「あの、すいません」
駄菓子を買いに行こうと沖田が屯所の門をくぐった時だった。一人の男が沖田に声をかけてきた。
「ここは真選組の屯所であっているのでしょうか?」
「そうですぜィ。何か用ですかィ?」
「はい。実は…」
その時軽い足音が近付いて来た。見るとなつみが笑顔で手を振りながらやって駆けて来る。
「沖田さ〜ん!出かけるんでしたらあたしも一緒に…」
なつみは足を止め、顔をひきつらせて驚きの声をあげる。その視線は沖田の横の男に向かっている。
「お兄ちゃんっ!?」
「…はぁ!?」
沖田は男を慌てて振り返った。男は目を見開いて固まっている。お兄ちゃんって…。
「似てねェ…」
男がなつみの前に進み出ると、なつみは後退る。
「な、なんでお兄ちゃんがここに…」
「お前を連れ戻しに来たに決まっているだろう」
男の言葉を聞いた沖田は目を見開き立ち尽くした。
「妹が迷惑をおかけして、どうもすいませんでした」
香坂隆斗は畳に手をつき頭を下げた。近藤は苦笑い浮かべる。
「頭を上げて下さい。なつみちゃんは女中としてよく働いてくれています。迷惑なんてそんな…なぁ、トシ?」
「腐るほどかけられたがな」
「土方さん!そこは嘘でもついてフォローしてくださいよ!」
「お前、今自爆したぞ」
「いきなり押しかけて居座って…本当にバカな妹で恥ずかしいです」
沈痛な面持ちで兄に言われ、なつみはうっと呻く。反論出来ない。
「いきなり一目惚れした人の所に行って恋人にしてもらうと言い出し、父親が冗談半分でバカにしたら家を飛び出しそのままずっと帰って来ず…。連絡は一切ないし、父親と母親に言っても「まぁ、大丈夫だろ」適当で捜す様子を見せないし、なつみの友人達に聞いても「好きな人が出来たなんて初耳〜」で手掛かりは一つもない。毎日人に聞き込み、やっと真選組の人と一緒にいたと言う証言を得て…」
近藤と土方と沖田は隆斗に同情の目を向けた。相当苦労したのだろう。一方でなつみは罰の悪そうな顔をしていた。
「元気にしているかずっと心配でしたが…」
そこで隆斗は優しそうに目を細めなつみを見つめた。
「元気そうで良かった」
「…心配かけてごめんなさい」
なつみ正直に謝る。兄に心配をかけたことを今更ながら後悔する。
「皆さん。妹がお世話になりました」
深々と頭を下げる隆斗を見て沖田は土方に囁いた。
「すっげェ礼儀正しくて出来た人ですねェ」
「あぁ。アレの兄とは思えねェ」
「全くですねィ」
「聞こえてますよ」
なつみは沖田と土方を睨むが反論することが出来なかった。
「なつみ」
「…はい」
「家に帰るぞ」
「…嫌」
両親が適当な人間なため、なつみは歳の離れたこの兄が親代わりだった。優しくて、兄が言うことは正しいと思い何でも聞いてきた。今だって、兄が正しいのだろう。でも、帰る訳にはいかない。
「あたしまだ沖田さんと恋人同士じゃないもん!だから、」
「なつみ」
大好きな兄に睨まれなつみは体を竦める。隆斗はすぐに目線を和らげる。
「なつみは寺子屋の先生になるんだろ?」
「…うん」
「なら、たくさん勉強しなくちゃダメだ。それは分かっているだろ?」
「…うん」
「このまま寺子屋を休んでて、先生になれると思っているのか?」
「……」
その通りだった。なつみだってこのまま休んでていていいとは思っていない。でも…。
「帰らないって言ったら帰らないっ!」
そう叫んでなつみは客間を飛び出した。隆斗は大きなため息をつく。
「すいません…」
「いやいやそんな。しかし、なつみちゃんがいなくなるのは正直寂しいですなぁ」
頭をかく近藤を見て隆斗はホッとしたように笑った。
「真選組にいると聞いた時、正直不安でたまりませんでした。でも…あなた方はとてもいい人そうで、本当に安心しました」
隆斗はそう言ってから沖田の方を向く。
「えっと、あなたがその…」
「沖田でさァ」
名乗ると隆斗は頭を下げた。
「妹がいきなり押しかけてすいませんでした。いろいろと迷惑をかけたでしょう」
「本当ですねェ」
隆斗は顔を上げ微笑む。
