作品 | ナノ


扉をそっと押し開けてテラスに踏み出せば、賑わいが一気に遠退いた気がした。夜がもたらす、特有のひんやりとした空気が頬を掠めていく。はあ、きもちい。心の中で一人呟いて右手のグラスをゆっくりと揺らすと、月明かりが反射してきらりと輝いた。

懲りないものだ。もう何度も顔を合わせている人達が、何度も聞いたことのある台詞で私達に笑い掛ける、そんな小さくてあまりに単調な世界に私はうんざりだった。「ハクスリー家の名に相応しい立派で美しいお嬢さんですこと」「どうもありがとう、ですが私はお母様に比べたらまだまだですわ」どこまでもテンプレートな会話であると、思わないのだろうか。否、きっと相手も思っていることだろう。


ふいに、ドアノブを回す音。振り返った先には、呆れたように笑っている少年がいた。

「またここに逃げていたんですか」
「レギュラスだってたった今逃げてきたじゃない」
「僕は違いますよ、貴方を見かけたからです」
「あらら」

それも他と変わらぬ世辞か、或いは。なんて考えること自体無駄である。レギュラス・ブラックは、この狭苦しいパーティ会場において心を許せる数少ない人間のうちの一人であった。
「はやく、休暇が終わればいいのに」

口にしたところで何か変わるわけでもない、ただの戯言にもやわらかく相槌を打って彼は応えた。やさしい人である。そのやさしさに私はいつも、つい甘やかされてしまうのだ。
夜風が吹き抜けて剥き出しの肩を冷やす。少し身震いした私に気付いたのであろう、レギュラスがさも当たり前かのようにポケットから杖を取り出したものだから、思わず笑ってしまった。ぴたりと動きを止め、「あぁ」となんともいえぬ声で呻く。そして、「ええ、本当に。早くホグワーツに戻りたいです」と、再びしみじみと呟くのであった。

「学校の外では魔法が使えないなんてさー」溜め息を吐く私に、「それは流石のカルラでも、掻い潜れないのですか」なんて冗談めかしてレギュラスは笑っている。綺麗な顔立ちが淡い光に照らされて、一瞬、目を奪われてしまった。

「いやいやいや、無理だから。君は私を何だと思ってるの」
「さあ。少なくとも普通じゃないのは確かですよね」
「えー……なにそれ、至って普通だからね私は」

いつの間に脱いでいたのか、彼の上着が私の肩に優しく掛けられた。魔法が使えない代わりに、ということらしい。やわらかな温もりが肌を伝って広がる。それこそが、まさに魔法であるかのように思った。素直に口に出すと「馬鹿じゃないですか」と言われてしまった。

「馬鹿じゃないですー」

だって心がぽかぽかあたたかくて、本当に魔法みたいなんだもの、そう小さく付け加える。視線を感じたのでわざと顔を背けた。見られることが好きではないのは確かだけれど、今感じているのは嫌悪感ではなく羞恥心とか、多分そういう類いのものだ。顔がむあっと熱くなるのがわかって、誤魔化そうとグラスに口をつける。冷えた空気なんて関係ないくらい身体中が火照っているものだから、やはり魔法のようだと思った。

「カルラ、こっち向いて下さい」
「い、いやです」
「……」

心臓がせわしなく胸を叩き始めた。相変わらず扉の向こうからは他人事のように談笑の声が漏れている。これ以上踏み込むべきではないと思う反面、きっと誰も見てはいないだろうという考えが揺らめいた。

「それが魔法だと、カルラは本当に思っているのですか」

レギュラスの声色は確信を帯びているようで一層私を追い詰める。グラスの中はからっぽ。落ち着かない脚をすり合わせ、掠れた声で漸く発したのはどっち付かずの唸りだった。

「カルラ」

そんな声で、私の名前を呼ばないで欲しい。どんな時だって大人達の目を掻い潜ってきたのは事実だ。でも今度のことは、ママから隠れて百味ビーンズや蛙チョコレートに舌鼓を打つこととは訳が違う。そうしているうちに私の手を握ったそれが、いつまでも悶々と悩むことを許さないと語っていた。

すべての景色が呼吸を止めて、他の誰も居ない世界に今、二人は居る。スローモーションのようでいて、一瞬の出来事。唇が触れ合って、それから離れていく。

「二人だけの、ひみつですよ」

レギュラスは、ただ人差し指を立ててにっこりとしていた。
その仕草が、表情が、どうしたって私には、正体のばれた魔法使いの姿に見えてしまうのである。






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