柳は本棚から一冊の本を取り出した。『秘密の花園』。両親を亡くした少女、メアリーが預けられた家で壊れた花園を見付けその花園を蘇らせる話しだ。
俺もこんなふうに花園を作ってみたいな。現実主義な幸村にしてはひどく曖昧で夢見がちなことを言ったので印象に残っている。


宮瀬結菜のことを幸村が意識していることを柳は知っていた。それゆえ幸村が彼女に関わろうとしなかったことも。私立校であり、スポーツに力を入れている立海大附属で留学生は数人いる。だが、高校や大学に比べてはやはり少ない。その中で結菜の容貌は際立って目立っていた。
本人が目立たないように過ごしているのはすぐ見てとれた。幸村との間に流れた噂は彼女にとって煩わしいものでしかなかったはずだ。そのことを幸村が傷付いていることに柳も知っていた。


幸村が入院し、結菜が見舞いとして花を贈り、二人にはやっと繋がりができた。だが、幸村はその繋がりをすぐに絶とうとした。


『ジャッカル、明日宮瀬さんにお礼を言っておいてくれるかい?』


柳は気が付けば口を開いていた。


「精市、直接言ってはどうだ?宮瀬は放課後は空いているだろう。ここに寄ってもらうのもさほど迷惑には思わないと思うが」


柳の意図を幸村はすぐに理解したのだろう。目を細めて柳を見据える。幸村には結菜の話題をふれることにきらいがある。そのことを知っているのも柳だけだ。
だが、思わぬところから賛同の意があがった。真田だ。


「うむ。たしかに、礼というものは相手にちゃんと言った方が伝わるな」


幸村は感情の機微に鋭い。それゆえ多くを抱え込み思案する。逆に真田は人の感情に疎い。合法的に物事を考える性格だからだ。何の裏表ない生真面目な真田の言葉は思案に暮れる幸村を救う。少なくとも柳はそう思っている。
真田の意見に柳生、丸井と賛同するなか仁王は読めない表情で何も言わず、結菜を知らない赤也は興味がなさそうにケーキを食べていた。幸村がため息をつくとジャッカルは困惑し、自分は宮瀬にどう伝えればいいのかと幸村に問う。


「…お礼を言いたいから会いに来てほしい、って伝えてくれるかい?」


その時の幸村の表情はこの決断が正しいのかどうか迷っている様子だった。躊躇いの瞳で真田を見る。真田はその躊躇いに気付かないし幸村が躊躇う理由も知らないが、それでいいと頷く。幸村は苦笑した。


幸村と真田は対称的だ。互いに無いものを互いが持っている。それを補うかのように、二人は共にいる。
二人には信頼関係があって、その信頼関係が羨ましくなる。それはかつて柳自身も持っていたものであるが、今はもうないものだから。









昼休み、予鈴が鳴る前に柳は一冊の本を持って図書館を出た。ふと窓の外を見ると向かいの棟で小麦色の髪を揺らしながら歩く女子生徒を見付けた。結菜だ。視線を動かし、柳は目を見開く。


結菜の前方には赤也がいた。結菜の名前があがってから赤也は結菜に興味を持ち始めている。顔は知らないだろうが、容姿の概要は知っている。結菜と接触すれば赤也が何を言い出すか分からない。
柳は急いで二人のもとへ向かった。





「アンタ、宮瀬結菜さん?」


遅かった…。柳ははぁっとため息をつく。赤也に顔を覗き込まれ結菜は戸惑っていた。「赤也」と後ろから柳は声をかける。振り返り「柳先輩!」と赤也は無邪気に笑う。
柳は二人のもとへ行き赤也の頭にぽんっと本を乗せた。


「後輩が不躾なマネをしてすまなかったな」


結菜は合点がいったのか、「もしかして切原赤也くん?」と赤也の方を窺う。


「ういッス!テニス部期待のエース切原赤也ッス!」


元気な赤也の返事に結菜は小さく声をたてて笑う。赤也が顔を赤くするのに気付き柳はもう一度頭を叩いた。


「幸村くんが言っていた通りの子だね」
「…幸村部長、俺のこと何て言ってたんスか?」
「えっと、元気で練習熱心な子だって言ってた。成長が楽しみだって」


赤也は顔を輝かし照れ臭そうに鼻の上を指でこする。
柳は安堵した。幸村とはうまくいっているようだ。だが、柳が気を抜いた途端に赤也がとんでもないことを言い出した。


「こんな美人さんなら幸村部長の彼女として何の不満もありません!」
「え?」


このバカ!と柳は叫びたくなった。あらぬ噂をたてられた結菜と幸村にとってその言葉はNGだ。せっかく二人がうまくいっているのに亀裂が入ったらどうするつもりだ。
焦燥にかけられ赤也の頭に置いていた本に力を込め赤也を押さえ付ける。戸惑う赤也など知ったことではない。どうフォローを入れるか柳は思考をめぐらすが結菜の表情を見てそれをやめた。同時に赤也を押さえる力も抜ける。


「ええっと、切原くん。私はその、幸村くんと付き合ってなんていないよ…?」


頬を赤らめ結菜は照れ笑いを浮かべながら言う。
…ああ、よかった。嫌がるどころか照れる結菜の様子に柳は安堵した。二人はここまで近付けた。


「えー、付き合ったらいいじゃないッスか」
「え、え〜と…」
「赤也。それぐらいにしておけ」


ちょうどその時チャイムが鳴った。ヤベッ、と赤也は身を翻す。ここは二年の廊下で一年の廊下は一階だ。


「それじゃあ失礼します!宮瀬先輩、また会いましょうね!」


忙しくなく去っていく背中を見送り柳はため息を一つ。


「すまなかったな」
「ううん。可愛いね、切原くん」


それには苦笑で答え、柳は結菜を見る。綺麗だ、と純粋に思った。


「精市のこと、これからも頼む」


すると、困ったように結菜は笑った。


「私が行きたいから幸村くんのところへ行っているだけで、柳くんに頼まれることは何もないよ」
「……そうだな。すまない」


それじゃあ、と簡単な挨拶を済ませ結菜と別れる。
幸村と結菜がうまくゆけばいい。柳は心からそう思っていた。







それは一年生の五月の始め頃のことだった。


「蓮二!俺、メアリーを見付けた!」
「……どういう意味だ?」


怪訝な表情を浮かべる柳を意に介さず幸村は機嫌良く口を開く。


「メアリーみたいな子を見付けたんだよ。…花に囲まれているすっごく綺麗だったんだ。蓮二なら名前が分かるかなと思って。小麦色の髪をした子だよ。多分どこかの血がはいっている」


それにあてはまる女子を柳は一人だけ記憶している。


「…宮瀬結菜のことか?」
「宮瀬結菜さん?」
「ああ。フランスの血が入っている。たしか園芸部だ」


園芸部、と聞いて幸村は顔を綻ばせる。


「その子だ!間違いない!ふふっ、一度話してみたいなぁ」
「話せばいいじゃないか」
「ダメだよ。話したら俺はあの子のことが好きになる。でも今は全国で一位になることだけを考えなくちゃならない」


断言した幸村にわずかに困惑した。


「…なら、優勝してからならいいんじゃないか?」
「……そう、だね。うん。優勝したら俺はあの子に話しかけるよ」
「ああ」
「フフ、頑張ろうか」


幸村は綺麗に笑う。その笑顔を見ると安心する。つられて柳も知らず知らずのうちに笑顔を浮かべていた。









アイリスが語る夢



幸村が欲しかったものは花園ではなく『メアリー』だったのだと、柳が知るのはまだ先のことだった。


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