作品 | ナノ


走る。私の行くべき所に向かって全速力で走り続ける。無機質な床を裸の足が叩く音、小刻みに吐き出す息の音、機械音エトセトラ……ない交ぜになって耳へと流れ込む。額にうっすらと滲んだ汗は流れ出しもせず、鬱陶しくただそこにあるだけ。どれほど足を動かしても一向に変わろうとしない景色の中、私の頭の中ではつい数十分前のやり取りが繰り返されている。


ヒロトが部屋を後にしてから暫く経っていた。真っ向から彼の言葉を否定して宣戦布告をしたものの、何一つアクションが起こらないものだから、さてどうしたものか。曖昧に微笑んだふりをしたヒロトの表情は、まだ記憶に新しい。しかし、戦力になる気すらない私をここに留めておく理由は、ないはずだ。そうでないなら――戦力になる気にさせる手段が有るとしたら……――、……、最悪の考えが頭をよぎって固く目をつむる。思考を巡らせれば巡らせる程に、頭は鉛が入ったかのように重くなっていった。

「お食事をお持ちしました」

不意に聞こえた静かな声に目を開く。開いた扉からぼんやりと光が滑り込んだ。つい先日、少しだけ言葉を交わしたあの子だ。昔も今も変わらずいつも浮かない顔をしている、研究員のあの子。

「食欲がないわ」

本当のことだ。何も口にしたくない。余計な事を考えた分、今は彼女たちから与えられるもの全てを疑わずには居られなかった。

「……お食べ下さい。食べないと、保ちませんよ」

ゆっくりと光がまたたく。その言葉の真意は。探るように彼女の瞳をじっと見詰めてやっと、その暖かな微笑みに気付いた。

「……昴ちゃん。このままこの部屋にいると、あなたはお父様に良いように使われてしまいます。だから、逃げて。今日もうすぐあなたのいたチームがここに来るから、言った通りに走れば合流できるはず」

瞳が優しそうに弧を描いた。沈黙の中さ迷う、判断。確かに、私をどうにかしようってんならわざわざ外に出してまでリスクを犯す必要はないわよね……なんて、本当は全て合理化して早く外に出たいだけだったのかもしれない。時計の音が急かすように響く。「試合も控えてる。だから、食べて」一つ、朝食のパンに手を付ければ、彼女がまた安心したように微笑んだ気がした。





「っはぁ、」

吐き出す。吸い込む。幾度となく繰り返す呼吸がだんだんと遅れて行く。体力はそれなりにある方だけど……少し、苦しくなってきた。
結局今回も、誰かに助けられた。私に優しい世界は変わらないままで、私もそれを享受するばかりで。謂わば私はあの研究員を、犠牲にしたのだ。きっと他にも色んな人を犠牲にして、私は今走ることができている。私だって誰かを救いたい。
あの頃、私を守るヒロトの背中は、世界中の悲しみも優しさも美しさも背負っていたように見えた。世界で一番悲しいのはヒロト、世界で一番優しいのはヒロト、世界で一番綺麗なのもヒロト。馬鹿馬鹿しい話かもしれないけれど、何も知らない私はお日さま園が世界のすべてだったのだ。様々な悲しみを一ヶ所に集めた施設の中でも、最もつらい思いをしているひと。それは、ヒロトだと思っていた。
今ではもう私だって無垢で小さい子供ではない。世界は思っていたよりずっと広かった。悲しみの種類も、優しさの種類も様々だ。ヒロトより悲しい人も優しい人も、沢山いた。……一番綺麗なのは、やっぱりヒロトかしら。相も変わらず馬鹿馬鹿しい。そんな風に、考え方だって変わっていくし、人も変わっていく。いつまでも過去を見ていては進めない。幼い少女のままじゃいられない。これが今のところの、私が出した結論だ。

過去のふたりを心にそっと閉じ込んだら、意外にも気持ちは晴れ晴れしく足は軽くなる。踊るようにまた、光が瞬いた。

乱れる呼吸に埋まりながら辿り着いたその結論と比例するように、目の前に開けた部屋が広がった。続いて鈍く響く車のエンジン音。心臓が高鳴る。もはや考えるまでもない、間違いなくこれは、

「昴!」

色鮮やかな車体が荒々しく急停車。ゆっくりと開いたドアの向こうに懐かしい声。全てを照らす笑顔で、その太陽は私の名を呼んだ。どうかその太陽が、あの人をも照らしますように。
群がる仲間に心が和らぐ。やっぱりここが私の場所だ。


少しずつ、手繰り寄せていく。



♪StargazeR/骨盤P





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