足らないね


「ここいいかい?」
そう言われて、顔を上げた。軽く頷いたのが会釈みたいになったのは、多分相手が留年していると噂の年上の同級生だったからだ。
彼の名前は、知っている。リーグ部部長、カキツバタ。リーグ部っていうのは、このブルーベリー学園においては結構大きな部活だ。チャンピオンリーグを模したもので、うちでいうイッシュリーグだ。だから、誰から戦ってもいい。
その中でも一番強いのが、このカキツバタだ。
向かい側に座った彼は手ぶらで、勉強をしにきたようにも本を読みにきたようにも見えない。
私は少し興味をそそられたけど、そんな自分に気づかれるのはいやで、視線をまた進めていた課題の方へ戻した。
しばらくすると彼は寝こけてしまい、健やかな寝息が聞こえてきて、私はようやく自分の課題に専念することができた。
図書館の静かな空間に、彼の寝息と数人の小声や動く音が少し聞こえている。
課題が微妙に進まないところに閉館の音楽が鳴る。起きない彼を尻目に私は、いそいそと荷物を片づけて図書館を後にした。

「なんで起こしてくれなかったんだよ」
今度は断りなく、向かいに座った彼にそう言われて、つい眉が寄る。
「私に言ってる?」
「お前さん以外いないだろ」
「……え、もしかして一晩ここに?」
いくらなんでも閉める時に先生がいるだろう。
「んなわけねーだろ」
ケラケラと笑い飛ばす彼に、なおのこと私が声を掛ける必要性を感じない。
「……お前が起こしてくれるの待ってたって言ったら?」
「……別に起こすのは構わないけど」
「そういう意味じゃねえんだよなあ。まあいいや、じゃあ今日は起こしてくれよ?」
渋々頷いた私に、彼は満足したように机に臥せて寝息を立て始めた。
「自由だなあ」
「まあね……」
げ、まだ起きてる。
聞かなかったことにして、そっと脇に置いていた課題も何も関係のない本を手に取った。図書館のではない、読みかけの私のそれにカキツバタはちらっと視線を伏せたまま寄越したけど、見なかったことにする。
読み始めると周りは少し気にならなくなって、そのまま読み進めているといつのまにか閉館の音楽が聞こえる。
「ねえ」
とんとんと机を叩く。
ん、と寝起きの声で呻いた後、眠そうに目を開けて私を見る。
「んー、おはようさん」
「はい、おはよう」
返事をすると、にぃっと口角を上げて無邪気そうに笑顔を見せてくる。
「じゃあちょっとくら帰るかい」
と私と足並みを揃えようとする彼に、首を振る。
「片付け終わってないし、本借りるから」
実はわざとだ。カキツバタと並んで帰るのは目立つ上に、沈黙に耐えきれないコミュ障なりの小賢しい知恵である。
「そうかい、じゃあまた明日だな」
「明日も来るの?」
「結構穴場だからねぃ、タロはこういう場所だと大声出せないから説教も回避できるぜ」
ああ、カキツバタの女房役させられてる可愛い子だ。ファンが多いから、有名人の一人だ。時々被る授業でもあぶれた子にも優しいので、陰の者に人気が高い。
冗談混じりの言種だけど、多分困らされてるんだろうと思うと同情する。
「うん、じゃあまた明日」
「じゃあな」
片付けをしている風に手を動かして、彼を見送る。頭の後ろで手を組んだ彼の後ろ姿が見えなくなって、ちゃちゃっと机の上を綺麗にして、私は一つ手元にあった本を本棚に返した。

「なあなまえはオノンド育ててたよな」
ん?
「いや、なんで知って、るんですか」
距離を取りたくて、つい敬語にシフトチェンジした私の不自然な問いに彼はツッコミを入れずに答える。
「なんでって同じ授業取ったことあるからよ」
はははと笑い混じりに答えたけれど、居た覚えがあんまりない。この人サボりすぎだろ。
「何学です?」
「対照タイプ学、いや基分かねぃ?」
「基礎って必修……」
いや、もう何も言うものか。黙って口を閉じた私に、「へっへっへっ」と笑ってくる。
「アンタのオノンド可愛いだろ、目惹いたってことよ」
その言葉を聞いて、ついつい顔が緩んでしまう。
「ありがとう」
少し照れた私を見ていたカキツバタの顔なんて視界にも入れず、私はバックの中のモンスターボールに微笑んだ。
「んじゃ、オイラはそろそろ寝かせてもらおうかねぃ」
「うん」
すやすやと健やかな寝息を立て始めた彼を尻目に、私は課題を広げた。
一通り終わったところで、聞き慣れた音楽が聞こえてくる。
「カキツバタ、起きて」
身を伸ばして反対側に手を伸ばして、トントンと頭の下敷きになった手をシャーペンでつつく。
「ん、いつもすまないねぃ」
フラッと立ち上がった彼はそのまま手ぶらで、だるそうに扉に歩いて行く。
私は机の上の荷物を片付けて同じように図書室を後にした。

「カキツバタも本読むんだ」
珍しく起きて、見たことのあるタイトルを手に取っていることに私はつい、声をかけていた。
「意外って言いたいんだろ? まあオイラもそう思うからねぃ」
彼は勧めてくれた友人の話をしてくれる。聞けばリーグ部の子のようだ。
「アイツは真っ直ぐで繊細だからな、ツバっさん的には一応読んでやりたいわけよ」
「優しいね」
「いんや、文字見てたらもう眠くなってきたぜ」
あくびをした彼がその本を開いたまま伏せて、彼自身も机に伏せる。
その姿に、少し笑って私は自分の読んでいた本から出版社のロゴの入った栞を差してそれを閉じる。
「本痛むよ」
緩い返事のような、寝言のような、声が聞こえて笑いが漏れた。

距離をとっていたはずの彼は、いつの間にか私の日常に食い込んできていたし、彼自身気持ちの良い人間だったせいか、私も警戒心なんてどこかに行ってしまっていた。
「カキツバタ、起きてよ」
机の反対側に手を伸ばす。肩に触れて、緩く揺する。
閉じたままの口と目が少し笑う。どんな夢見たらそんなふうに笑うんだろう、なんだか微笑ましくて私まで釣られて笑ってしまう。
なり始めた閉館の音楽にハッとして、少し強めに揺する。
緩慢な動きで起き上がった彼が、息を吐き出して体を伸ばす。
「ふぃー、長かった長かった。よいしょっと」
椅子の音を立てて立ち上がった彼はてくてくなんてふざけながら私の隣へと歩いてくる。真横まで来た彼を見上げる。
その後ろの、夕暮れを過ぎた窓の奥、人のいないエリアの電気が落ちた教室が見える。
嬉しそうに笑っている彼が、「ほら」と言う。
「行こうぜぃ、閉まっちまうだろ」
「あ、うん……」
脇に掛けていたバッグを慌てて、手に取る。彼がそうやって私を待ったのは初めてで、ほんの少しの違和感が残る。どうせ気のせいだって分かってるんだけど、なんとなく胸にモヤっとしたものが引っかかる。
「ゆっくりやった甲斐があったってもんだ」


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