緩やかな侵略


今日はこの家に僕しかいない。
彼女は友人と何処かへ出掛けるらしい。
昨日の夜と今日の朝、大慌てで準備をする彼女の計画性のなさは相変わらずだ。それを見越していた僕のフォローは完璧で、なまえは笑顔で「行ってきます」と言ったのだ。
だからここには僕しかいない。
もちろんポケモン達はいるが、彼らの調整は毎日念入りにしているため特別なにかをすることもない。
気もそぞろにポケモンたちのブラッシングをしていると、ギャロップがいかにも上の空の僕に抗議をしてくる。
「すみません、痛かったですか」
「きゅっ」
痛くはなかったようだが、ニンフィアの元へ飛んでいってしまう。
「……静かです」
ブリムオンはむしろこの静寂が心地好いようで満足げに笑っている。僕だって静かなのは好きだ。喧しいよりもいいだろう、いいに決まっている。
「ねえ、ビートくん、一緒に食べよ?」そう言ってお菓子を連れて現れるなまえが頭を過る。ダイエットをするなんて言っては、そんなものを取り出してくる彼女に何度ため息をついたことか。
「なにか読みましょうか」
読みたいものなら山ほど溜まっている、仕事にかまけてインプットが疎かになっているのは自覚している。最近の論文ではメタモンのたまごの話があったはずだ。何本か読んで、休憩にコーヒーも淹れようとした。キッチンには、頭の悪そうなCMをしていたお菓子があった。



……お菓子とジュースを用意して、リビングのカーペットの上で寝っ転がる。ポケモン達は珍しい僕の行動に、どうしたのかと周りをうろうろする。
「ぼくはなにをやっているんだろう」
ため息まじりの僕に寄り添うようにブリムオンは隣にしゃがみ込んだ。
「あなたもやってみますか?」
ポケモンフーズでも取ってくればいいかと立ち上がろうとすると、触手で動きを制される。よく見るとふよふよと超能力を使ったのかきのみが飛んできている。
「これのどこが、楽しいんでしょうかね」
寝転んで食べ物を食べたり、本を読んだり、ゲームをしたり、改めて思うとなんというかカビゴンにでも例えたくなるような生態をしている。決して馬鹿ではないと言ってあげたいが、贔屓目に見ても彼女の行動は僕には理解できないことが多い。
準備したお菓子に手を付ける。小気味のいい音がする。
「なにをやっているんだろう」
馬鹿らしいことをしているという自覚はある。彼女のことは笑えない。
これではまるで、僕が寂しいみたいじゃないか。
ジャンキーで軽い、音と味が僕の中を満たしていく。
積み重ねた論文と本が乱雑に並んでいる。手の届く距離に物を置くのは、このスタイルのなまえが良くやっていることだった。
「ただいまー!」
まだ時間はおやつの時間を過ぎたくらい、何か忘れ物でもしたのか、それともまさか夢でも見ているのか。夢なんてものまで見るようになったら救いようがない。
「ビートくん聞いてよー、なんか元々用事あったの伝え忘れてたごめーんとか言われてさー」
ドタドタと扉を開けて入ってきた彼女が、目を丸くする。呆然としていた僕の今の状況は非常にまずい。いかにも僕らしくないこの状況をなまえがどう取るのかなんて想像したくもない。
「ビートくんもだいぶ私に毒されてきましたね」
「どうとでも言っていなさい」
「うん、そうする。ね、いーれて!」
にやにやと笑った彼女が、オシャレに着飾った格好のまま隣に座り込む。
「珍しいね、それ私のなんですけど」
お菓子を指差したなまえが、口を大きく開けて突き出してくる。ぽいと入れてみれば、満足気にそれを噛み砕いて咀嚼する。
「少し、興味があったんです」
「味に」
「ええ、まあそういう感じです」
「勉強になりました?」
「なにも」
「なーんだ、なったなら教えてもらおうかと思ったのに」
ただ、あなたが僕を少しずつ作り変えていることだけ。
それが嫌じゃない僕がいることは勉強になったかもしれません。

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