自販機裏の秘め事(ゆりかさま)


ホームのベンチに座っていたなまえ。
なまえの前をいくつかの電車が通り過ぎたとき、彼女は立ち上がった。
真っ黒い色のハンカチをベンチにたたんで置く。
それに満足したように頷いて踵を返した。

「なまえさま?」
待たせてしまったのかと不安が過る。慌てて時計を確認してもいつもと変わらない時刻を針は指していた。
いつもいるはずの彼女の姿どころかだれ一人いない。
「おや」
黒いハンカチ。ぽつりと置きざりにされていたそれは、彼女が自分の色だと言っていたモノだった。
広げてみればやはり、なまえの名前が刺繍してあった。
「……」
それをポケットに突っ込み辺りを見回すと、こつこつと足音が聞こえた。
「なまえさま!」
ノボリは不思議と確信を持って彼女の名前を呼ぶと、その足音を追った。
誘導するかのように見失えば、足音が聞こえる。
切れかかった照明に照らされたホームをノボリは端正な顔を歪ませながら闊歩する。
「どこに、いらっしゃるのですか」
不安げに呟かれた言葉。
足音が止まる。さっきまでの遊ぶような誘うような足音は消え、こつこつと確かめるような足音が少し聞こえたと思えば、ぴたりと止まった。
「ノボリ」
その声に弾かれたように走る。
そこは自販機の並ぶ休憩室だった。
夜中だというのに近くのジムや施設の明るさにも負けないのではないだろうかと思うほど明るい自販機の影に彼女はいた。
明るさに比例するように濃い影に隠れるように彼女はしゃがみこんでいた。
「ごめんね」
「いえ、どうされたのですか」
「……ちょっと、ね。迷惑だった?」
彼女たちがこうやって会うのには理由がある。
サブウェイマスターノボリにはファンがいる。それも熱狂的な。
例によってなまえもその被害に合うことがないわけではない。
それを防ぐためにえらんだ手段だった。
「いいえ」
「……そお」
その言葉に安心したように頬を緩めたなまえ。
「……」
ノボリはそんな彼女に言葉を失う。
自分のせいでなまえに無理を強いていたのではないか。
それもそうだ、こうやって隠れるように会うだけ。それに今まで不満も持たない方がおかしいと言えばおかしいのだから。
「……今日は、まだ仕事?」
なぜこうも、愛おしいのだろうか。
少し不安に揺れた瞳で、窺うようにこちらを見てくるなまえにごくりと唾を飲む。
ノボリの脳裏には机に積みあがった書類とすっかり居眠りをしているだろう片割れが浮かぶ。
「いいえ」
ノボリは自然と、彼女の頬に片手を伸ばし、もう片方をなまえの手に重ねる。
「もう、いいんです」
「ノボリ?」
なまえの手を壁に押し付け、上がった顔に自分の顔を近づけ、薄いピンク色をした
唇に唇を合わせた。
息継ぎさえさせないように、このまま彼女を隠してしまいたい。
舌を絡ませ、歯列をなぞり、隅々を確認するように自分の唾液と混ぜるように、何度もキスをする。
そっと唇を放せば、ツーっと銀の糸が伸び切れる。
「これもここに隠しとくの」
なまえは少し意地悪く、笑う。
「いいえ、結婚しましょうか」
彼女の見開かれた瞳が零れてしまいそうでノボリはその瞳にキスをした。


――――――


リクエストありがとうございます、ゆりかさま。
『ノボリさんと夜の地下鉄ホーム、毎日隠れて会いにいく話』とのことでしたが、私解釈してしまったのでもしご想像とかけ離れてしまっていたらすみません。

これからも朝食を宜しくしていただければ嬉しいです。

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