作品 | ナノ


きらきらと砕けて踊る日差しを真っ向から浴びて、彼はどこまでも泳いでいた。

扉を開けて広がったその光景に、思わず立ち止まって三秒。我に返ってじっと目を凝らした。一人泳ぐのは、誰ともわからない男子。
水泳部部員募集中。そんなポスターを見かけた私は、ただの出来心で少しだけプールに立ち寄ろうと思い立ったのだった。太陽が眩しくて日陰に身を寄せる。少し眺めたら帰ろう。そう思いながらも私はプールサイドに縫い付けられた足を動かせずにいた。それは、水族館の魚をいつまでだって見ていられるのと同じことだ。寧ろ水槽を泳ぐ魚たちよりももっと優雅で、もっと自由だった。ああ、いるかのようだ。力強いドルフィンキックに、しなやかな尾鰭を連想した。「すご……」感嘆の溜息を吐く。それが契機となったのか、静かに響き耳を潤していた水音が、壁を叩く気持ちのよい音を最後にはたと止まった。

「……遠水、さん」

息を一つも乱さずに顔を出して、私の名前を呟いたその人は。曖昧な記憶をひっくり返して漁る。ええと、確か七瀬遙くん。この間初めて同じクラスになった人だ。女の子のようなその名前を頭の中でゆっくりなぞっていく。はるか。音の響きが、いるかに良く似ていると思った。

彼がふるっと首を揺らすと飛沫が舞う。あまりにも綺麗なそれが空気に溶けていってしまうのが惜しくて、なぜだか身体はひとりでに動いた。魅せられて、惹かれて、影から足を踏み出す。長い時間日に当たっていたプールサイドは、逃げ出したいくらい熱かった。そして、一歩手前で立ち止まる。
背中がむず痒くなる胸の高鳴りに、意味もなく後ろ手で指を組み合わせた。こうして近づいて、その先はどうするつもりであったのだろうか。ああ、もう、しんでしまいそうだ。全てがイレギュラーな衝動だ。自分が自分じゃないような感覚に唸っていると、目の前に、陸に上がったいるかがいた。

「七瀬くん……って、水泳部だったんだ」
「ああ。入部、か?」
「っあ、ごめん、ちょっと見に来ただけ。すぐに帰るから、気にせず泳い……」

ふと、青い瞳が映す私の姿に気づいてしまった。立ち尽くす。組んでいた指はいつの間にか解けている。それは、くるおしい程に望んでいた、私の在り方。

「どうかしたのか」
「七瀬くんの目に映ってる私が、……水の中にいるみたい、だ」

するりと口をついた言葉が雫となってプールにぽとりと落ちる。はっと見開かれた彼の瞳をまた、見る。ただ二人、向かい合っていた。

昔から、暗い水の底へと、深く深く沈んでいきたかった。ぼやけた視界のまま生きたかった。塞がれた耳のまま逝きたかった。
飛び込みをしていた理由だってそうだ。高い所から飛び込めば、深い所まで沈むことができるから。目一杯高く飛んで着水した後、泡を纏いながらぐんぐんと引き摺り込まれる感触に酔う。浮力に逆らってまでも水面を蹴る爪先には、いつも必死に力が籠っていた。
なのに全然、沈んでいられない。どれだけ望んでも肺は酸素を求めて叫びをあげた。苦しさに耐えられず泡を吐き出して、胸が痛む。再び目を開けた時には決まって水から顔を出していた。一生水の中で生きるなど出来る筈がないと、本当は最初から知っていた。


そんな思いが今、高い音を立てながら崩れていく。七瀬遙に見つめられた私は確かに水中で息をしている。決して苦しくはなかった。

「……遠水の目も、同じだ」

彼もまた、私と同じように見つめ返す。どうやら私の水色の瞳も、彼を水中に閉じ込められるらしい。見つめあって、水の中。泡が耳元で弾け始めた。独特のくぐもった音。目の前のいるかにも、聞こえているだろうか。一面の青色。世界には、二人きり。



title by 水葬






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