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(C)Yuuki nanase 2010 - 2013



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いつかくるその日まで
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「俺、櫻井も呼んだっけかな」
「僕のことはどうぞお構いなく」

職員室。森の元へやってきた梨子の後ろにさも当然だとでもいうように立っている涼を見て森は苦笑した。
まさか職員室にまで護衛がついてくるとは考えもしなかった。

「二葉からさっきメッセンジャーで楽譜が届いたから。早いとこ渡しちまおうと思って呼んだんだ」

英聖学院には“学内メッセンジャー”という仕事を担う人々がいる。

中等部から大学部までそれぞれに所属する教師や職員たちがお互いに書類や備品などのやり取りをする際にそれを運ぶ役割を担うのが学内メッセンジャーという運び屋だ。

広大な敷地を持つ英学では大変重要な存在である。

「一冊だけですか?」

渡された大きめの茶封筒の中を確認すると、入っていたのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の楽譜が一冊だけ。

「楽譜にメモついてるだろ。読んでみ?」

楽譜にクリップで留められていた小さなメモにはおそらくは恵介の字だろう、非常にすっきりとした文字で『これだけ頑張ってくれればいいから。 二葉』

そう書かれていた。

「その一曲に心血注げってことだろ。頑張れよ」
「はい。がんばります」

梨子にとって初めてのソリストとしての曲の練習に集中できるのは嬉しいことではあった。

「森先生、梨子の他のゲストメンバーっていつ発表されるんですか?まだされてませんよね?」
「ああ。曲がこの前決まってメンバーがようやく確定したから週明けには廊下に貼り出すつもりだ。メンバー表も楽譜と一緒に届いたからな」

そう言って森はクリアファイルに挟まっているメンバー表を涼に見せた。

「そうですか」
「っつーことで俺の用件は終わり。お疲れさん」
「ありがとうございました。失礼します」

梨子と涼は軽く頭を下げてから二人揃って去って行った。

「マジであいつら過保護すぎだろ」

森の呟きは誰にも聞こえることなく消えた。“あいつら”というのは言わずもがな。櫻井兄弟のことである。

職員室を出た後の涼と梨子は1年A組の教室へ向かっていた。教室へ送るという涼の申し出を梨子は一度は遠慮したが、涼に「できるだけ長く梨子といたいんだけど駄目かな」と言われてしまっては断るなんてできるわけがない。

「あれ。そういえば涼ちゃんも職員室に用事があったんじゃ……」

生徒会室での涼の言葉を思い出して梨子は涼を見た。

「そういえば。でも急ぎの用事じゃないからいいよ」
「でも……」
「大丈夫。梨子は気にしなくてもいいんだよ?」

涼は微笑んで梨子の頭を優しく撫でた。気にする必要などないのだ。そもそも涼の用事など最初からないのだから。

しかし本気で涼の言葉を信じていた梨子は腑に落ちない顔をしている。

「うー……」
「ほら梨子、教室についたよ。午後の授業寝ちゃわないようにね」
「ね、ねないもん!」

頬をプクッと膨らませる梨子を見て涼はクスクス笑った。

「ねえ梨子」
「なあに?」

涼は少し腰を屈めて梨子と目線の高さを合わせるような格好になる。そして梨子の目をじっと見つめた。

「俺のこと好き?」
「……え?」

唐突な質問に目を見開いて驚きを隠せないでいる梨子。涼は真剣な顔のまま続ける。

「俺は梨子が好きだよ。梨子は?」
「私も……私も涼ちゃんのこと好きだよ!」
「そっか。ありがとう」

嬉しそうに涼は微笑んだ。梨子の好きは自分の好きとは違う意味であることはわかっている。それでも好意の言葉をかけてもらえるのは嬉しい。

「でもいきなりどしたの?」
「え?ただ梨子に好きって言ってもらえたら午後はいっぱい頑張れるかなって」
「そうなの?」
「そうだよ。いつもの何倍もやる気出るんだ」
「そか。じゃあね、涼ちゃん耳かして」
「ん?」

涼は梨子に耳を寄せた。梨子は両手で自分の口元を囲いつつ涼の耳に向かって囁いた。

「あのね、私ね、涼ちゃんのこと、いっぱい、いっぱい大好きだよ」
「……っ」

涼は自分の口元を片手で覆いながらバッと耳を離して梨子を見ると、そこには無邪気に笑っている梨子がいた。

今までよりずっと近くで聞こえた梨子の声に自然と上昇する体温。速まる心臓の鼓動。たかぶる感情。

「本当に……俺をどうしたいんだ」
「え、なに?」

涼の呟きは梨子には届かなかったが、それでいいのだ。動揺して思わず出た言葉など聞こえていない方が良いにきまっている。

「じゃあ俺は教室に戻るよ」
「うん。送ってくれてありがとう」

片手を軽くあげて涼は足早に梨子の前から去っていく。

「まずいな。これはかえって逆効果だった」

涼は廊下を歩きながら一人呟いた。心臓の鼓動はまだ速いままだ。午後の授業までになんとか平常心を取り戻さなくては。

「とりあえず……顔洗うか」





君の笑顔、君の涙、君の声。
すべてが愛おしい。

君は僕の心を乱すことのできる唯一の存在。

いつの日か、この気持ちが君に届きますように。


いつかくるその日まで
 
なんかもう甘すぎて
一瞬自分を見失いかけた
(2010/04/19-2010/05/31)




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