例えば人の多い講義室に僕らが散らばっていたなら、僕は口を開くよりも言葉に耳をそばだてる時間の方が多くなるだろう。しかし、文学部の顔ぶれが揃えば話は違う。それはきっと、僕だけじゃないはずだ。
「そういえばこの間の『言葉の限界』の話ですけ……うおっ」
発言の前に必ず小さく手を挙げる小玉くんの手が、車の振動で大きく揺れた。
「ごめんね、結構揺れちゃった。大丈夫?」
「もうすぐ県境っすから仕方ないっす……すんません先輩、運転お願いしちゃって」
「いいのいいの、運転はだいぶ慣れたんだよ」
道案内担当の小玉くんは助手席に、僕と陽瑞さんが鞄を膝に乗せて後部座席に座る。宿泊用の大きい鞄はトランクの中だ。そしてハンドルの上で両手を滑らせるのは二個上の先輩、真鍋榛紀さん。
『楽しそうだね、僕も行っていい?』
電車にするかバスにするか、三人で話し合っていたところに偶然顔を出した榛紀さんの厚意で、僕らは四人で小玉くんの故郷へと向かっている。あ、話、続けていいっすかね、と小玉くんが再び口を開いた。
「あの後、僕の恩師の話を思い出したんす」
「恩師ですか?」
「はい、中学時代の国語の教師っす。俺が創作の道に進む一番のきっかけになる授業をしてくれた先生です」
そんな素敵なことが学校で起こるのか、僕は興味を惹かれた。ハルキ先輩が信号が変わるのを待つ間に話に入ってくる。
「創作の原点が国語の授業っていうのは面白いね。授業が創作に繋がるなんて、きっととっても良い授業だったんだろうね」
しかし小玉くんは大きく頭を振って、だははと笑う。
「いや、授業といっても選択科目で、先生はほとんど関与しませんでした。選択科目が導入されてから二年目
俺は中三だったんすけど
授業がある期間いっぱいの間、自由に創作しろって、ただそれだけ言った教師がいたんす。授業期間いっぱいって、半年っすよ? みんなたまげてました。
俺はもともと詩に興味があって、でも本格的に作るきっかけが持てずにいたところに、そんな授業崩壊一歩手前みたいな命令がくだされて。人生何があるか分からんって今めちゃくちゃ思います」
与えられた自由に崩壊していく秩序、なんとなく想像できる。小玉くんは少し興奮気味に話し続けた。
「最初は何も書けなくて。ただひたすら詩集を読みふけったっすね。俺の『書きたい』っていうのが気持ちだけだったんだって分かっちまったのが辛かったっす。
でもそれから何がきっかけというわけでもなくどんどんフレーズが湧いてきて、詩を書く日々が始まったんす。先輩たちみたいに難しいことは考えたことないっすけど、灯火野先輩がいつも言ってる『語りたい、出会いたい』っていう気持ちは俺もなんとなくわかります。
出来上がった作品を先生に見せると、まず一言『面白い』って言ってくれるんです。嬉しかったなあ」
「お話が盛り上がってるところごめんね」
じゃり、とざらついたコンクリートの上をタイヤが滑る音。駐車の済んだ車のエンジンが切れる。
「到着ですよ、みなさん」
ドアロックを解除して車外に足をつけると、まずはその暑さに閉口した。そして次の瞬間、
「え、これが……」
「ウェルカムっす、先輩」
お手本のような日本家屋が目の前に鎮座して、門の前の僕の視界のほとんどを占めてしまった。