この世界に来たことに、後悔はない。







「明日、ですか?」


雑務中の陛下のもとへ紅茶と作ったシフォンケーキを持って行き、誘われてそのまま一緒に休憩している時だった。陛下は「明日戻ろう」と切り出した。


「うん。ダメ、かな?」
「いえ。いつでも戻れるよう準備はできてますから」


結構前から閣下にはもう仕事はしなくていいと言われているけど、私はメイドとして働き続けていた。暇になるのは嫌だったし、何よりこうやって働くことが楽しかったから。


「それじゃあ、皆さんに挨拶しないと」
「そうだな」


ふと考え深く感じる。


「もう、この世界に来ることはないんですね」
「それは…」


ウルリーケと言うこの世界で巫女的な人がずっと私がこの世界にやって来た理由を捜してくれていたらしい。けど、結局原因は見付からないまま。
なんか難しくて長い説明をされたけど、要約すると戻ることは出来るけど再び来れるかどうかは分からないということらしい。


「少し、寂しいです」
「…ルナはこの世界のこと、気に入ってくれた?」
「はい。私はこの世界のことを全然知りませんが…私が見たこの世界は素敵でした」


嬉しそうに微笑む陛下の顔は一国の主の顔だった。
この世界に来た頃、あんなにも嫌がっていたのに今はこの世界にこれたことを嬉しいとも思っている。…我ながら現金だなぁ。「それに…」と私は言葉を付け足す。


「陛下に会うことが出来ましたから」


『ゆーちゃん』と出会えたことより陛下と出会えたことの方が大きく思えるから不思議。これが恋する気持ちって奴かな?
顔を赤くして陛下はそっぽを向く。


「…ルナ、敬語。あと名前」
「あ…」


敬語をやめるのと、『陛下』じゃなく名前を呼んで欲しいと頼まれたけど慣れてしまったせいかなかなか抜けない。


「すいません、陛下」
「ほら、また」


陛下が優しく苦笑する姿に胸がキュウッとなる。
私達はいわゆる恋人同士ってわけで…。う〜ん、なんだか恥ずかしい。


当然ながら陛下の婚約者、フォンビーレフェルト卿とは一悶着あった。それについてはあまり思い出したくない。
ただでさえ互いに嫌っていたのに今ではもう最低の仲。私にやたら噛み付いてくるフォンビーレフェルト卿をケンカ腰に私があしらって、険悪になった雰囲気を誰かが慌てて止める…。
と言うパターンが定着。実は陛下の部屋に来るまでにフォンビーレフェルト卿とバトっていたりする。今回はフォンクライスト卿が仲裁役だった。
あと、猊下がウザイ。いやもう、本当に。


『へえ〜、渋谷と付き合うことになったんだ。あれだけ男なんて嫌いですって言っていたのにね』


安心してください。今でも男は嫌いです。ただ、陛下が特別なだけであって他の男は相変わらず虫ずが走るぐらい嫌い。


どうして陛下が特別なのか、自分でめよく分からないけど。確かに陛下は可愛いらしい顔立ちをしていると思う。今も、昔も。


「あんなに可愛いかったゆーちゃんが男の子だったなんて…」
「…いきなり何?」


いや、だって。あんなにフリルのワンピースやリボンが似合う男の子がいるなんて思わないじゃない。今だに私はゆーちゃんが男の子だったという事実を疑いたくなる。


「陛下、今度ワンピース着てみません?」
「着ないから。ルナ、そんなことを真顔で言うのはやめてくれ」


残念。似合うと思うのに。


「残念そうな顔をしないでほしいな…」


どうやら顔に出ていたらしい。
顔をしかめる陛下がなんだかおかしくて、笑うと陛下はむむっと眉を寄せた。


「なんで笑うかな」
「ごめんなさい」


素直に謝り、そっと陛下の肩に寄りかかる。


「ルナ?」


どうしたの?と言う意味が含まれた呼びかけに私は答えない。ただ黙って陛下の温もりを感じる。


「…フォンクライスト卿、もうすぐ来ちゃいますね」
「そう…だね」
「陛下、お仕事しなくちゃダメですよね」
「うん」


分かっています。ちゃんと分かっています。でも…


「もう少しだけ…」


もう少しだけ、このままでいさせてください。


「うん、俺ももう少しこのままでいたい」


陛下の優しい声音に胸が熱くなる。


「…わがまま言ってごめんなさい」


陛下の優しさに甘えている。そんな気がしてならない。それでも、少しでも長く傍にいたい。


「わがままなんかじゃないよ。…それに、嬉しいから」


私にわがままを言われることが嬉しいと、陛下は言う。


「陛下、変わってますね」
「そんなことないよ。だって、」


好きな子に甘えられて喜ばない奴はいないよ。


「…どこで覚えたんですか、そんな言葉?ウエラー卿ですか?」
「………村田」
「………」


猊下かよ。
恥ずかしそうにそっぽを向く陛下。私は笑って、目をつむる。


ゆーちゃんとの思い出はどれもキラキラと宝石みたいに輝いている。思い出を箱に閉めて、胸に抱き抱え、大切に大切に守ってきた。その輝きが落ちぬように。宝石が小さくならないように。箱の中に入れたまま守ってきた。箱の中の宝石がどんなふうになっているか一度も確認しないまま。
陛下は、箱を抱えた私ごと抱きしめてくれた。だから私は箱を開けた。そこにあったのは昔と変わらない大切な思い出。







伝えたい言葉はありがとう



さあ、もう少ししたらたくさんの人に会いに行こう。別れの言葉ともう一つ、感謝の言葉を。



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