…あなたは生きて
生きて、幸せになって
あの夜生き残った娘はずっと、母親の最期の言葉を胸に生きてきた。健一の存在を忘れて真選組でのうのうと暮らし、健一を裏切らないために真選組を裏切った。
そして、今。
娘は健一を裏切り真選組のもとへと行こうとしている。娘はずっと自分の幸せを捜していた。悩んで、苦しんで、何度も人を裏切った。自分勝手に生きて来た。娘は人を傷つけてばかりで、そんな自分が嫌だった。
でもやっと見付けた。捜し続けて、求め続けて娘はやっと見付けた。娘が幸せになれる場所を。
月夜の下に出ると、陽菜はいくつもの温かい声と笑顔をかけられた。
「陽菜!」
「お帰り」
「お帰りなさい、陽菜」
裏切ったのに、見捨てず迎えてくれる人達。陽菜は幸せを噛みしめる。
「陽菜」
その声に名前を呼ばれ心臓が大きく鳴った。
「近藤…さん…」
近藤は白い歯を見せて笑う。
「お帰り、陽菜」
「…っ、近藤さん!」
陽菜は近藤に向かって走り、その大きな胸に抱き着く。
「近藤さん近藤さん近藤さん!」
涙がポロポロと零れてくる。生きていた。近藤さんが、生きていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい…!」
「謝ることなんて何もないぞ?」
「でも!」
「陽菜」
優しく名前を呼び近藤は陽菜の頭を撫でた。
「傷なんかよりも目が覚めて陽菜がいなくなったと知った時の心の方が痛かった」
「近藤…さん…」
陽菜は笑った。泣きながらだから上手くは笑えなかったけど。
「ただいま」
「うん、お帰り」
その様子を土方は苦虫をかみつぶしたような表情で見ていた。陽菜の奴、俺の時よか感激してねェか?
沖田がニヤニヤしながら土方の横に来る。
「土方さん、いい所近藤さんに取られやしたねェ。最初から近藤さんが陽菜を迎えに行った方が良かったんじゃないですかィ?」
「うるせェ、…よっ!」
土方は背後から襲って来た敵を斬りつける。まだまだいる敵に土方は舌打ちをした。
「近藤さん!陽菜を連れて安全な所へ!」
近藤は頷き陽菜の腕を取る。だが、その時。偶然にも陽菜は見てしまった。刀を握ったままこっちを見ている健一の姿を。
「陽菜?」
動かない陽菜を不思議に思った近藤は陽菜の視線の先を見て息を飲む。
健一は斬りかかって来た真選組隊士の刃を避け、斬りつけた。隊士があげた悲鳴を耳にいれた土方が振り向き健一を見て目を見開いた。
「神名健一…」
土方の声に健一が反応することはなく、ただ陽菜の瞳をジッと見続けた。陽菜は金縛りにあったように動けなくなる。
「陽菜」
健一に低く名前を呼ばれ陽菜は肩を震わさせた。
「どこへ行くつもりだ?」
問う健一の表情はどこか寂しいげだった。チリッと胸が痛む。
健一を裏切る。それは胸が潰されるほど苦しい。それでも陽菜の心は決まっていた。もう、決めたのだ。
「健一様。私はずっとあなたを守りたかった。でも…私はあなたを傷付けてばかりです」
「…それでも」
健一は陽菜を見据えて静かに呟いた。
「俺はお前が傍にいるだけで幸せだった」
健一の瞳が真っ直ぐに陽菜をつらぬく。
「私は…」
キィン…
刀同士が鋭くぶつかり合う音がした。力負けした攘夷浪士の刀が手から離れ高く舞い上がる。
その刀が落ちる先には…
土方は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「陽菜!逃げろォォオ!!!!」
ドスッ……
両親に手を繋がれ、幸せそうに笑うその姿が頭に焼き付いて離れなかった。その笑顔を俺だけに向けてくれたらどれだけ嬉しいだろう?
だからどうしてもその娘を守りたかった。
屋敷の宝物庫から家宝を取り出し、あの娘だけは殺さないでくれと頼んだ。その願いは叶えられ、娘は生き残った。けれど、あれほど強く恋焦がれた笑顔を失っていた。
両親が娘をどれだけぶっても止める勇気はなく、その治療をするだけ。娘を守ることが出来ない自分が情けなくてどれだけ悔いても、どれだけ自分を奮い立たせても両親に逆らうことは出来なかった。
それでも娘は傍にいてくれた。守ろうとしてくれた。それが嬉しかった。最初で最後、両親に逆らい守った光。娘がいれば、他には何もいらなかった。
娘と共にいるようになって数年たったある月の夜、屋敷の外で酒を飲んでいると屋敷が真選組襲われ両親が死んだ。しかし、娘の生死は分からなかった。高杉に助けられ、希望を捨てずずっとずっと娘を捜し続けた。やっと見付けた娘はかつての笑顔を取り戻していた。
娘の笑顔の先にいる奴らが羨ましいかった。憎かった。俺は一度もその笑顔を向けてもらったことがないのに。
娘は俺の傍ではない安息地を見付けたのだ。その事実が胸をえぐる。俺は娘から安息地を奪った。
だが、再び娘から笑顔は失われた。俺はどうすればいいのか分からなくなった。
ただ、娘に笑って欲しいだけなのに。
高杉は遠くなった港を見つめた。いったいどれだけの無能な攘夷浪士が死んだだろう?
高杉の脳裏に一人の男の顔がよぎる。
「神名健一…。面白い男だったな」
「そうですか?」
後ろからかかった女の声に高杉は振り返る。
「私はそうは思いません。自分が何をしたいのか分からない…。そんな男でしたから」
「そこが面白いんだろうが」
女は眉を寄せて首を傾げる。高杉は「ククッ」と喉をならして笑った。
「アイツはずっともがき苦しんでいた。そんな姿を見ているのは面白くねェか?」
「…私には分かりません」
「そーかい」
高杉はわざとらしく肩を竦める。キセルをくわえ、港を見ながらゆっくりと煙りを吐き出す。
自分の本当の望みを神名健一は見付けることが出来るのだろうか?
時が止まったかのような、そんな錯覚におちいる。
陽菜は崩れるように膝をついた。
「どう…して…?」
剣が突き刺さった健一に向かって陽菜はそう言った。
咳とともに健一の口から血が溢れる。虚ろな瞳が陽菜を映す。
「陽菜…」
陽菜の瞳から涙が零れた。
「健一様…どうして?どうして私なんかを庇って…」
陽菜は健一を裏切ったと言うのにどうして。
「ずっと…守って、もらったから…」
健一は途切れ途切れでそう言った。
陽菜は真選組での幸せを失ってまで健一を守ろうとした。健一を想ってくれた。
「お返し…だ…」
健一は心が満ちていた。やっと。やっとこの娘を守ることが出来たのだ。
だからお願いだ。そんな苦しそうな顔をしないでくれ…。笑ってくれ。
健一の唇がゆっくりと動く。
「…………」
陽菜は目を見開いた。健一は苦痛に耐えながら微笑む。
それにつられるかのように陽菜は健一に向かって微笑んだ。
健一がずっと恋焦がれていた笑顔を、見せてくれた。
その笑顔に引き付けられるかのように健一は陽菜の頬に手を伸ばす。
だが、健一の手は陽菜の頬に届く前に地面に落ちた。
望むことはただ一つ
幼いあの日、一人の娘を守るだけの強さが欲しかった。自分がとった行動は娘を傷付ける。それだけが心残りだ。
でも、大丈夫。
娘の傍には、娘の笑顔を守る人がいるから。