真っ白い無限を感じさせる空間。そこに静雄はいた。うなだれるように俯き下を見つめていたのだが、フッと蝶の影が目に映り顔を上げた。
――まただ。
さあ、捕まえてみろ。
そう言わんとするように手の届く距離に黒揚羽蝶は羽ばたいていた。
思わず手を伸ばし捕まえようとする。だが虚しく空を切り、舞うように黒揚羽蝶は逃げた。
追いかける、追いかける。
また追いかけている。
一体何度追いかければ捕まえることができるのか。
そんな諦めの念が頭を過ぎると同時に目の前の蝶々は姿を変えた。
(臨也……)
薄く笑う彼の笑みは静雄の心をざわつかせる。
どうして姿を変えて臨也になるのかなんて、もうどうでもいい。どっちにしろ自分は追いかけるのだから。
「待て……!」
しばらく逃げ回っていた臨也だったが、足を止めクルリと踊るように一回りして悪戯な笑みを零した。そして紡がれる、いつも夢の中で拒否する言葉。
「俺が、欲しいんでしょ?」
――あぁ、うぜぇ!うぜぇ、うぜぇ、うぜぇよ!黙れ!
いっそこうなったら逃がさない。静雄は勢いよく踏み出し、臨也の腕を掴まえて自分の腕の中へと抱き寄せた。
「シズちゃん……!」
自分のすぐ近くで名前を呼ばれ静雄は夢から意識を覚醒させた。ぼんやりと霧掛かる頭で、また嫌な夢を見たな。と考える。
(なんだ?あれ、なんか)
サラリと顎に細い感触を感じて、静雄は下に視線をやった。
「……臨也?」
「そ、うだよ。何、誰だと思ってこんなことしてる訳!?」
一瞬まだ夢を見てるのかと錯覚しそうになる。臨也が自分の腕の中にすっぽり収まっているではないか。
顔を歪めている臨也の様子を見て、とりあえず自分が起こした状況なことを悟った。
「ワリィ……」
腕の力を緩めて解放する。すると臨也は驚いたように目を見開いた。
だが少し沈黙したあと、何事もなかったかのようにまたいつもの余裕のある笑顔で毒を吐く。
「君がだぁい好きなお姫様はもう帰ったよ、残念残念。俺と勘違いされても困るね。しかしとんだ馬鹿力だ。背骨が粉砕するかと思ってさすがに焦ったよ」
現実の臨也はまどろっこしい。夢の中の臨也とは違って欲しいか、なんて問わない。
むしろ全身で自分を拒めと言っている。
「なんでいるんだよ……」
「シズちゃんに俺がどこに居て駄目なんて指定されたくないなあ。ここにいるのは俺の自由でしょ、理由なんて教える筋合いはないね」
いつもの如く粘っこい理屈に静雄のこめかみに血管が浮かぶ。
「悪いけど」
「あぁ!?」
「怒んないでくれる?シズちゃんの相手してる時間ないんだよねえ。と、いうか怒りたいのはこっちだし。――じゃあね」
そういうと瞳に陰りを映した臨也はヒラリと保健室から出て言った。
「なんだアイツ…!」
行き場をなくした怒りは壁へとぶつけられる。パラパラと破片が床へと落ちて、小さな山を作っていた。
――調子が狂う。
自分の体から臨也の残り香が漂って、頭がおかしくなりそうだった。