モモン缶


からだの気だるさに気付くまでに数十秒。脳の方まで回転が遅いようで、立ち上がろうとしてひっくり返る。
着替えもままならなくて、ボタンが中途半端に外れた姿の自分が一層間抜けだ。このままでは外に出ることもできやしない。
「ろ、トム」
声を出せば、ごほごほと咳が出た。掠れた声だったけれどスマホロトムが反応する。
「なまえにメール、いや電話を」
「了解ロト!」
このロトムは彼女のロトムと仲が良い。主人の一大事だというのに、ハートマークを画面に表示して薄情なものだ。
今日のデザートは半分にして差し上げないと。
数コールして、繋がった電話からはごそごそと衣擦れの音が聞こえる。
「びーと、くん?なーに」
朝に弱いと豪語するだけあって、心底気の抜ける声が聞こえてくる。
「すみませんが、ぼく」
まで言って咳が出る。
「風邪?ちょっと待っててすぐ行くね」
彼女が慌てたように起き上がったのが音でわかる。
ロトム越しに「わあ!」だったり「きゃあ」だったりと悲鳴が聞こえる。通話を切るくらいはすればいいのに。
少しして、彼女がぼくの部屋のドアを開けた。
本当にすぐにきたのだろう。布団の中に戻ったぼくが薄目で彼女の姿を確認すると、深めにかぶった帽子とTシャツ、パンツのとびきりシンプルな服だった。ぼくに見せたなかでは。
「ポプラさんに連絡したら、一応ジムは見にいくけど様子によっては休みにするって」
「……はい」
「そんな嫌なら早く治しなよ」
顔に出したぼくの態度をなまえは笑いをこぼす。
「ビートくん、薬は?」
首を横に振る。その間に彼女がぼくの外し掛けたボタンを留めていく。
「この家にはないよね。じゃあ買ってくるよ、待っててね」
これ貸してあげる。彼女はミブリムの大きなぬいぐるみをぼくのベッドの脇に置いて、この部屋を後にした。
少し待つ。
まだだろうかと考えて、何を考えているんだと我ながら笑えない。
さむい。
手近なものを抱き締めて、堪えるようにうずくまってそれから、


「起きた?」
目を覚ますと、なまえがベッドの近くに本を持って座っていた。頭がぐるぐるとして、起き上がることさえ苦痛だ。
「そろそろミブリムに嫉妬するかも」
「……あ」
手近なものというのはなまえの持ってきたミブリムのぬいぐるみだったらしい。
「あなたが勝手に置いていったんでしょうが」
「触りの心地が完璧だったでしょ」
ぬいぐるみを軽く投げつけようとして、寒さに体が震えた。
「熱出てきた?」
「はい」
「じゃあ暖かくして、とりあえず水分も、それから薬」
思っていた数倍テキパキとぼくの看病をする彼女を少しだけ見直した。
「なんですか、これ」
「おくすりのめるもん」
彼女がぼくに差し出したのは、ゼリー状のものの上に薬を二錠乗せたスプーンだ。
「馬鹿にしています?」
「風邪の時って味覚おかしいよね」
「話を聞け」
「お粥とか作るけど、食べれそう?」
こんなことに体力を使ってしまったことへの呆れも含めて首を横に振る。
「これから体力使うから、食べれそうだったら食べてね」
なまえはぼくの体を横に倒して、一枚ずつ布団を掛ける。
「おやすみなさい」
さっき起きた人間に、また寝ろなんて。
そんなことを思いながらも、ゆっくりと瞼が落ちていく。



「おはよう」
ぐっしょりと濡れた寝間着の気持ち悪さに目が覚めた。また同じように、ベッドの隣でスマホロトムを片手にぼくを見ているなまえがいた。
「体、拭く?着替える?」
「着替えます」
長時間寝たおかげか、身体のだるさはマシになった。頭は相変わらずぼーっとしているが、これなら彼女に着替えを助けられることもないだろう。
ぼくの様子を見守っているなまえを見ていると逆に任せた方が本人にとっては良かったかもしれないと思ったが、そんなこと気にしてやる意味もないと思い直す。
「お腹は?」
「すいてません」
咳混じりのぼくの主張に、なまえは眉を顰める。
「……ちょっとだけ、まってて」
彼女が立ち上がってどこかへ行く。彼女の置いていったスマホロトムがぼくのロトムとなにかしている。
「……風邪、看病」
ロトムの検索履歴だ。よく見ると彼女の持っていた本の近くにメモが落ちている。これはポプラさんの字だ。
「たまごがゆの作り方」
……断ってしまったことに少しだけ罪悪感を覚えた。
なまえはまた慌てたように戻ってきて、起き上がっているぼくにお皿に入ったものを見せてきた。
これはなんだ?
「モモンのシロップ漬け。冷やしてたから冷たくて美味しいよ」
もともと甘いモモンをシロップで漬けるなんて誰が考えたんだ。頭が悪いんじゃないのか。
「これなら食べれる?」
たまごがゆを断った手前もあって、頷いてみせる。甘過ぎるのではないかと思いながらも、なまえからお皿を受け取る。手が寒さで震えて、うまくすくえない。見かねたなまえがぼくの横に座って、手を添える。かなり小さめに切られたモモンを飲むように喉の奥へ。シロップ漬けのそれはとろりと溶けて、身体の熱をゆっくりと冷ます。
「どう?」
「美味しいです」
味覚も熱でおかしいせいか、この甘さがちょうどいい。
自分の体温のせいか、添えられた彼女の手が珍しく冷たく感じる。
それが気に入らないなんてそれこそ認めたくないと、シロップ漬けのモモンを食べ切って、ベッドに体を預けた。

彼女の帰った部屋でまた目を覚ます。気だるさの抜けた体で部屋を出る。モモン以外を口にしていなかったせいか、お腹は空腹を訴えている。ラップの掛かった缶の残りに少しだけ、顔が綻んだ。

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