「あ!咲いた!」


プリムラが一輪、可愛いらしい黄色の花を咲かせた。結菜はプリムラの花をちょんとつつき、頬が緩ませる。それからカバンからデジカメを出し、咲いたプリムラの花を撮った。すぐさま撮ったそれを確認し、えへへっと声をたてて笑う。


デジカメをしまい、プリムラをみつめ、それから屋上の扉を見た。


「今日は幸村くん、来ないのかなぁ…?」


昨日の朝、ここにやって来た彼は花が咲くのを楽しみにしていた。もしかしたら今日も来るかもここで会えるかも、と結菜は淡い期待を持っていたが幸村が来る様子はない。部長である彼はそう何度も練習を抜け出すことは出来ないんだろう。
立ち上がり、フェンスに近付く。そこからテニスコートを見るが、藍色の髪を見付けることは出来なかった。


教室へ行くとすでに登校して来た生徒がざわめいていた。


「どうかしたの?」


近くにいた子に尋ねるとその子は神妙な顔で事の次第を語った。


「………えっ…?」


昨日の放課後、駅のホームで幸村が倒れたこと。そのまま入院することになったこと。


ざわめく声をどとか遠くに聞きながら、結菜は昨日屋上で見た幸村の笑顔と今日咲いたプリムラの花を思い出した。







宮瀬結菜と幸村精市の二人は入学当初から有名だった。
結菜はフランス人であり祖母譲りの小麦色の髪と翠色の瞳と西洋の顔立ちから。幸村は天才的なテニスの才能から。


二人が付き合っている。そんな噂が流れたのはテニス部が全国制覇を果たし幸村の人気が絶頂期にあった時。幸村に告白しフラれた三年の女子生徒の負け惜しみのセリフからだった。


『やっぱり幸村くんみたいな完璧な人にあたしなんかが釣り合うわけないよねー。一年の宮瀬結菜みたいな美少女ならともかくさ』


友人達との会話はその場で終わらず尾鰭をつけて静かに広まった。


その噂をバレー部の友人から聞いた結菜はそれはもう驚いた。


「…何それ?」
「どっかの噂好きが好き勝手に流しているらしいよ」
「へ?ちょっと待って!私そんなこと言われても知らない!」
「あたしも知らない。じゃ、あたし部活だから」
「ちょっと待ってよ梨乃!」


静かに学校生活を送りたい結菜にとってその噂は本当に迷惑だった。同じく被害者である幸村を疎ましく思うことはなかったが、結菜は徹底的に幸村を避けるようにした。クラスも委員会も違うため接点などなかったため、 避ける、というほどのことではなかったが。


だけど、一度だけ。
廊下ですれ違った時に一度だけ幸村が結菜に向かって言った。


「ごめんね」


それはすれ違いざま本当に小さな声で言われ、思わず足を止めて幸村を振り返る結菜を横にいた梨乃が不思議に思うぐらいだった。
友人と話しながら去る幸村の背中。


(幸村くんが謝る必要なんてないのに…)


噂をたきつけていた三年生が高等部へ進学し、その噂は自然と消えていった。しかし、結菜と幸村が話すことはなかった。


だから、あの朝。
二人が出会ったのは本当に偶然だった。







黄、赤、ピンク、紫。色とりどりの花を咲かせるプリムラに結菜は頬をゆるめる。
幸村が入院してから二週間。屋上庭園のプリムラは全て咲いた。


「…ごめんね」


小さく謝り、結菜は花を切り取った。





「桑原くん。これ、よろしく」
「分かった。ちゃんと渡してくるよ」


丸くて透明なガラス容器にいっぱいに咲くプリムラの花をクラスメイトでありテニス部レギュラーであるジャッカル桑原にあずけた。
オアシスを使っているので水やりを怠らなければしばらくはもつだろう。その手のことはわざわざ言わなくても幸村ならちゃんとしてくれそうだ。


「あと、幸村くんへ伝言をお願いしていいかな?」
「ああ、いいゼ」


人の良い笑顔を浮かべてジャッカルは鷹揚に頷く。結菜が突然申し出た「幸村くんに花を届けて欲しい」という要望にジャッカルは快く了承してくれた。いい人でよかった、と結菜は内心で凄く安心していた。


小麦色の髪に翠色の瞳。大好きな祖母からもらったもの。だけど日本では少し、生きにくい。
幸村に関わろうとは思わなかった。でも、いや、だからこそ。結菜はずっと幸村を意識していた。









ストレプトカーパスの悪戯



あの朝二人が出会ったのは、偶然ではなく必然ならいいのに。




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