月の綺麗な夜。
男とその妻は殺された。しかし、二人の娘は殺されなかった。


「嬢ちゃん、よかったなぁ。嬢ちゃんのことは殺さないでいてあげるよ」


男が口元を歪めて楽しそうに言う。


「全員殺せって命令だったんだが…あるお方に嬢ちゃんだけは殺すなって言われてな」


男は刃から血を振り払い鞘にしまった。


「坊っちゃんによろしくな」


そう言い残して男は仲間と共に去って行った。
生き残った娘を見て叔父と叔母は顔をしかめ、その後ろで少年が安心したように微笑んだ。










高杉晋助は窓枠に座り楽しそうに口元を緩め、月を見上げていた。その手にはキセルが握られ煙をたてている。


「高杉さん」


名前を呼ばれ、高杉は視線をそちらへ向けた。そこには線の細い顔をした男がいた。


「神名か。どうした?」


神名健一は小さく頭を下げる。


「少し出て来ます」


それを聞いた高杉は喉を鳴らして笑う。


「お姫様の救出ってか?」
「………」


健一の反応を見て、高杉は楽しそうに目を細めた。


「怒っているのか?俺があの女に近藤を殺すように仕向けたことを?」
「…いえ」


分かりやすい健一の反応に高杉はククッと笑った。


「あの女、いい女じゃねぇか。あんな別嬪、そういねぇな」


健一は眉を寄せる。高杉は口元の微を深くした。


「どうした、神名?」
「…いえ」
「ククッ」


楽しそうに喉を鳴らし高杉は視線を窓の外へと戻す。


「いとこって言ってたな?」
「はい」
「お前の父親は神名家の次男だったはずだ。どうして当主になったんだ?」


健一はソッと目を伏せた。


「神名家長男が使用人の女と結ばれるために家を捨てたからです」
「駆け落ちってか?それで次男であるお前の父親が当主か」
「いえ。先代当主は長男を当主にすると遺言を残しました。それを知った次男である俺の父が、長男とその妻を暗殺者を使って殺したのです」


高杉は興味深気に健一を見つめた。


「ほう…。ならどうしてその娘は殺されなかったんだ?」


全てを見透かしているかのような視線を受けながら健一は「たまたまでしょう」と言った。


「ククッ、まあいい。しかし、お前の父親は本当にバカだな。自分に当主の器があるとでも思っていたのか」


その言葉に健一は笑った。父親を侮辱された苛立ちはその顔に一切なく、嘲るような笑いだった。


真選組に襲撃されたあの夜、健一は屋敷にはいなかったため命は助かった。しかし行く先もなく、途方にくれている健一を高杉い今まで真選組に見付かることはなかった。


「俺はあなたに感謝しています。あなたのためならなんでもする覚悟ですよ」
「そりゃあ頼もしい」


高杉はキセルをくわえ、ゆっくりと煙を吐く。


「早くお姫様を迎えに行ってやれ。お前のために行ったんだからな」
「…はい」


一礼して健一はその場を去った。一人残った高杉は月を見上げる。


「晋助様。体を冷やされては大変です」


健一と入れ代わるように入って来た者の小言を高杉は無視した。その者は高杉の傍へとやって来る。


「お前も見てみろよ。月が綺麗だぞ」
「月を愛でる趣味はありません。満月ならまだしも…中途半端な形をした月はあまり好きではないので」
「つまらない女だ」
「ほっといて下さい」


高杉は喉を鳴らして笑い、それから健一が迎えに行った娘のことを考える。


「ククッ」
「…晋助様。一人で笑うのは止めてください。不気味です」
「ああ?俺の自由だろうが」


高杉は窓枠から降り、床に足をつける。


「もうすぐ楽しいことが起こるんだ。楽しんだっていいだろ?」


女はため息をつき、高杉の後を追った。











目を開けるとそこは見慣れた天井だった。目が覚めたばかりだというのに、何故が頭がハッキリしていて全てを理解していた。
上半身を起こし自分の右手を見つめる。血で赤く染まったその腕は綺麗に拭かれており、返り血がのついた着物とは別の着物を着ていた。
血まみれの近藤が頭から放れない。陽菜は膝を抱き寄せくぐもった声で泣いた。


