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限られた時間の中で
2 / 2 「大学入ってからは落ち着いたもんね。大人になったね」 「さすがに俺もアレは反省したんだよ」 何人もの女の子たちと身体だけの関係をもってきて、確かに欲求が解消されて身体は満足しているかもしれない。 しかしそれとは反対に心は虚しさのような感情だけで満たされているということに気付いたのはもうすぐ大学へ進級という時期になった頃だった。 そして思った。このままではいけないのだと。 「で、しばらく自重してきて突然スイッチが入ったんだ?」 「自重っつーか、音楽に本気で専念してたら遊ぶ時間がなくなっただけなんだけどな」 「そうかもしれないけどさ、でもこうも考えられるよ。本気で頑張ったご褒美に音楽が梨子ちゃんと引き合わせてくれたんだよ」 そう言って潤は微笑んだ。恵介が異性にこんなにも興味を示すことなんて潤が知る限りはなかったはずだ。 恵介が本気で誰かを好きになったりすることなんてないのだろうかと心配したりもしていた。 しかし今回梨子に興味を示し、本人も恋だと認めた。そのことは潤にとって安堵をもたらしたのと同時に、何よりも嬉しいことだった。そんな潤に対して恵介は、 「潤の期待に背くようで悪いけど、俺的には色恋はオマケであって、この曲ができるだけで十分満足なんだ」 思いもよらない台詞を口にした。 「と言うと?」 「今回の演奏会に私情は挟みたくない」 そう言う恵介の顔がただの恋する青年ではなく、音楽と真剣に向き合おうとする指揮者の顔になっていることに気付いた潤はそれ以上の追求はしなかった。 「俺には時間がないんだ。恋愛なんて大学卒業してもいくらでもできる。でも音楽は……あと少ししか時間が残されていない。今回のチャンスは絶対に無駄にはしねぇよ」 恵介はテーブルの上で左手の拳を強く握った。 「だったら周りに遠慮なんかして妥協するのだけはやめてよ。そもそも梨子ちゃんをソリストに据えた時点で何か起きることは予測できるわけでしょう?」 「あいつは俺が何としてでも守ってやるよ」 高等部に入学していきなり大学の学内オケで、ソリストとして出演することになった梨子のことを良く思わない人間が現れるだろうことは潤も恵介もある程度予想はしていた。 「場数踏んでる大学のオケメンバーは実力主義の世界を理解してるとは思うんだけど。高等部はどうだろう。未知数だね」 「その辺は最初に手を打つつもりではいる」 「もう対策考えてんの?」 「一応。っつっても絶対の策はねえよ。とりあえずだ」 せっかく梨子という才能溢れた演奏者と出会って共演するチャンスを得たのだ。彼女に何かあったら困る。 「何もしないよりはずっと良いよ。でさ、梨子ちゃんも心配ではあるけど、とりあえず早いとこ曲決めないと」 「おう、いま決めた」 「早っ」 恵介は候補曲リストを手元に引き寄せ、曲名に赤い丸をつけていくのを潤は黙って見守った。恵介がつけた赤い丸は全部で三つ。そしてその曲名の隣に1から3まで番号を振っていった。 「え、曲順それなの?」 「ありえない順番ではないだろ?」 「そりゃそうだけど」 確かに妥協するなとは言ったが、潤の予想の範疇をここまで越えるとは思っていなかったわけで。 「最高の演奏会になるぜ?」 「それは予想?それともただの希望?」 「確信だよ」 自信に満ち溢れた顔で恵介は笑った。 * * * 「あ、メール」 その日の夜、自室で課題に取り組んでいた梨子の元に届いた一通のメール。送り主はつい最近知り合ったばかりの人物。 「二葉先輩だ……」 ------------------- From.二葉恵介 Sub.演奏会の曲 ------------------- 1.ブラームス 『悲劇的序曲』 2.シベリウス 『交響曲第2番 ニ長調』 3.チャイコフスキー 『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』 協奏曲の楽譜だけ先に メッセンジャーで森 先生宛に届けるから。 後で受け取って。 ------------------- 用件だけ簡潔にまとめられたそのメールに梨子は「わかりました。ありがとうございます」とだけ返信した。 「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲か。……あれ、でも曲順これであってるのかな」 オーケストラでは一般的に序曲、協奏曲、交響曲の順、もしくは序曲、組曲、交響曲の順でプログラムが組まれることが多い。これらの順番が入れ替えられた構成もあるにはあるのだが。 「まさか、ね」 もし君に出会えていなかったら、自分はどうなっていただろう。 残された僅かな時間の中で見つけた希望の光。 絶対にこのチャンスを無駄にはしない。 限られた時間の中で 今回のプログラムは曲の雰囲気でなんとなく決めたので、実際に選択される構成なのかは定かではありません。 (2010/04/13-2010/05/11) |
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