あかりがまぶしい
11.不可解
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 鍋の底が見える頃には、久々の満腹感を味わっていた。
「ごちそうさま、美味しかったです」
「いーえっ。じゃあ片付けちゃうね」
「あ、片付けは僕が……」
「いいの、謙太くんはゆっくりしてて。あたしにできることはあたしがします」
 何もしないでいると寝てしまうからと、僕も片付けを手伝う。二人で片付けているのに、作業効率は可那子さんの方がずっといい。手伝いになったのかどうかも怪しかったけれど、可那子さんは「ありがとう、助かった!」と輝くような笑顔を見せた。
 この笑顔を一番近くで見ているのが僕でいいんだろうかと、ふと考えた。
「僕に大した価値はない。人を傷つけて今日まで生きてきたような人間だ」
 口にしてから、はっとした。え? と聞き返すよりも言葉は先に口をつく。
「誰かを好きになることが、自分の身を滅ぼすことだってあるんだよ。そんなことがもしあるとしたら、知らないうちに誰かを傷つけているのだとしたら、僕は誰にも好かれなくていい」
 可那子さん、あなたのように純粋な人といたらきっと、生きているのが楽しくなってしまう。そんなあなたを傷つけてしまったら、あなたのその笑顔がずっと見られなくなってしまうような気がする。
 あなたの笑顔で幸せになる他の誰かの幸せを、僕が奪う権利なんてどこにもない。
「いや……」
 濡れた手を拭っていたタオルが床に落ちるのも構わず、可那子さんが僕のシャツを引っ張って小さく、何度も首を横に振る。
「誰にも好かれなくていいなんて、言わないで。あたし、どうしていいか分からなくなっちゃう……」
 瞳に浮かぶ涙の粒はどんどんと大きくなっていき、こぼれないのが不思議だった。
「こんなに、好きなのに……あたし……」
 それがツ、と頬を伝ったその線は、可那子さんの頬の曲線の美しさを際立たせたかのように僕の目に映る。たまらず僕は指でそれを拭い、笑いかけてみせた。
「ごめん、気にしないで。せっかく二人でいるのに、変な話してごめん」
 短くて柔らかい髪は毛先が手の平に心地よかった。僕が頭を撫でると、落ち着いてきた呼吸がまた涙声に変わる。背中を撫で支えながら、キッチンから部屋へと移動した。
「ねえ謙太くん。今日って帰らなきゃ、だめ?」
 クッションに腰を下ろして、僕は静かに可那子さんの気持ちが落ち着くのを待っていた。僕の左の脇の下からするりと腕を通して、可那子さんが腕を絡めて額をすり寄せて聞いた。
「いや、そんなことは……」
「じゃあ、もう少し、一緒にいようよ」
 きゅっと僕の左腕を引き寄せて言ったその声がどこか焦っているようだった。
「好きになってもらうにはまだ、時間がかかるのかな? でもいつまでも遠いままじゃ、いくらなんでも寂しい」
 純粋な思いはいつもあまりに必死で、僕はただ片方の手を差し伸べればそれでいいと思っていた。可那子さんの両腕は僕の左腕にすがりついて、差し伸べられる僕の手はあと一本しか残っていない。しゃくりあがるのをこらえるように、溢れるままに涙を流す彼女の瞳を右手の人差し指で拭ってあげると、弱さをさらけ出したように赤く腫れ上がったまぶたが、何よりも愛らしいと感じた。
「うぅ……あたし、変な顔……?」
「そんなことないよ、可那子さんはいつだって可愛いよ」
 いつも正直でいることは罪だと言われたことがある。一瞬左良井さんの顔が思い浮かんで心臓の奥の方がぐっと痛んだのは、それは不道理だと主張し続けていた今までの僕と今の僕とが戦っているからかもしれない。思ったことをただ思ったとおりに言っているのに、僕が一番腑に落ちないのはどういうこ……。
「----!」
 すごく柔らかくて温かな感触だった。数秒、僕は今起きていることに対して理解しようとすることをやめざるを得ない。




 息が詰まりそうなほどにその一瞬は優しくて、僕は少し驚く。唇が離れてようやく、唇が触れていたことを自覚する。
「ご、ごめんなさい。急にこんな……」
「いいや、謝ることはないよ」
「……嫌じゃ、ない?」
「そんなわけないよ」
 赤く染まった頬を両手で包む姿は本当に微笑ましい。僕にとってキスというものは、その瞬間はさほどロマンチックに感じられないようだった。際限なく恥ずかしがる可那子さんを見ている方が、よっぽど心がくすぐったくなる感じがする。
「引き止めちゃって、ごめんね。無理にとは言わないから……」
 僕は、傍にいてほしいと言われるほどの人間なのだろうか。
 例えばいつか愛のようなものを求められた時、僕は嘘偽りのない愛情を可那子さんに示すことが出来るのだろうか。
「いや、可那子さんがいてほしいって言うなら」
 パッとスイッチが入ったように明るく切り替わる表情は、可那子さんらしいと思った。
「あの……嫌じゃなかったら……」
 僕の袖をキュッと引っ張って、真っ赤になった可那子さんは僕と目を合わせない。
「いいよ、おいで」
 花が咲いたように笑って大きく頷いて、可那子さんが僕の胸に飛び込んでくる。お互いの頬をすり寄せ合いながら、もう一度唇を寄せ合った。
 可那子さんは僕に、好きになることの価値を教えてくれるかもしれない。鼻でゆっくり呼吸をしていると、フルーツのように爽やかな香りにくすぐられた。

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