パラッ、と本のページがめくられる。読むの早いなぁ、そう思いながらぼおっとその長い指を見つめた。


「手が止まっているぞ」


少し呆れたような声が頭上からかかり、慌ててシャーペンを握り直し手元にある数学のプリントと睨み合った。長い指がスッと伸び「ここの計算が間違っている」と指摘された。


「どうして二十七と十一を合わせると三十六になるんだ」
「…さあ……?」
「…真面目にやる気がないなら俺は帰るぞ」
「いや、真面目です。これ以上ないほど真剣にやっています」


背筋を伸ばしシャーペンを握り直すことによって誠意を態度で伝える。柳くんがふっと微笑む気配がして私は顔が熱くなった。それに気付かれないようにシャーペンを動かすが、すぐにその動きは止まる。


「…まったくもって分からない」
「この角度とこの角度が錯角によって同じ角度だということは分かるか?」
「錯角?何それ」
「……予想以上だな。データをとり直さなければ」


柳くんは教科書を使って分かりやすく教えてくれた。私の頭で理解できたのだから柳くんは絶対先生より教え方が上手い。むしろ柳くんが授業をしてくれたらいいと思う。


「そう言えばさっきのデータをとり直す、ってやつ何?」
「苗字の数学の理解度のなさがデータ以上だった、ということだ」
「…なるほど」


言い返す言葉もなくて私はシャーペンを動かした。


数学は嫌いだ。勉強しても点数が取れない。嫌いになる。勉強しなくなる。点数が取れなくなる。まさに悪循環。
その変わり国語が好きで、テストでもそこそこいい点を取っている。と言っても柳くんにテストの点数で勝てたことはないけど。


柳くんはすごい人だ。成績は学年一位で、全国区であるテニス部のレギュラーで、データテニスとかいう情報収集や計算によるテニスをして、生徒会役員で、図書室の本貸出数一位で…。まったくどこの超人だよ、と言いたくなる。ロボットだと言われた方が納得出来るかもしれない。


「あ、」


ころっと消しゴムが床に落ちる。


「ほら」
「…ありがとう」


でも彼は人間で、放課後わざわざ残って私に数学を教えてくれるような優しい人で、落とした消しゴムを受け取った時たまたま触れた手は温かかった。


だから私は、たまに不安になる。


「…この前ね、『車輪の下』って本読んだの」
「ヘルマン・ヘッセか」
「うん。なんか読んでいたら夢中になって一気に読んじゃった」


主人公であるハンスはとても優秀で父親や校長、神父様の期待を一身に受け都会にある難関神学校へ入学した。そこで彼は一生懸命に勉強したが、ハイルナーと親友になることにより彼との友情を第一に考え勉強することをやめてしまった。ハンスに失望した先生達は彼に冷たくあたり、ついにハンスは病気になり故郷へ戻ることとなった。それから間もなくしてハンスは死んでしまう。


周りの期待を背負い、それに応えられなくなるの周囲の大人はあっさり彼を見捨てたのだ。彼は大人達にとってただの知識を吸収する箱でしかなかった。


思うのだ。柳くんもまた、ハンスのように周囲からの圧力を感じているのではないかと。


「柳くん」
「何だ?」
「ハンスにならないでね」


柳くんが笑う気配がしたので顔を開けると彼はいつも閉じている目を開けて私を見ていた。見たこともない優しい瞳に私はドキッとする。


「苗字はときどき変なことを言うな」
「そう、かな?」
「ああ」


一緒にいて飽きない、そう続けられた言葉に私の心臓はドキドキと脈をうち体温が上がっていく。


「ハンスのように俺はならないし、ハイルナーみたいな親友もいないし。それに苗字とエンマはまったく違う」
「え、うん、まあそうだろうけど…」


エンマ。ハンスが恋に落ちて彼を裏切った少女の名前だ。どうして私とエンマを比べるのかが分からなくて私は首を傾げる。
彼は「…データ以上だな」とさっきと同じセリフを言った。


「何が?」
「苗字の鈍さだ」
「?」


はてなを飛ばす私。柳くんは優しく笑って残り一問となったプリントを長い指で叩く。


「さっさとこれを終わらせて提出しよう。帰りに頑張った褒美に何かおごってやる」
「え!?いや、悪いよ!というかここは教えてもらったお礼に私がおごるべきでしょ!」
「別に俺は構わないが」
「私は構う」
「ふむ…」


柳くんは腕を組んで考え込む。いや、何を考えることがあるんですか。


「…よし、ならこうしよう。今日は俺がおごる。苗字はまた今度お礼をしてくれ」
「いや、だからなんで私が柳くんにおごってもらうの?」
「嫌なのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど…」


むしろ嬉し過ぎるんですけど。「ならいいじゃないか」と笑う柳くんがいつもと違いなんだか子供っぽくて可愛いかった。ありがとう、とお礼を言って私は最後の問題にとりかかることにした。








少年は車輪の上を歩く



「それにしてもあの時の苗字の鈍さには参った」
「そ、そんなに?」
「ああ。そもそも放課後わざわざ残って数学を教えてやる時点で気付いてもいいと思うが?」
「いや、それは柳くんが優しいからだと思って…」
「好意を寄せたやつ以外に俺はそこまでするほどお人よしではない」
「っ、」





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -