小さい頃からずっと、ずっと一緒の人がいた。その人は優しくて、面倒見が良くて、その上賢くて、でもおっちょこちょいで、お茶目な人だった。まだ許嫁の意味も分からないうちに出会って、それから僕は彼女と育った。家族の望んだ僕になることに必死だった僕に、彼女は羽を伸ばす術を与えてくれた。自分を生きていいと、僕を救ってくれたのは彼女だった。 その時から僕は、彼女の為に生き、彼女の為に死ぬことを望んでいたんだ。 「それが僕にとっての、『自分を生きること』だ」 空は暗い灰色の雲に覆われていた。ここは天気の変わりやすいロンドンである、恐らく間もないうちに雨が降るだろう。重たく溶けた先程の呟きを掻き消すように音を立てて窓を閉めた。 「カルラ、もうじき雨が降る」 「本当に?あちゃー早く洗濯物取り込まないと」 「やっておいたよ、それより、冷えるから上着を」 椅子に掛かっていたカーディガンを持ち上げると、杖を取り出そうとしていたカルラの手が所在無さげに静止した。 「ほら、着て」 おずおずと袖に腕を通す彼女の表情はここからは見えないけれど、きっと不服そうな顔をしているのだろう。と思っていたら、案の定「上着くらい自分で着られるのに……」と口をとんがらせた様子の声が聞こえた。そんなカルラに僕はいつだって微笑みで返すのだ。 ふと、もう一方の袖に滑り込んでいった左腕から、一瞬だけ黒い刻印が覗くのが見えた。ひたり、悲しみとも怒りとも形容し難いどっち付かずの気持ちが心臓を蝕んでいく。肺が押し潰されているような気分に陥った僕は無意識のうちに自分の胸に荒く爪を立てていた。 「ディエゴ、どうしたの?」 襟元を寄せるようにしながら振り返るカルラの腕を掴んで袖をそっとめくると現れる白い腕。その上を這うように焼き付いた闇の印に強烈な嫌悪感が再び背筋を撫でていった。僕の顔を見つめていたコバルトブルーの瞳は、次第に足元へと視線を落としていく。それでも彼女は、やめてと強く振り払うことはしなかった。 「ね、え、カルラ。何度も言ってるけど、僕も闇の陣営に、」 「何度も言ってるけど、駄目だよ」 カルラの肩は小さく震えていた。いつか僕が同じことを言った時、彼女は唇を噛みながら、もう何も失いたくないと答えたのを覚えている。そんなカルラの表情を一度見てしまえば、それを無視して死喰い人になることなんて出来ないのが僕だ。僕の行動が、余計な重荷になることを恐れた。「私なら上手にできること、知ってるでしょ」という言葉を信用してしまうのも僕だ。カルラに恋をしたあの日から、彼女の望んだ僕であることが、僕の生き方だった。 きっと、彼なら。レギュラスなら、そんなことお構い無しに彼女を振り切るのだろう。だって彼は、一人で、僕らに何も言わずに死んでしまった。それがどれほど彼女を傷つけ、変えてしまったのかをこの目で見てきたからこそ、僕は身動きがとれなくなる。 気付けば僕の瞳からは涙が溢れていた。静かに滑る雫が刻印に落ちては拡がった。この涙で、消してしまえたらいいのに。 「っカルラ、好きだよ」 「う、ん」 「愛してる」 「うん、」 「ねえ、カルラは?」 「私も、……私も、だよ」 今までも、これからも、決して自分から好きだと口にしないカルラに、泣きながらキスをした。 浸透圧/shr |