ゆっくりと弓を構えて的を狙う。神経を研ぎ澄まし、一切の雑念を消しさる。矢を的に当てる事だけを考え、私は矢を握る指を放した。


シュパッ…


矢は的の左上に刺さった。他に的にから刺さっている矢も中心とは離れたところにある。下に落ちている矢も一本や二本どころではない。


「…少し、サボり過ぎたかな……」


今までもフォンヴォルテール卿にお願いして、ちょくちょく練習をさせてもらっていた。なんせ、元の世界に戻ったら部活が始まるのだ。感覚が鈍るのはよろしくない。
でも最近なんやかんやで練習をサボってしまい…その結果がこれだ。自業自得とは言え、中心にまったく刺さっていない矢や当たることさえなく地面に落ちている矢を見ると切なくなる。


とにかく練習あるのみ、と気を引き締めて再び弓を構える。
こうしていると元の世界にいたことを思い出す。元の世界に戻ったら何をしよう。まずバスに戻らなきゃ。みんなに迷惑をかけているだろうし。
陛下はもうすぐ外交に行かれる。もしかしたらその外交で一区切りがつくかもしれないと言われた。帰れる。元の世界に。そのことを素直に喜ぶのではなく、この世界から去ることが寂しいと思っている私がいた。


…陛下とも、もう会えないのかぁ……。


そこで思考をストップして矢を射ることに集中した私は浮かんだ気持ちに疑問を持つことを忘れていた。









私はちょくちょく陛下にお茶に誘われるようになった。メイドの身で魔王陛下とお茶なんて恐れ多いけど…せっかくのお誘いを無下に断る訳にもいかず、ご一緒させてもらっている。私を誘うより、好きな方を誘えばいいのに…。


陛下と二人だけの時もあれば、ウエラー卿やフォンビーレフェルト卿と一緒だったり。日によって顔触れはさまざま。
で、今日は猊下と一緒だった。


「おいしいね、このクッキー。ルナが焼いたの?」


時間があれば私は燒菓子を作るようにしていた。今日のクッキーも私作だ。
いくら猊下が気に食わないからと言っても、誉められて悪い気はしない。お礼を言い、クッキーをおいしそうに頬張る陛下を見る。
陛下は私が焼いたお菓子をいつも嬉しそうに食べてくださる。私はそれを見るのが好きだった。


「そう言えばルナ、今日弓の練習していたよね?集中していたから話しかけなかったけど、凄かった」
「そうですか?」
「うん。背筋が伸びていて立ち姿が綺麗だった」
「…あ、ありがとうございます……」


き、綺麗だなんて…。恥ずかしくなってカップをもったまま俯いてしまう。…そう言うことは好きな人に言えばいいのに。そのことを考えるとズキッと胸が痛んだ。


「…さて、急用を思い出したからそろそろ僕はおいとまするよ」


カップを皿の上に置き猊下は立ち上がる。


「え?なんだよ急に」
「だから急用。…渋谷」


猊下が陛下の耳元で何かを囁くと陛下は顔を赤くして「おう」て頷いた。


猊下が立ち去り、沈黙が落ちる。話題を探すと真っ先に浮かんだのは先日ウエラー卿から聞いた話しだった。


「…この前、ウエラー卿から聞いたんですけど」
「うん」
「陛下に好きな人がいるって」
「ぶほぉ!!」


どっかの誰かさんと違って陛下は盛大に吹いたうえに咳込む。うん、人間素直な反応が一番だよね。


「ななななっ、ちょっ、コンラットォォオ!!何言ってんだよぉぉお!!」


頭を抱える陛下。…そんなに嫌がらなくても。


「あのさ、コンラッド、他には何か言っていたりした…?その…相手は誰だ、とか……」
「いいえ。聞いていません」
「そ、そっか!よかった!」


安堵の息をつき何度もよかったよかった、と繰り返す陛下。どうやら私にはどうしても知られたくないらしい。…なんか、胸がモヤモヤする。
よく分からない感情を胸に抱いたまま紅茶を飲んでいると、陛下は咳ばらいをして私に怖ず怖ずと問うてきた。


「…ルナはさ、好きな人いるのか?」
「……さあ?」


分からない。私は、あるのだろうか?
私の曖昧な答えに陛下はどうしたものかと眉を寄せる。私はそんな陛下を無視して問う。


「陛下の初恋はいつですか?」
「へ?初恋?あ〜…俺はすんげぇ小さい時かな」


すんなり答えが返ってきた。陛下はその相手を思い出すように愛おしいそうに目を細める。


「気が強くて…でも、とても寂しがり屋な子だった。素直で優しい子だったよ。ずっと好きだよって約束をしたまま、もう会ってないけど」


ドキン…


自分と重なる境遇に胸がざわついた。ごくりっ。生唾を飲み込む。

「…へ、陛下はまだその子のこと、好きですか?」
「うーん。好きだけど、もう恋じゃないな」
「なら…もし、もしですよ?その子がその約束をずっと守っていて、陛下を待っていたら…どうします?」
「そうだなあ…」


陛下は顎に手をあてて考える。


「俺、はさ…その、今、好きな子がいるから、さ、その子と今再会して、その子がまだ俺を好きでいてくれていても、答えられないかな」


心臓を掴まれたような気がした。


「そう…ですか……」
「うん」


やっぱり、ゆーちゃんを想い続けている私はバカなんだな。ヤバイ。泣きそう。


「…そんなこと、あってほしくないな」
「え?」
「俺のことをずっと好きでいてほしくないな、って」
「…どうしてですか?」


陛下は困ったように笑った。


「多分、それは苦しいことだから」
「………」
「俺のために苦しんでほしくないから。苦しめるためにした約束じゃないから」


…私は……。


「好きだったから、新しい恋をして幸せになってほしいな」


…本当は、ずっと苦しかった。ゆーちゃんを好きでい続けることが。でも、その苦しみが私とゆーちゃんを繋ぐ唯一のモノだと思っていたから。


「ルナ?」


どうして私はそんな道を選んでしまったんだろう?苦しむ前に、幸せな思い出として閉まってしまえばよかったのに。
だって、ゆーちゃんは優しい子だもの。私の幸せを願ってくれているに決まっている。


「ルナ…」


陛下が不安げに私の顔を覗き込んでくる。
私は…泣いていた。
だってね…私は、それぐらいゆーちゃんのことが好きだったんだもん。仕方がないじゃない。
陛下の服の裾をギュッと握り、私は泣き続けた。陛下は黙ってただそこに居続けてくれた。








月が欠けるように



この想いに、さようならをしなければならない日が来たのかもしれない。





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