思うのだ。
結局、幸村くんに私はどうしてほしかったのだろう、と。
無理をしないでほしかった。
テニスをやめてほしかった。
私の気持ちに答えてほしかった。


…違う。こんな、身勝手な感情を押し付けたいんじゃない。
幸村くんに笑っていてほしい。幸村くんに幸せになってほしい。
幸村くんの笑顔と幸せのためにはテニスが必要で、同時に苦しめているのもテニスで。
私はただ幸村くんに、







「テニスって楽しいじゃん」


小さな体で試合をする少年は、瞳を輝かせボールを打つ。口元を緩ませ、楽しくてたまらないという表情で。








(テニスを楽しんでほしかった)


責任感だとか使命感だとかそういうことをなしにして、テニスが好きだから、テニスが楽しいから、テニスをやってほしかった。
だって、病院のベッドの中でテニスの話しをする彼は楽しそうだったから。友人のこと、他校の選手のこと。生き生きと話す幸村くんが好きだった。好きなことに夢中な幸村くんを好きになった。












茜色に染まる世界を見つめ、結菜は静かにただずむ。聞き覚えのある声が近付いて来た。声がする方を振り返る。会場を去る立海テニス部員たちがこちらに向かって歩いて来ていた。
最初に結菜に気が付いたのは赤也だった。


「宮瀬先輩?」


テニス部員たちの視線が一気に結菜に集まる。その視線は無視し、幸村の姿を見つけだし微笑みを浮かべた。
柳が幸村の肩を叩く。


「精市、俺たちは先に行っておく」
「…ああ」


部員たちが立ち去り、幸村は結菜に近付いた。二人の距離は1メートル。


「…見に来てくれたんだね」
「うん」
「負けてしまったよ」
「残念だったね」
「ああ、悔しい。負けるなんて初めてだから」


一歩、幸村が近付く。


「宮瀬さん。オレは、テニスをやめるつもりはないよ」


幸村は笑った。憑き物が落ちたような、清々しい笑顔で。


「テニスが好きだから」


胸に、温かいものが込み上げてくる。テニスに苦しむ幸村を支えたのは仲間たちで、テニスに縛られる幸村を救ったのは小さな少年で、結菜は何もできなかった。結菜がしたことと言えば、不器用な言葉で幸村を傷付けただけ。
それでも、嬉しかった。幸村が笑っていられるなら、それでよかった。一歩、踏み出し二人の距離を縮める。


幸村の手が頬に添えられる。見上げるととろけるような笑顔があった。


「ありがとう。ずっとオレの傍にいてくれて。好きになってくれて、ありがとう」


手が滑り、耳の裏を通り、髪をすきわけ、頭と腰に周り、抱きしめられる。
優しい手つきと暖かい温もりに結菜は泣きたくなるほど嬉しかった。


幸村が身を屈め、結菜の耳元で囁く。


「好きだよ」


心臓が掴まれたような気がした。頭がぽおっとして、ちゃんと立てなくなる。


恋に憧れていた。祖母のような恋がしたかった。運命的で、波瀾万丈な恋がしたかった。
でも実際にした恋はどうってことない。二人に障害があったわけでもない。結菜が幸村を救ったわけでもない。白い部屋で毎日のように会い、ただ想いを積もらせていった。
芽が出て、茎が伸びて、蕾が膨らみ、花が咲くような。小さな花がたくさん咲き、大きな花束になるような。


そんな恋だった。














朝日が煌めく、秋の空。結菜はご機嫌で屋上庭園の花壇に水をやっていた。早く咲いてね。そんな想いを込めて。
屋上の鉄の扉が開く音がした。そこに立っていた人物に結菜は驚く。


「幸村くん!」


藍色の髪をふわふわ揺らしながら幸村は笑顔でこっちへ向かってくる。


「朝練は?」
「弦一郎に任せてきたから大丈夫だよ」
「文化祭前で忙しいって柳くんが言ってたよ?真田くん大変じゃないの?」


途端、幸村は不機嫌そうな顔になる。


「二人と仲良いんだね」
「…なんでそうなるの?」


腰に手をあててもう、と怒るフリをすると幸村は笑顔になる。可愛い。そう言い頬を撫でられる。
幸村と付き合いだしてから分かったことは、幸村が独占欲が強いことと恥ずかしいセリフをさらりと言うことだ。こっちは心臓がもたない。


「今日は宮瀬さんにあげたい物があって」
「? 何?」


そう言われて初めて幸村が袋を持っていることに気付く。幸村は笑顔でそれを取り出した。


「わぁ…」


それは花が咲いた植木鉢だった。


「カトレア」


驚き目を見開く結菜の反応に幸村は満足したようだ。フフ、と楽しそうに笑う。


「オレが入院中赤也が持って来てくれたやつだよ。やっと咲いたんだ」「…私がもらっていいの?」
「ああ。赤也もいいと言ってくれた」


植木鉢を受け取り、抱きしめる。頬が緩んでいるのが自分でも分かる。


「ありがとう!」
「フフ、どういたしまして」


可愛らしく咲く花。カトレアの花。花嫁に一番相応しい花。


「…覚えていてくれてたんだね」
「もちろん」


あの白い部屋で、結菜が話した作者不明の詩。結菜にとって亡き祖母との思い出の宝物だ。


「もう少したったら、改めて送るよ」


結菜はカアッと顔を赤くする。


「もう…」
「フフ」


幸村は満足そうに笑い「そろそろ行くよ」と踵をひるがえす。


「幸村くん。テニス、頑張ってね」
「うん」


幸村は笑い、結菜も笑い返した。
朝日が煌めく。青空の下。グランドからは元気な声が聞こえていた。








カトレアの花束



カトレアの花。
どの花よりも花嫁に相応しい花。恋する二人の幸せのカタチ。




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