きいろのしょくたく


「あれ?」
傘を差して、ハウオリの方は向かう途中、島巡りの試練場であるしげみのどうくつのゲートが開いていた。開いていることは多いけど、その場合はサポーターがいるはずなのに、今日は誰の姿もなかった。
咎める人がいないことに好奇心に唆され、私の足は入口へ向かってしまった。
傘に大きな水滴が跳ねる。
ぴちゃっと私の靴を水が濡らす。
雨の日は煩わしいことがいっぱいだ。傘の内側から見た空はハウオリでは珍しいほどの灰色だった。
私は恐る恐る、足を進めていく。
入り口から少し歩くと、ひらけた空間は相変わらず土の匂いとポケモンたちの匂いがした。
ここは試練の場なのだから、彼がいることもおかしいわけではないのだけど、そこにいた人物に私は驚いてしまった。
目を閉じて、時折通る風に吹かれていた人物はイリマだった。
何をしているのかと見ていると、石に腰掛けていたイリマがゆっくりと目を開けた。
「なまえ、ですか?」
私の方を見た彼は垂れ目を細めて笑っている。
私は時折唐突に現れるポケモンに気をつけて、ゆっくり彼の方に近づいていった。
今日の服はお気に入り。かわいいスカートを選んだのだった。苔のついた岩には座るのは……。私はイリマの隣には座らず、イリマの向かいに立った。
私を見上げたイリマは首を傾げて、ポケットからハンカチを取り出した。白いハンカチは相変わらず嫌味なくらい綺麗だったけど、彼はそれを自分の隣に敷いてしまった。
「どうぞ、なまえ」
エスコートをするように手を向けた彼に、私は焦ったけどこういう時のイリマに文句を言ったとこでどうにもならないことを知っていたから、少し不服そうな顔をしながらも隣に座った。
「今日はなんだかオシャレですね、何か用事がありましたか?」
「ないけど……わざわざハンカチ敷かなくても……」
優しい彼だけど、そのハンカチの価値が分かっていない。綺麗なのに、呆気なく汚してしまうなんて。
「せっかくの服を汚すのはいけませんから」
「……そ、ありがとう。……何してたの?」
イリマは私の質問が気に入ったのか、にこりと笑って目を閉じた。
「イリマ?」
「なまえもどうですか」
……目を閉じるのかな?
彼に倣うように目を閉じると、ざぁーっという雨音が遠くに聞こえた。
洞窟の奥の方からぴちょんと水が跳ねる音が木霊する。
「水の、音?」
「ええ……」
それっきり彼は喋らない。
ぴちょん、ぱしゃという水の音。土と水の混ざった匂い。
濡れた地面をヤングースたちが蹴る音。
それから、隣の彼が少し、動いた音。
はっきりと聞こえるせいで少しだけどきっとした。
草がざわざわと揺れる。風が吹き抜ける。
私はそっと伺うように彼を薄目でこっそり見た。
あ。
イリマはにこにこしながら私を見ていた。
目がバッチリ合ったものだから、私はやられた!と言わんばかり後ずさる。
「イリマ!」
「すみません」
悪びれもせずに笑う彼に、精一杯怒っているポーズを取るけれど、何の意味もないらしくイリマはくすくすと笑っている。
「すみません、こうやって雨の日はここによく来るんです」
「ふーん」
「誰にも言ったことなかったんですよ。安全のため、雨の日には試練をしないようにしていますから」
「へえ、そうだったっけ」
そんな決まりはないけれど、そういう気遣いはなんとなく彼らしいと思わされる。
実際のところ、危ないようなところがあったりする部分もあるため、ここはイリマの許可なく入れない。
隣を見れば、また彼が目を閉じて耳を澄ましている。彼は私と同じものを感じているのだろうか。
目の前の彼はいつもの格好つけている彼とは少し違う、ようだった。
私はそっと彼のキャプテンの証に手を伸ばす。
悪い事をしているつもりはないけれど、心臓がばくばくとうるさい。
あと少し、もう少し、これを取ったからって変わるわけではないけれど。それでも。
私の指が証の表面を引っ掻く、その瞬間、彼の目がちらりと私を見た。
「駄目ですよ」
ああ、なんだか、泣いてしまいそうだ。
私は彼に触れられない。
そっと下ろした手をイリマが取る。されるがままの私は彼をぼーっと見ていた。
「僕はまだまだですから、もう少しだけ」
ほんとは今日、貴方をデートに誘いたかったの。
だって雨の日なら、試練はないでしょう?
「待っててください」
ねえ、私、イリマが好きなの。
こんなに近いのに。
「頑張って、貴女にふさわしい男になってみせますから」
溜まった涙が、こぼれていく。
涙で歪んだ視界の奥に困ったように笑ったイリマが見えた。
「ハンカチは……使ってしまいましたね」
少し焦ったように代わりになるものを探して、何もなかったのか、彼らしくないくらい乱暴に服の袖でぐいぐいと涙が拭かれる。
苦笑いの彼に触れた。

ーーーーーーー
イリマくんの服は半袖ですよ、揶揄さんや。
雨の日だから長袖なんだよ!多分そう!


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