人を殺した。そう言った夜、怯えるような表情は浮かべず悲しそうに眉を垂れ土方の手を握りこう言った。大丈夫ですか、と。
「怪我するなんてそんなヘマはしねェよ」
「それは見れば分かります。体の怪我ではなく…心の怪我です」
「…おかしなことをいうやつだな」
土方は笑うが女は笑わなかった。
「何故、人を殺す道を選んだのですか?」
「なんだ?お前はオレがただの田舎者に納まっていればよかったっとでも言うのか?悪いが、それは御免だ」
男に生まれたならば武勇をあげたい。そう願ってここまでやって来た。夢と大志を持って。
「あなた様は…優しい方です」
「はっ、鬼の副長に向かって何を言うんだ」
「優しい鬼もおります」
いつもは落ち着かせられる穏やかな口調に今日はやけに苛立つ。
「…だから、なんだって言うんだ。オレは……人殺しだ」
「あなた様は理由もなく人を斬るのですか?」
「っ、違ェ!オレたちが斬るのは幕府にあだなす浪士だけだ!!」
声を荒げる。しかし女は静かな微笑を浮かべるだけだった。
「あなた様は優しい方です」
さっきよりも深い意味を込めて繰り返された言葉。
「優しいあなたに、あなたの仲間は救われ続けるのでしょう」
土方は気付いていない。「オレたち」と無意識に言ったのだ。彼は、彼が非道になることにより仲間の心を救い続けているのだ。
『泣いた赤鬼』。女は一つの童謡を思い出す。土方は、赤鬼の親友の青鬼だ。
「お慕いしております、土方様」
突然の女の告白に土方は面食らう。やがて顔を歪ませる。
「オレはお前を娶るつもりはねェ」
「はい」
「…分かっていてオレを好きだとぬかすのか?」
「はい」
「…バカな女だ」
「はい」
この女はよく分からない。そう思いながら惹かれてゆく自分を土方は不思議に思う。厄介なのに捕まった。
そう思うが、女が幸せそうに笑うから、土方は黙って女を引き寄せた。
知れば迷ひ 知らねば迷はぬ 恋の道
燃えよ剣(司馬遼太郎)