シリウスと悪戯少女
 休日の大広間は相変わらず朝食を取りに来た生徒達の騒がしい声に満ち溢れていたが、それでもどこかのんびりとした雰囲気が漂っていた。朝からクィディッチの練習をしようと打ち合わせていたり、図書館でさっさと課題を終わらしてしまおうと友人と話し合っていたり。休日の過ごし方は人それぞれだ。私は今日の予定をぼんやりと立てながら山盛りの糖蜜タルトを大皿から一つ取ってかじった。

「隣、良いかな。ナマエ」

 穏やかな声に首を巡らせると、リーマスが笑顔を浮かべながら首を傾げていた。相変わらず可愛いな畜生。そう思いながら頷くと「ありがとう」とこれまた愛くるしい笑みを綺麗な顔に乗せるものだから、心の中でじたばたと悶えていた。こんな弟がいたらどんなに幸せだろう。しかしそんな考えが相手に悟られると私の評判がただのアホから変態というレッテルを貼られて更にがた落ちしてしまうのであくまで平然を装ってリーマスに問う。

「そういやいつもの3人は?てっきり一緒だと思ったんだけど」
「もうすぐ来るよ。ピーターはちょっと寝坊したから遅れて来るかもね。……あ、ほら」

 リーマスが指差した先には大広間の入り口からちょうど入ってきたジェームズとシリウスがいて、悪戯の計画を立ててるんだか知らないがジェームズは一人でニヤニヤしていた。それに比べてシリウスはちらりと此方を一瞥して秀眉を寄せ、明らかに不機嫌な顔をしていた。ジェームズがシリウスに悪戯でも仕掛けたのだろうか。
 二人はリーマスのように隣の席に座って良いか丁寧に尋ねるような素振りは一切見せず、私の前の二席にどかりと腰かけた。

「おはようナマエ。いい朝だね。エバンズは」
「リリーならまだ寝てるよ。あのがり勉ちゃん、昨日夜遅くまで勉強していたみたいだから」
「そうか……」

 一瞬がっくりと項垂れて残念そうな顔をしたジェームズだったが、隣のシリウスの顔を見てまたニヤリと唇を持ち上げた。コロコロ表情が変わって忙しい奴だな。
 シリウスの機嫌も気になったが、取り敢えず食事を再開することにした。腹が減っては戦は出来ぬと言うし。私にとって課題を片付けるのは一種の戦なのである。
 リーマスとジェームズが他愛のない会話を交わしている間、私はリリーの為にハムとサラダのレタスをパンで挟んで簡単なサンドイッチを作っていた。これならリリーが朝食を取り遅れても彼女のお腹を満たすことが出来る。包み紙で丁寧にサンドイッチを包んでいると、リーマスに糖蜜タルトの大皿を寄せて欲しいと頼まれたので素直に大皿をリーマスに寄せる。そこでふとあることに気が付いた。

「おやおや、また新しい傷が出来てるじゃないかリーマス君。そうだ、良かったらこれ使って」
「えっ?」

 足元に置いていた鞄からとろりとしたトルコ石色の液体が入った小瓶を取り出す。その小瓶をリーマスの前で軽く横に振ってみせると、リーマスは少し動揺したように目を見開いた。

「大丈夫、毒じゃないよ。特効性の傷薬。私が作ったけど、スラグホーン先生のお墨付きだから」
「い、いや、君の腕を疑っているわけじゃないんだ。その……ありがとう、ナマエ」

 リーマスは本当に嬉しそうに頬を赤らめて礼を言った。可愛いぞこの野郎と行き場のない感情を拳でバンバン床を叩いて発散(もちろん心の中で)してから、お手製サンドイッチをリリーの元に届けるべく席から立ち上がる。その時、

「おい」

 と普段より数段低い声が投げ掛けられた。眉間に皺を寄せていてもシリウスのその顔はとても綺麗で、露骨に不機嫌な表情を刻んでいても何処か品格すら漂わせていた。

「なに?」
「話がある。11時に談話室に来い」

 おおっ!とジェームズは囃し立てるように声を上げ、リーマスは此方の会話が聞こえていないのか目の前の糖蜜パイを食べるのに夢中になっていた。悪戯仕掛け人のこの態度。なんとなく嫌な予感がする、というか嫌な予感しかしない。背筋からたらりと垂れる冷や汗を感じながら、一応頷いて逃げるようにグリフィンドールの女子寮へ向かった。


