春がやって来た。日本の春が。
「私、桜は花の中で特に好き」
結菜はご機嫌で幸村の病室から見える桜を見る。
春がやって来た。花が彩る季節が。桜の季節が。青い空を舞い、大地に絨毯をひき、池に模様を描く。桜の花びらは世界を桃色に染める。
「こんなに桜が綺麗に見えるなんて、この部屋は特等席だね」
「フフ、そうだね」
結菜が持って来た桜の木の写真ばかりが入ったアルバムを開けながら幸村は窓から身を乗り出しはしゃぐ結菜の姿をくすくす笑った。
「あ、これ綺麗だ」
「どれ?あ、そこらへんのは京都の写真。それは平安神宮かな?」
「平安神宮?へー、いいね」
「うん。綺麗だった」
これは清水寺、八坂神社、これは南禅寺。一緒にアルバムを覗き込みながら一つ一つ指をさして説明する。
「でね、ここは、……」
ふっと顔を上げると間近に幸村の顔があった。相手の瞳に自分の顔が映っているのをお互いに確認できる距離で、慌てることもなく、恥ずかしがることもなく見つめ合う。
綺麗だなぁと結菜は思う。目も鼻も口も。ヨーロッパ系のパーツは一つもない。日本人の顔。陽射しに当たり光る不思議な深い藍色の髪と瞳。瞳には曇りなどなく、輝いている。意志の強い瞳。
綺麗だなぁと幸村は思う。目も鼻も口も。日本人とは少し違うヨーロッパ系の顔。絹のような小麦色の髪に宝石をはめ込めたような翠の瞳。透き通った瞳。
(この瞳が自分だけを映す日はくるのだろうか)
視線を先に外したのはどっちだったのだろう。結菜は乗り出していた体を戻し「ごめん」と言う。「いや」と幸村が応え、沈黙が落ちた。
窓の外では春風が桜の花びらを遠くに旅だたせている。
「…今日、始業式だっだんだよね」
「うん」
学校が始まった。結菜たちは3年生になった。最後の中学生生活が、始まった。
でも、幸村は病院の中。学校には行けない。
「幸村くんと同じクラスになれなかったのは残念だなぁ」
「うん、オレもだよ」
幸村は3-C。結菜は3-Eだ。
「梨乃ともクラス離れちゃったし…」
大きなため息が零れる。新聞部や写真部の友人たちとは同じクラスだったので、それはそれで嬉しい。だが親友と今までみたいにすぐに会えないのは寂しい。
「別にすぐ会える距離じゃないか」
「そうだけど、違うの。幸村くんだって真田くんとクラス離れて寂しいでしょ?」
「いや、別に?」
「…男の子ってよく分からない」
「なんだい、それ」
幸村は苦笑し、視線を写真に戻した時だった。ドタバタと騒がしい足音と明るい笑い声が複数。それから叱る看護婦の声。結菜と幸村は顔を見合わせて笑った。
「精市兄ちゃ〜ん!遊ぼう遊ぼう!」
「あれ?お姉ちゃんがいる!」
「本当だ!結菜お姉ちゃんがいる!」
元気よく病室に入って来た小さな子供に囲まれ結菜は優しい気持ちになる。
「みんな、元気にしてた?」
近くにいた女の子を抱き上げ、その熱さに結菜は驚いた。顔を見ると少し頬が赤い。
「りかちゃん熱あるんじゃない?」
幸村は眉を寄せベッドから立ち上がりその子の額に触れた。
結菜に目配せをすると心得たように結菜は頷いた。
「よし、今日はみんなの部屋で絵本を読もう」
子供たちはわぁい、と喜びの声をあげ二人を早く早くと急かす。
幸村はカーディガンを羽織り、結菜から女の子をあずかった。その体温の高さに再び眉を寄せる。結菜は不安気に少女の顔を覗き込む。
「りかちゃん、しんどくない?」
「…りか、元気だよ。みんなと遊ぶんだもん」
無理をしていることはすぐに分かったがここで休むことを強制しては興奮させるだけだ。
「…そうだね。絵本、読んであげるね。りかちゃんは何の絵本がいい?」
「…シンデレラ」
「え〜!オレはピーター・パンがいい!」
「白雪姫!」
「桃太郎!」
騒ぎ出した子供たちに結菜と幸村は苦笑を浮かべる。
「こらこら、みんな順番だよ」
子供たちを部屋に誘導しながら幸村は結菜に耳打ちする。
「部屋についたらオレがみんなを引き付けるから看護婦さんを呼んで来てくれるかい?」
「うん、分かった」
「任せるよ」
子供たちの病室に行き少し暗くして絵本を読み聞かせているうちに一人、また一人と子供たちは夢の世界へ旅立って行った。ベッドに寝かせ、熱を出した少女には看護婦が点滴を打った。
「りかちゃん、最近よく熱を出しているらしいんだ。他の子に移さないために近いうちに個室に移動するらしい」
「そんなっ、可哀相よ!」
思わず非難の声をあげるが苦しげな表情の幸村を見て後悔する。幸村だって悲しいのだ。
「ごめんなさい」
顔を額に浮いた汗を拭ってやり結菜は熱に浮されたその顔を見つめる。それから別の子たちにも目線をやった。
この子たちは元気に見えるけど病気を抱えている。熱一つが体に大きな与える影響かもしれないのだ。…それは幸村もだ。
心臓を握りしめられたような気がした。幸村に万が一のことがあったらどうしよう。一度浮かんだ不安は頭をぐるぐると駆け巡り体が強張る。
大きな手が結菜の頭を撫でた。見ると、幸村が柔らかい微笑を浮かべている。まるで、結菜の心中を読んで大丈夫だよ、と言っているみたいに。
結菜は自分が情けなくなった。病気を抱えている本人に励まされてどうする。
でも、幸村の笑顔は安心できて、手の平のぬくもりが心地好いから、不安が和らいだ。
「…りかちゃん、早く熱がひくといいね」
「うん、そうだね」
ストックの瞳が曇らぬように
外では風が吹き、桜の花びらが空に舞っている。それは綺麗で、温かくて、でも、少し怖かった。