今日は病室へ入るのに勇気がいった。意を決してノックをすると中から聞こえるやわらかなアルトの声。スライド式のドアを開けると温かい笑顔。


「こんにちは、宮瀬さん」
「こんにちは」
「昨日は忙しかったのかい?蓮二が宮瀬さんは日直だから仕事を任されたのだろうって言っていたけど」
「…その通りなんだけど、柳くんはどうして他のクラスの日直まで把握しているの?」


末恐ろしい。幸村は蓮二だからね、と笑う。
ベッドに近付きイスに座る。いつも通りに振る舞おう。そう思っていたのに幸村の手元にあるのがテニス雑誌だと分かった瞬間目を見開いてしまった。


「どうしたんだい?」
「…ううん。……その雑誌、どうしたの?」
「これかい?昨日弦一郎と蓮二が持って来てくれたんだ」


幸村が開いているページに自然と目がゆく。


「越前リョーマ…」


小学生みたいな小さな男の子。ただ、不敵に笑うその姿は彼を大人びて見せる。


「青学の一年生。今年の中学テニス界の注目の的、かな。記者も力を入れているよ」


淡々とした幸村の声音に結菜は無意識に自分の腕を抱く。幸村はテニスの話しをする時はいつも冷たい表情と声をする。
最初は好きなテニスをできないもどかしさからなのだと思っていた。でも、夏が近づくにつれて、そうではないのだと分かった。


テニスをしたい、ではなく、テニスをしなくてはならない。
三連覇をしたい、ではなく、三連覇をしなくてはならない。
立海大の部長として、神の子と呼ばれたプレイヤーとして、幸村はテニスに全てをかけている。勝つためには何でもする。


結菜はそれが、寂しい。


「…その子、強いんだね。青学って強い学校なの?」
「いや、青学はそこまでだよ。全国大会も昔は出ていたけど近年は出ていない。このボウヤがそれほど強いとは思わない。…ああ、でも青学には手塚がいる」
「手塚?」
「うん、青学部長の手塚。アイツは強いよ。弦一郎とだったらどっちが強いだろう」


フフ、と幸村は楽しそうに笑いながら、真田が勝つと確信を持っているように思えた。


「……幸村くんはその手塚くんより強いの?」


幸村は軽く目を細め口の端をあげる。当然だ。その笑顔がそう語っていた。


怖い、と思った。幸村をそこまでさせたテニスを。
花の話しをしよう。そうすれば幸村は笑ってくれる。優しく、温かく。幸村は花が好きだから。


「あのね、幸村くん。屋上庭園のひなげしが綺麗に咲いたんだ」


急な話題展開に幸村は首を傾げる。でも、結菜はしゃべり続けた。校庭の花壇にはパンジーが咲いたこと。今度写真を撮ってくるね。次は何の花の種を植えたらいいと思う?幸村くんは初夏の花は何が好き?


「それからね、あのね、」
「宮瀬さん」


静かに名前を呼ばれて口をつぐむ。幸村は布団から抜け出し、ベッドの横に腰掛け結菜の顔を覗く。


「なにがあったんだい?」
「……分からない」


分からない。本当に分からないのだ。頭がぐちゃぐちゃしている。こんなはずじゃなかったのに。幸村くんを好きになるつもりなんてなかったのに…。


幸村は結菜の髪に手を伸ばす。手が触れるその前に、ノックの音がした。


「幸村くん。いいかな?」
「はい」


入って来たのは幸村の担当の看護婦だった。結菜もいることが分かって表情に躊躇いを浮かべる。
そのことに気付いた結菜は席を外そうと腰をあげるが看護婦に一緒に聞いてくれととめられた。幸村との気まずい雰囲気から逃れることに安堵した結菜だが、看護婦の顔は神妙で、戸惑った。
やがて看護婦が重い口を開く。


「りかちゃんが亡くなったわ」


その言葉の意味を、理解することができなかった。
結菜と幸村をお姉ちゃんお兄ちゃんと言った可愛い女の子。小さい女の子。その子が…なに?


仲良くしていた子供たちが理解することはできないと思う。でも、戸惑わせないであげて。
そのようなことを言って看護婦は去って行った。


結菜は何も考えることができなかった。座ったまま動かない結菜の掌を幸村の手が包む。温かいぬくもりにやっと結菜の心が動いた。頬に涙が伝う。


お姉ちゃん、そう呼んで甘えてきた女の子。その子が死んだ。夢がたくさんある小さな子が死んだ。
子供を失った親の悲しみはどれほどの大きいのだろう。友達を失った子供たちの寂しさはどれほど大きいのだろう。
それより何より、結菜は怖くなった。ここは病院で、いつ誰が亡くなるか分からない場所で、幸村がそこにいるという事実が。
幸村くんが死んでしまうかもしれない。やだ。やだ。そんなの、絶対やだ。
幼い子が亡くなった悲しみよりも幸村を失うかもしれない恐怖から流れてくる涙に自己嫌悪する。なんて酷いやつだ。でも、とまらない。涙がとまらない。幸村を失いたくない。


「っ、」


幸村の腕が背中に回る。結菜は幸村に抱きしめられた。伝わるぬくもり。幸村が生きている証。
大きな手が頭を撫でてくれる。幸村を感じれば感じるほど、幸村を失ったらという恐怖が大きくなる。結菜は幸村の腕の中で泣いた。たくさん泣いた。


「…大丈夫だよ。オレはここにいる」
「……うん、…うんっ」


こんなつもりじゃなかったのに。なのに、幸村のことが好きな自分がいる。
幸村が好きで、失いたくなくて、理解したい。それなのにテニスに全てをかけている幸村が分からなくて、テニスを生き甲斐に病気と戦っていれ幸村を否定している。
幸せになってほしい。結菜が想う幸せな幸村はテニスをしていない。でも、幸村にとってテニスは全てだから。


好きで、理解したくて、幸せになってほしい。そんな恋をした。でもそれは、今の幸村を否定するものだった。







アリウムの連鎖



こんなつもりじゃなかったのに。




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