「妹の我儘に付き合って下さってありがとうございます。あなたのお陰で久しぶりに見る妹は楽しそうでした。自分の妹ながら見る目がなるな、と言いたいです」
なんだか恥ずかしくなり沖田は隆斗から目をそらす。 バカ正直に自分の意見を言うところはなつみとそっくりだと思った。
「それで、その…沖田さんにお願いがあるんです」
「…分かってまさァ」
沖田は立ち上がりなつみが出て行った襖に手をかける。
「すいません。俺は…なつみに夢を諦めて欲しくないんです」
沖田は振り返り隆斗の方を見てニッと笑う。
「それは俺も同じでさァ」
隆斗は少し目を見開き、そっと笑った。…妹はちゃんと目的を果たしたらしい。
なつみは縁側で膝をかかえていた。沖田の方をチラッと見てすぐそっぽを向く。沖田は面倒臭そうに頭をかいた。
「オイ、」
「お兄ちゃんにあたしを説得するように頼まれたんですよね?」
「…あァ」
なつみは顔を膝に埋める。
「嫌です。帰りません」
「…何でですかィ?」
「だって…あたしが帰ったら沖田さん、あたしじゃなく違う女の人を好きになっちゃうかもしれないじゃないですか」
「……」
「そんなの、絶対嫌です」
沖田はため息をつきなつみの横に座った。
「なら約束してやらァ」
「…約束?」
なつみは顔を上げた。なつみと沖田の瞳が交わる。
「お前が立派な先生になったら俺の恋人にしてやる」
「え…?」
なつみは目を見開いた。沖田は微笑む。
「俺はお前以外の恋人を作らねェ。お前が大人になるのをずっと待ってまさァ」
「…本当?」
「本当でさァ」
「ッ、」
なつみは沖田に抱き着いた。沖田はそれをしっかりと抱きしめる。
「お前は先生で俺の嫁になるのが夢なんだろ?」
「はい…はい…!絶対、絶対!」
沖田はギュッとなつみを抱く腕に力を込める。
「お前が先生になる頃には俺は土方を殺して副長になっていまさァ」
なつみは笑い沖田の顔を見た。
「約束、ですよ?」
「なんなら誓いのキスでもしてやろうか?」
「え?」
ボッとなつみの顔が赤くなる。
「いや、そんな、」
しどろもどろになるなつみを見て沖田はもっとからかいたくなった。なつみの耳元に唇を寄せて低く囁く。
「なつみ」
「ッ!!」
更に顔を赤くするなつみに追い撃ちをかけるようにその唇を奪った。チュッ、音をたてて唇同士が触れ合う。
なつみは頭から湯気を出して気絶した。そんななつみを沖田は満足そうな微を浮かべて抱きしめた。
翌日、早々になつみは屯所を立ち去ることとなった。
「なつみちゃん。今屯所は人手不足なんだ。寺子屋が休みの時は手伝いに来てくれよ」
近藤の申し出になつみは顔を輝かす。
「是非っ、是非お願いします!」
近藤は頷きなつみの頭を撫でた。
「なつみちゃん…」
「陽菜さん」
陽菜は涙を浮かべながらなつみを抱きしめた。
「なつみちゃん、ありがとう。元気でね」
「はい!陽菜さんこそお元気で!」
土方はなつみの頭をポンポンと叩く。
「迷惑はいろいろかけられたが…助かったこともあった。ありがとな」
「土方さん…。お世話になりました」
陽菜はなつみを離し、沖田に目をやった。促された沖田はなつみの前に進み出る。
「約束、忘れないで下さいね!」
「分かってらァ。なんならもう一度誓いの…」
「キャーキャーキャー!」
慌てて沖田の言葉を遮る。そんな反応を沖田は楽しそうに見つめる。
「…沖田さん」
「なんでィ?」
「大好きですっ!!」
「…知ってまさァ」
なつみは嬉しそうに笑い、隆斗と共に屯所を去った。その背中を見送りながら近藤がしみじみ行った。
「寂しいなるなぁ」
「…すぐ、賑やかになりまさァ」
沖田は微笑みながら呟いた。
「寂しいか?」
隆斗に問われ、なつみは複雑そうに笑う。
「寂しいけど…平気。だって、またすぐに会えるから」
あなたに出会って、恋をして。幸せでした。たまに苦い想いもしたけど…それでも、あなたは優しかったから。
「沖田さんの恋人になるために頑張らなきゃ!」
蜂蜜色の恋
あたしの恋は甘くて苦い、とっておきの恋です。