本文を読む前に、シャワーを浴びた。本当なら帰ってきてすぐ寝てしまいたかったからだ。この部屋にも住み慣れて、シャワーのお湯と水のバランスはもう覚えたつもりだったのに、いつもより水温を冷たく感じる。
『謙ちゃん、わたしね』
重い指先でようやくメールを開く。いつか、どこかで見たことのある切り出しだと思った。そして僕は手遅れを悟る。
『謙ちゃんに、浮気しちゃった』
続く彼女の言葉に僕は、携帯を一度閉じた。
『彼氏がいたんだけどね……別れてきた。ねぇ、わたしと、付き合ってくれるかな』
返信を考えているうちに、時計の長針は一周半回っていた。
しかし、いくら考えても、彼女を傷つけずに済む方法は思い浮かばない。結局、こう返すしかない。
『申し訳ありませんが、ご期待には添えられません』
「お気持ちは嬉しいですが、」っていうのが決まり文句なのかもしれないけど、今の僕は嘘でも嬉しいということだけは避けたかった。嘘をつけないなら、言わないでいればいい。
いつもより遅い返信が届く。その遅さが不安を増幅させる。震え続ける携帯を開くと、その文面で僕は鳥肌を立てた。
『なんで断るの? 今、彼女いないんでしょ。
あ、もしかして幸せにすることが出来ないって思ってる? それなら大丈夫! わたし、謙ちゃんと付き合えるならどんなことも幸せだと思えるよ!
……それとも、私が浮気して謙ちゃんを好きになったからかな? でも謙ちゃんは浮気したとか気にしないって言ってたじゃない。今更よ(笑)』
100グラムそこそこの携帯を支える手が震える。違う、違う、彼女に伝えた僕の考えの何もかもが違う。
『浮気を推奨するような発言なんてひとつもしてないはずです。
先輩が僕の発言をどう解釈したかはともかく、付き合えません。それが僕の返事です』
底知れぬ恐怖はあっても、左良井さんを部屋に呼んで追い出した日のような心の痛みはなかった。あの心の痛みはやはり左良井さんと対面していたあの日だけのものなのか。
『謙ちゃんだけだったんだよ、あたしの話、真剣に聞いてくれて真剣に答えてくれた人。謙ちゃんがあんなに親身になってくれたから、あたし、てっきり……。』
(ああ、始まった……)
そうやって引き留めようとする行為に、次第に頭の奥が冷えていく。”美しくない”と、ただその言葉の通り思った。