ピアニスト高杉×パティシエ土方
落ち着いた雰囲気で生のピアノを聴きながら洗練された技巧を凝らしたスイーツが食べられる店として有名なカフェ・フィッツ。
長蛇の列をなすその店も漸く最後の客も帰り店じまいを始める。
テーブルの上に残された、綺麗に食べられている皿を手に取ると今日も美味しいと笑顔を見せてくれた人々を思いだした。
クスリ、と柄にもなく笑みを溢していると今まで明るかった手元にふと影がさした。
「何がいい」
「…あ?」
影の犯人は声で把握できたが、単刀直入にモノを言われ過ぎて理解できず、くるりと体を反転させて眉尻を上げた。
「だから、何がいいかって聞いてんだよ」
「いや、会話の主語なさすぎて何いってるかさっぱりだから」
「チッ、それぐらい察しろや」
なぜ俺がわざわざお前の心境を察しなければならないのか。
疑問しか残らないがこのまま拗ねさせるのも後々面倒だ。
そう考えついて、今まさに不機嫌になりかけているこいつ、高杉にばれないように息を吐き出した。
「それは、なんか弾いてくれるってことでいいのか?」
「だからはじめっからそう言ってんじゃねぇか」
言ってねぇよ!
喉元まででかかった言葉を必死にのみ込み、珍しいな、となんとか返す。すると今日は特別だからな、と勝ち誇ったように言われ先ほどまで少しばかり浮上していた気持ちが下降した。
「で、何にすんだァ?」
こっちがげんなりしているのに相変わらずマイペースな奴である。ジトッと睨み付けてみても我存ぜぬといった感じで受け流されただけだった。
「……じゃあ、あれがいい。」
「なんだァ?いつものやつでいいのか」
「ん…」
他にもいろいろあるだろうがと文句を言われたがあれがいい、とゆるく首を振った。
頑なな態度に高杉が苦笑して、わかったと傍を離れていく気配がした。
あんなに憎たらしいのにピアノの前に座ればキリッと空気が引き締まる。それを格好いいと思ってしまうのだからなんだか気にくわない。近くにあった椅子を引き寄せて腰かければ、それを待っていたかのように柔らかい旋律が流れ出した。
グノーのアヴェ・マリア。
初めて高杉と出会った時に彼が弾いていた曲だ。
たまたま友人に付き合って聴きにいったコンサートで高杉が特別ゲストとして出演していたことが知る理由だった。
こんなに綺麗な音が、あの指から紡ぎ出されるのか。
クラシックに関しては全くの無知である自分でも、高杉の技量がどれ程のものであるのかということが感じとれた。
心地の良い旋律は鼓膜を柔らかく満たしてくれる。
気づいた時にはぼろぼろと涙が溢れ出ていた。
はじめはびっくりしたけれどおさめる気にもなれなくて、心が動くままに涙を流したのを今でも鮮明に覚えている。
「―ひじかた、」
「は、ぁ」
名前を呼ばれたことで高杉と出会った日の回想から現実に意識がひき戻される。顔をあげるといつの間にか弾き終えていた高杉が目の前に立っていて、苦笑しながら目元を拭われた。
また、だ。
この曲を聴くと勝手に涙が溢れてくる。
「なんでテメェはわざわざこの曲を選ぶんだァ?」
泣くって分かってやがるくせに。
先ほどまで鍵盤に触れていた指先が頬を撫で、再度溢れた滴を掬いとった。
「泣くならベッドの上で盛大に泣いてくれた方が俺としては嬉しいんだがなァ」
長い舌が指先に乗った滴をなめとり、自由になった指先も添えて両手で左手を包まれる。
ちゅ、と柔らかく薬指の根元に口付けられてカァッと顔が熱くなった。
「…ばっかじゃねぇの」
恥ずかしくてそっぽを向くも、クツクツと喉を鳴らす音はクリアに聞こえてきて殊更恥ずかしさが増す。しばらく何も言えずにいると、冷たい感触を指に感じて視線をそちらに移す。
その先にあるものを見つけて大きく目を見開いた。
「な、に…」
「今日、誕生日なんだってなァ」
予期せぬ言葉を出され、思わずぐらりと視界が揺れる。
「お前は俺の指が好きだと言った。俺もお前の指が好きだ。心を綺麗に具現化できるお前の指が。これからは俺への心を俺だけに具現化しろ」
なんて勝手な言い分だろうか。
頭の隅ではわがままな奴めと悪態をついていても、それ以上に嬉しさの方が勝って、涙でぐちゃぐちゃになった顔で何度も頷いた。
-END-