屯所の門を前にして陽菜はごくりと唾を飲んだ。門をくぐる決心がなかなかつかず、横にいる山崎に何度も同じことを問う。
「や、山崎さん。私、本当におかしくないですか?大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。その着物も髪型もよく似合ってる」
「ほ、本当にそう思いますか…?」
「うん」
顔の傷が治り眼帯も取れたため、髪を切ってついでに新しい着物を買ってこいと土方に言われ陽菜は山崎と二人で町へ出かけた。
バラバラだった毛先を肩の上で整え長かった前髪は切られた。涼しい首筋に明るい視界。陽菜は戸惑わずにはいられなかった。
それプラス、店員に流されるまま着物を大量に購入してしまった。
「着物こんなに買っちゃって土方さんに怒られるんじゃ…」
「買って来いって言ったのは副長だから大丈夫だって」
山崎が明るく言うが陽菜の憂いは晴れない。
「それにしても…」
「なんですか?」
照れたように頭をかく山崎。
「陽菜がこんなに美人だとは思わなかったな。みんなびっくりしちゃうだろうね」
眉を寄せて陽菜口をつぐむ。黒目がちな瞳にくっきりとした二重。鼻は小さく、桜色の唇は白い肌に映えている。誰もが見惚れる美人の要素を十分にもっていた。
「ほら、早く帰らないと副長が心配しちゃうよ」
「…そう、ですね」
恐る恐る門へ近付く陽菜。山崎は横に並びながらその様子を静かに見つめる。
門番が二人に気付き声をあげた。
「山崎!オイ、テメェその美人は誰だ!?」
「恋人か!?山崎のくせにそんな美人の恋人がいたのか!?」
「俺のくせにってどういうこと!?陽菜だよ、陽菜!」
「へ?…陽菜?」
「は、はい…」
目を丸くして門番達は陽菜を見下ろす。思わず陽菜は後ずさった。
「ちょ、マジかよ!?陽菜なのか!?」
「こんなに美人だったのか!?」
好奇心いっぱいの瞳が上からふってくる。落ち着け、落ち着け。陽菜は自分を必死に宥めかす。瞳にも声にもどこにも憎悪などない。嘲笑も罵声も聞こえない。大丈夫だ。大丈夫…。
「……っ…」
顔を青くして陽菜はその場に固まる。その異変に山崎はすぐ気が付いた。
「副長に帰ってきたことを報告しなくちゃならないんだ。じゃあね」
陽菜を連れ山崎はその場を立ち去るが屯所内でも同じことが起こった。陽菜と山崎の姿を見た隊士が次から次へとやって来る。
「山崎、誰だよその美人!」
「え?陽菜!?マジかよ!」
「うわ、なんで今まで顔隠してたんだよもったいない!」
「いえ、その…」
視界を狭くするものがない。人の表情がはっきりと見える。顔を覆うものがない。顔があらわになっている。向けられる視線が、怖い。
聞こえもしない声が聞こえてくる。
『なんで生き残ったのよ。まったくいい迷惑だわ』
『その顔を見ていると兄貴を思い出す!消えろ!俺の視界に入るな!』
ずっと蔑まれ顔を隠して生きてきた。父と母を憎む人間に囲まれて。
山崎が隊士達を押しのけ陽菜を連れて先へ行こうとするがそれができない。
陽菜の体が震え出した。ヤバイ、山崎は焦る。…その時だった。
「お前ら!何騒いでやがる!!」
陽菜の震えが止まった。
声の主を見て、陽菜は安堵の笑顔を浮かべる。
「土方さん…」
土方は騒ぎの中心にいる陽菜と山崎を見て顔をしかめた。
「山崎ィ!帰ってきたならとっとと報告に来い!お前らも何サボってやがる!仕事に戻れ!」
鬼の副長に怒鳴られ隊士達は慌てて動き出す。
「たくっ、」
小さく悪態をつき土方は陽菜のもとへやって来てその顔を覗き込む。
「顔の傷はもうどこにもねェな。…跡が残らなくてよかったな」
「は、い…」
気が付けばさっきまでの恐怖は消えていた。優しい言葉に陽菜は温かい気持ちになる。
「頭もすっきりしてよかったじゃねェか。前髪が隠れてたままじゃ目に悪いしよ」
「…土方さん、それ、お母さんみたいです」
「あァ?んだとコラッ」
「きゃあっ」
くしゃくしゃと土方は陽菜の頭を乱暴に撫でた。くすくすと笑う陽菜に山崎は安心する。
「着物も買ったみてェだな。…これで足りるのか?」
「じゅ、十分です!」
「別にあって困るもんじゃねェだろ」
タバコに火をつけながら土方は平然と言う。
店員に次々と試着させられ目の回る思いをしたため、正直陽菜はもう二度と行きたくない。
「…それでその、土方さん。お代は……」
出してもらった分を陽菜はどうやって返せばいいのか分からなかった。陽菜がそう言い出すのを土方は予測していたのだろう。
「…そう、だな。しっかり働いてもらうとするか。とりあえず茶をいれて俺の部屋に持ってきてくれ」
「っ、はい!」
仕事を与えられた陽菜は頭を下げて意気揚々と台所へ向かって行った。
その背中を見送り、土方は山崎に視線を向けた。山崎は頷く。
「陽菜は顔を出すことに抵抗があるようでした。人の顔をしっかり見たり見られたりすることに、何かトラウマがあるように感じられました」
「やっぱりそれは攘夷浪士の屋敷に住んでいた時に植え付けられたんだろうな」
「はい」
土方は重い息を吐く。
「ご苦労だったな。お前も仕事に戻れ」
「はい!」
元気よく頷く山崎の手にはいつの間にかバトミントンのラケットが握られていた。
「山崎ィィィイイ!!」
「ぎゃぁぁああ!!」
とざしは日常に消える
明るい視界に慣れるにはしばらき時間がかかった。向けられる視線の中に憎悪や殺意がないことを理解すれば怖いものなどない。むしろ顔を出してからみんなが優しくなったような気がする。
そのことを言うと土方は顔をしかめた。
「…一度きつく言っておく必要があるな」
「何がですか?」
「いや、こっちの話しだ」