作品 | ナノ




ふいに足音を耳にして、空気が張りつめる。
昴。少し低めの、よく通る声が鼓膜を震わせて息を止めた空間で、自動販売機だけが虚しく音を立てた。

「……」

「昴」

「雷門中に何か用かしら。円堂と話したいなら呼んで来てあげるけれど」

「……君に用があるんだけどな」


つい最近のこと。私が心の中で求め、焦がれ、想い続けていたヒロトの変わってしまったその姿を目の当たりにした。気が遠くなるくらい長い長い年月の間色濃く塗り重ねられた恋心を、たった少しの時間で乱暴に剥がされて行くのを、確かに感じていた。
取り出し口の中で待ちぼうけのスポーツドリンクのことも忘れて、私は地面を踏みしめる。夜の冷たい風が頬を撫でた。キャラバンからも大分距離がある。どうしたものか。

「背中は大丈夫?」

「お陰様で大きな青痣が出来たわ」

「それは……申し訳ないことをしたね、」

「……用件はそれだけ?」

「まさか」


単刀直入に言うけど、俺と一緒に来てほしいんだ。


予想していた通りの台詞をにこやかに吐いた。心が静かな悲鳴を上げていく。「言ったよね、俺は約束を果たしたいんだ。会いに行くって誓ったこと、覚えてるだろう?」

「こんな形で?しかも、それなら私が貴方に着いていく必要はないんじゃないの」

「どんな形でもだよ。そして俺は、この間の試合で迎えに行くとも言った」

「……これで、迎えに来たつもり?」

「他に何がある?」


大きく息を吸う、吐く。考えてみれば、私の中でもうとっくに答えは出ていた。この人は、私の知っているヒロトじゃない。沢山の嘘やしがらみが、あの綺麗だったヒロトを奥底にしまいこんでいるに違いないのだ。だったらやるべきことは一つだけ。私の大切なチームの、大切な仲間達と一緒に、こいつらに勝つ。その先には必ず、私の欲しかった未来が待っている。

ヒロトは私の救いだった。お日さま園にいた頃の内気で泣き虫で甘ったれの私の前に立っていたのはいつだってヒロト。あいつの鮮やかな赤い髪は私の目印で、よくよく考えてみれば視界に入っていないことなんてほとんど無かった。
今はもうその赤色が世界から消え去ったけれど、その代わりに私の周りには鮮やかな色が沢山溢れている。私はこのカラフルな景色で、笑顔に囲まれ生きている。そうすることが出来るのは、あの日星空の下、ヒロトが取り戻してくれたから。失った色を、もう一度綺麗に与えてくれたから。だから今度は私が、ヒロトを取り戻す。



「嫌よ。悪いけど、私は今の貴方を認めない。私が約束した相手だなんて、認めない」




また、心がさめざめと泣いた気がした。結局私を傷付けているのは私自身だ。でも、どうしようもないじゃない。こうやって一度突き放す以外に、私はあいつを取り戻す術を知らない。



「そう。なら仕方ないね」





その言葉を最後に、ただならぬ衝撃が首の後ろを襲った。バランスをとりきれない体が、前のめりに倒れていく。ねえ、あなたはこれを望んでいたの?ずっと待ち続けた結果が、これなの?少なくとも私は、こうなりたかった訳じゃないのに。差し出された腕に倒れ込む寸前で、私は意識を手放した。



「昴は、こちら側に居た方がきっと幸せになれるよ」







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