「ごめんなさい…」


謝ることさえ愚かに思えたが、陽菜はそれ以外どんな言葉を言えばいいのか分からなかった。
混乱する頭で分かっていることは一つ。もうここにはいられないということ。
陽菜は立ち上がり部屋を出て屯所の裏口へと向かって歩きだした。


結局、健一を忘れることなど陽菜には出来なかったのだ。今となっては健一を忘れのうのうと生きることを願った自分が憎い。
健一と共にいたいのなら近藤を刺せ。高杉に命じられ、陽菜はそれを実行した。陽菜は健一と共に生きる。
心は硬く決まっており、揺れるモノなんてないと想っていた。


だが…


「陽菜」


名前を呼ばれた。ただそれだけで心が大きく揺れた。陽菜はゆっくりと振り返る。そこには土方がいた。


「陽菜」


土方はもう一度陽菜の名前を呼ぶ。土方の視線に耐え切れず、陽菜は土方から目をそらしたかった。でも、出来なかった。
少しでも長く土方の姿を目に焼き付けていたかったから。


「陽菜、どこへ行く?」


陽菜は笑いたくなった。居場所はここだけだって信じていた自分が確かにいたのに。それなのに…。
陽菜はゆっくりと口を開いた。


「私は私の本来いるべき場所へ戻ります」


土方は拳をにぎりしめる。


「神名健一」


出て来た名前に陽菜は目を見開いた。どうしてその名前を…。


「神名健一に、会ったのか?」


陽菜は見開いた目をゆっくり閉じて頷いた。


「神名健一のもとに、行くつもりか?」
「………」


陽菜の沈黙が、土方は耐え切れなかった。


「どうしてこんな、」
「土方さん」


陽菜はいつものようにやわらかな微笑みを浮かべた。


「私は幸せでした。屯所に来て、皆と過ごして、友達が出来て…土方と出会えて。私の居場所はここで、ここにいてよかった。心から想いました。私は幸せでした」


その微笑みに引き寄せられるように土方は一歩を踏み出し、


「でも、ダメなんです」


足を止めた。


「何度も私はあの人のことを忘れようとしました。今の幸せを失いたくないから。でも…無理でした。私はあの人を裏切れない。私は…」


陽菜は苦しそうに顔を歪めながも土方の目を見て、ハッキリと言った。土方にとって何より残酷な言葉を。


「私は、健一様のお傍にいたい」


土方ではなく、健一の傍に。


「私が真選組にいたことが健一様への裏切りになるのなら、健一様を裏切らないためなら、私は何だってします」
「陽菜…」
「近藤さんを刺すことだって、私は出来ました」


だから…。
私のことを最低な女だと罵って下さい。そんな顔をしないで下さい。


「さようなら」
「陽菜っ」


陽菜に駆け寄ろうとした土方の前に銀色の刃が煌めいた。それをかわし、刀を抜いた土方は現れた人物を睨む。


「神名、健一…!」


山崎が用意した手配書通りの顔をした人物がそこにいた。
土方は健一に斬りかかるが健一はそれを避け、陽菜のもとへ駆け抜ける。


「待てッ!」


陽菜を抱え、屯所から飛び出る健一を土方は慌ててを追うが、陽菜と健一の姿は闇に消えて見えなくなった。







「陽菜、泣いているのか?」


陽菜は泣いていた。声もたてず、ただ涙を流していた。


「あそこにいたかったか?」
「いいえ」


陽菜は微笑むが、涙は止まらなかった。陽菜は自分が泣いていることを自覚していないのだ。


「私の居場所は健一様のお傍だけです」


ごめんなさい
ありがとう
さようなら…










さようなら、愛した人



父と母を亡くした娘は生きる理由を失っていた。母の『生きろ』という言葉が重かった。
だが、少年の笑顔を見た時娘は決めた。この人のために生きようと。





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