あいつに聞いた」

恵介は隼輔を目線だけで示した。

「まぁ仕方ないよね。あんだけお顔の整ったメンズに囲まれて過ごしたら、そりゃ理想も高くなるよ」
「いや、問題はそこじゃねえと思う」
「え、どこ?」
「周りが過保護すぎなんだよ」

心当たりのある潤は「そうだねえ」と困ったように笑った。そして腕時計で時間を確認するとすでに約束の時間になっていた。

「さて十分だ。準備できたかな?」
「はい、大丈夫です!」
「何聴かせてくれんの?」

潤と恵介は壁から離れて、宮川兄妹の姿が見やすい位置に移動した。

「“ラ・カンパネッラ”を」
「おー、マジで?」
「梨子がパガニーニ好きなんすよ。神と崇めるほどに」
「そうなんです」

梨子ははにかみつつ笑った。恐らくこの場に優希がいたら、まず間違いなく「可愛い!」と言って抱きついただろう。

ニコロ・パガニーニ。超絶技巧を要する曲を演奏していたことから『悪魔に魂を売り渡した』とまで言われた鬼才のヴァイオリニストであり作曲家でもあった。

「誰の?」
「クライスラー編を」
「じゃあ、お願いします」

梨子と修司は目で合図をした後、演奏を開始した。

“ラ・カンパネッラ”は日本語で“鐘”を意味する。

パガニーニ作曲、ヴァイオリン協奏曲第二番・作品七・第三楽章。

一般的に“ラ・カンパネッラ”はフランツ・リストがこれを元としてピアノ独奏用に編曲したものが有名だが、今回梨子が演奏するのは、フリッツ・クライスラーがピアノとヴァイオリン用に編曲したものだ。

このクライスラー編はいきなりヴァイオリンソロから入る。


梨子が音を奏でた瞬間、潤と恵介は一気に引き込まれた。

その音の豊かさもさることながら、特筆すべきはその技術。

難易度の高いはずのこの曲、散りばめられた難所もなんでもないかのようにクリア。

「アレを一切音飛びしないで弾いてるよ」

信じられないというように潤が呟く。

そして傍らの恵介を見やると、一音でも聴き逃すまいと梨子の演奏に真剣な面持ちで耳を傾けていた。

恵介は目の前にいる小さな少女から目を離すことができなかった。

曲の流れに合わせて変わる表情が心をつかんで離さない。

なんて楽しそうに演奏するのだろうと思った。心からヴァイオリンを弾くことが好きだということがとてもよく伝わってきた。





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