「宮瀬さん。落ち着くまでここには来ない方がいいよ」


そう、幸村に言われた時。安堵した。考える時間がほしかったから。


屋上庭園で梨乃と二人、壁にもたれかかりながら昼食を共にする。結菜は時々涙ぐみながら昨日あったことや、幸村に対する複雑な心境を語った。
返ってきた梨乃の返事は結菜が予期していた言葉と違った。


「あたしはアンタと幸村なら幸村の気持ちの方が分かるわ」
「…なんで?」
「あたしもスポーツをやっている人間で故障したことがあるから。将来とかそんなことを言われても知らない。今、悔しいのよ。今、やりたいのよ。今しかできないことだから。後に後悔するなんてこと考えてられない。今、後悔したくないの」


梨乃の言いたいことは、なんとなく分かる。でも納得はできない。


「で、アンタはちょっと夢見がちすぎ。砂糖吐くわ」
「な、なんでよ!?」


同じ女子として気持ちを分かってくれてもいいのに、全否定ときた。納得いかない。


「中学生の恋愛なんてテキトーでいいじゃん。部活頑張って、って応援しとけばいいだけなの」
「…幸村くんに頑張ってなんて言えない」
「だから夢見がちだって言ってんのよ。誰も彼もがアンタのおばあさんみたいに駆け落ちするほど熱い恋愛できるとか思うな」
「………」


それを言われると痛い。結菜の祖母はフランスで出会った日本人男性と恋に落ち、家の反対を押し切って恋人と日本に行った。
愛し合う二人が苦難を乗り越える話しが結菜は大好きで寝る前によく祖母にねだったものだ。
二人のようになりたい。そう夢見たのはいつからだっただろう。


「まあ、それが悪いこととは言わないよ」
「…そう?」
「ただ面倒臭いだけ」
「梨乃〜」


すぱっと一刀両断の物言いが清々しくて傷付くことはないが、さすがに恨めしくは思う。いったいどうしろと言うのだ。
ふてくされた結菜を横目で見て、梨乃は大きなため息をつく。


「アンタはアンタの恋の仕方をすればいいよ。あたしにはとてもマネできないからただ羨ましく思っているだけかもしれないし」


そう呟きながら梨乃は自嘲気味に笑う。


「梨乃はどんな恋の仕方なの?」


問うといつもよりもっと大人びた笑顔を浮かべて「今は内緒。またいつか言う」と言われた。







恋の仕方。そんなの、一つしか知らない。想い人の幸せを願うこと。想い人が幸せになるために自分が必要なのだとしたら、それは永遠の愛になる。自分の幸せが想い人と共にいることなら。それは永久の幸せとなる。
そんな愛に憧れた。そんな恋をしたかった。


(幸村くんにとっての幸せはなんなんだろう)


テニスは幸村のためにならない。考えてみれば、それは結菜の勝手な思いこみかもしれない。幸村にとっての幸せは幸村にしか分からないのに。







幸村のもとを訪れなくなって一週間と少し。日曜日の朝。お気に入りのワンピースを着て、めったにつけない大きめの髪留めを付けて、ピンクのバラとかすみ草の花束を持って。結菜は病院へ向かう。


テニス雑誌には幸村が言っていた手塚という人が肩を故障したことが書かれていた。痛い肩を無理して試合を続けたその人のことが結菜には分からない。たぶん、これからもずっと分からないまま。


幸村の周りにいる人たちは分かるのだろうか。羨ましい。だって、それは幸村と同じ目線を持っているということだから。


病室のドアをノックする。返ってくる柔らかいアルトの声。スライド式のドアを開ける。
窓から入る陽射しに藍色の髪をキラキラ光らせ、ベッドに上半身を上げた姿勢で幸村はいた。その表情は驚きの色がある。
結菜はふんわりと笑う。


「こんにちは、幸村くん」
「…こんにちは、宮瀬さん」
「これ、うちに咲いたお花」
「ありがとう。綺麗だね」


花束を宝物のように受け取り、幸村は鼻を寄せる。


「いい匂いだね」
「気に入ってもらえてよかった」


結菜は微笑む。幸村は花を下ろし、結菜を見る。じっと見つめてくる幸村の瞳に首を傾げた。


「…手術が決まったんだ」


ややあって幸村が努めて淡々とした口調で言った。


「オレの病気は病名が分からないもので、手術は日本では難しって言われてたって言ったよね?」
「…うん」
「偶然、フランスの名医が日本に来日することになって…オレの手術をしてくれることになったんだ。…オレは……」


幸村はシーツを握りしめいつもぴんっと伸びている背筋を曲げて、絞り出すように言った。


「オレは、またテニスができる…!」


テニスができずこの白い部屋に閉じ込められていた孤独からの解放。溢れ出す喜びを表現すること術を知らず、幸村は体を震わす。その幸村の姿を見て、結菜は泣きたくなった。
幸村にとって一番大事なのはテニスで勝ち続けることなのだ。


「…試合、見に行くね」


囁くような声で、結菜は言う。
本当はこんなこと、言いたくない。無茶なんてしてほしくない。テニスに縛られてほしくない。でも。テニスが幸村の幸せなら。


「試合、見に行く。テニスのルール、全然知らないから勉強しとく。だから、……だから、早く元気になってね」


心の底から、幸村が望むように喜ぶことはできない。でも。
やっと手術が受けられる。幸村は病気から解放される。幸村を失わないですむ。


(そのことを喜んだっていいよね)


「よかった…」
「宮瀬さん…」


涙が零れた。幸村の白い手が結菜の頬にそえられる。


「よかった、幸村くん。幸村くん、もう苦しまなくていいんだね。外に出て、咲いている花を見てもいいんだね。…よかった。……嬉しい」


嬉しい。嬉しい。涙がぽろぽろ、こぼれる。


「……ありがとう」


幸村が優しい手つきで涙をぬぐってくれる。今にも壊れそうな硝子細工を扱うかのように。
それがまた嬉しくて。涙はしばらく止まることはなかった。







ライラックは胸に咲き誇る



お互いがお互いを想う気持ちが温かくて、嬉しい。
けれど、一番大切なことはすれ違ったまま。



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