すっかり日も暮れ、昼とは違った空気が漂い出す。あたりの枝垂桜の木がさわさわと
揺れている。先ほど振った夕立の露が足元の土を濡らしていた。
このしっとりとした空気の中を歩くのが好きで俺は昼より夜の巡回が好きだ。だけど今日に限っては脱兎の如くこの場から離れ部屋に帰りたい。
「おい総悟。何ぼけーっとしてんだ」
「寝不足なんですよ。だから山崎と変えてって言ったのに」
「当番は当番だ。決まりは守れ馬鹿」
「歩き煙草してる奴にそんなこと言われたくねえなあ」
「……うっせえ」
罰の悪い顔をして土方は足元に煙草を捨ててそれを足で踏みつぶした。
「ポイ捨てだーこの人最低ー!!」
「だああああ!今拾おうと思ってたんだよ!!」
こめかみに血管を浮かび上がらせ苛々しながら怒鳴ってくる。
そんな態度がおもしろくてついにやにやしてしまう。
それが土方の神経を逆なでするのは百も承知だ。
「ほんと可愛くねえ……」
「男に可愛さ求めるとか。鳥肌もん」
「あ、そうだ。ちゃんと病院行けよお前」
どうやら俺の鳥肌もんという言葉で昼間の出来事を思い出したらしい。
うっかり地雷を踏んでしまった。心の中で地団駄を踏む。
「本当、なんてことないんでさぁ。どっこも悪くないし痛くないし」
だからどうかこの話題から離れてくれ。山崎に告げられた事実が悶々と頭を占領し始める。
キス。
土方が俺に、キスした。
再びカアッと顔に熱が集中して、何やってんだと頭を振っていたら土方がとんでもない言葉を口に出した。
「喉詰まらせただろ。何か飲み込んじまったみたいだし」
本日二度目のフリーズ。爆弾投下しやがったこの人。
土方は固まる俺を怪訝そうに見て、目の前で手を振ってきた。
「おい?どうした総悟」
「なっ何でもありやせん」
「そういう態度じゃねえだろうが。やっぱり具合悪いのか?」
「違いやす、いいから、ホント何でもないんで」
やばい。逃げたい。自分でも声が震えているのが分かる。
当然土方も分かっているだろう。俺の肩を掴み、逸らしていた視線を無理矢理戻された。
何も言ってこない。ただ視線で訴えてくる。それが耐え切れなくて俺は小さな声で呟いた。
「山崎から、聞いた」
「何を」
「土方さんが俺に……」
そこまで言うと土方も気づいたのかサッと顔を赤らめた。
余白を開けてため息を一つ吐き出す。
「人命救助だ」
投げやりにそう言って俺の肩から手を離し先に一人で進んで行く。
俺はそのあとをゆっくり追って歩いた。
今夜は満月で目を凝らさなくとも後姿がはっきり見える。
「じゃあ土方さんが俺にしたのはキスじゃないんですよね?」
「当たり前だ馬鹿。ふざけてねえでさっさと……
「違いが分かんないでさぁ。教えて下せえ、実践で」
思わず振り返った土方と数秒間視線が絡み合う。
自然と口から出た言葉に自分でも驚いているが、さらに驚いているのは土方のようだった。信じられないようなものを見る目をしている。
納まれと念じても高鳴る鼓動は止まなくて。
心臓が破裂するなら、きっと今この瞬間だ。
「救助のキスはもう分かったから。本当のキス、下さい」
拒絶されるかと思っていた。けど土方は俺の体を引き寄せ、苦しいくらい強く抱きしめられた。キスしてって言ったのに。
土方が何を思ったのか俺には分からない。
けど何だかこれで許してくれと言われているようで、泣きそうになった。