 ゆっくりめに目覚めたリリーにサンドイッチを渡したものの、朝食の際に起こった出来事は言えずにいた。ただいま机に向かって課題をするふりをしながら一生懸命記憶を辿っている最中である。
 シリウスが怒っていて、ジェームズがニヤニヤしていて、リーマスが知らんぷりをする(今日のこれは故意では無くただ単に糖蜜パイに夢中になっていただけかも知れないが)。これは間違いなく悪戯を、しかも私に対する復讐が目的で仕掛ける前触れだ。最近シリウスを怒らせるようなことをしただろうか。
 大切な友達にそんなことするわけ……と思ったが一つだけ心当たりがあった。以前シリウスに悪戯をされた仕返しに、彼の羽ペンを『音声記録自動羽ペン』にすり替えてやったことがある。自動速記羽ペンに少し似ているが、決定的に違うのは音声を羽ペンが記録するという所だ。私が吹き込んだ音声を記録し、いざ羽ペンを使おうとするとその吹き込まれたことが文字として自動的に紙に書かれてゆく。私はそれに歯の浮くような愛の台詞を吹き込んでやったのだ。
 もしかしたらそれを根に持っているのかも知れない。シリウスが羽ペンを使った現場を見たわけではないのでその仕返しが成功したのかはわからないが、その日は大量に課題が出ていたはずだから一度は使っているはずだ。
 あまり女性好きではない彼にそんな仕返しをしてしまったのがいけなかったのだろうか。彼らの悪戯に慣れたと言えば慣れたのだが、年々ずる賢くなっている彼らはゾンコの商品を複雑に改造している。こりゃ加減を間違えると頭ごと吹き飛ぶな、なんてジェームズがぽろりと溢していたことも思い出して、私はリリーに気づかれないよう密かに身震いをした。


 そんなことを考えていると時計の針はいつの間にか11時前を指していた。振り返るとリリーはいつの間にか姿を消していた。出来るだけ静かに滑り台状になった階段を滑って談話室に降りる。そこではジェームズが人払いをしている最中で、壁際には見学者のように此方を興味深げに見詰めるリーマス、ピーター、そして何故かリリーがいた。
 何が起きるのかわからずに呆然と立ち尽くしていると、人払いが終わったのか、ジェームズがシリウスに対してオーケーと親指を立てて合図した。シリウスは何だか乗り気のジェームズに呆れているように見えたが、すぐに私と向き合った。
 長めの前髪から覗く綺麗なグレーの眼に私の姿が映り込む。改めてシリウスと向き合うと、長年友人として付き合っている私でさえ思わず見とれてしまうほどハンサムだった。しかしその気品溢れる顔からは先ほどの怒りの表情が消えていて、彼の感情は読み取れない。いざという時のために、私はローブのポケットに手を突っ込んで杖を握り締めてた。
 シリウスの唇が僅かに開く。呪文が紡がれるのだろうと杖を引き抜いたが、シリウスの口から放たれたのは呪文などではなかった。

「一緒にホグズミードに行ってくれないか、ナマエ」
「インペディメ……は?」

 咄嗟に妨害呪文を唱えかけたが思わぬ言葉に中途半端なところで聞き返す。私の行動が予想外だったのか向けられた杖にシリウスはやや体を仰け反りつつもしっかりと此方を見詰めていた。その瞳は動揺からか僅かに揺れていたが。
 ジェームズが口笛を吹こうとして途中で迷ったのか、ひゅう、とすきま風が通るような変な息の音が聞こえた。てっきり悪戯をされるものだと思っていたのでシリウスの言葉を飲み込むのにやけに時間がかかった。ようやく理解して杖を降ろし、私は笑った。壁際の見学者もシリウスも、ぴくりと表情を動かす。

「ははっ。なんだ、そんなことか。そんなこと改まって言う必要なんてないじゃん」
「……! じゃ、じゃあ……」
「うん、みんなで行くんだよね!」

 シリウスは目を見開らいた。見学者達は期待を裏切られたかのようにずでっと転けかけた。ピーターに至っては本当に転んだ。……あれ、なんか違ったっぽい。

「ご、ごめん、そういう意味じゃなかった?」
「ああ……うん、もうそういうことでいいや。みんなで行こ、みんなで」

 諦念を感じさせるというか何だかなげやりな態度をちょっと不思議に思ったが、取り敢えず胸を撫で下ろした。

「良かった。てっきり仕返しされるのかと思ってた」
「仕返し?」
「そう。シリウスの羽ペンに悪戯をしたんだけど……あれ、もしかして心当たり無い?」

 シリウスは首を捻った。あ、これ確実に墓穴を掘った。ヤバい。馬鹿だ私。
 すると何故かジェームズとリリーがああ、と思い出したように手を叩いた。

「あれナマエの仕業だったのか。僕が一回シリウスの羽ペン借りたときに羽ペンが暴走して紙につらつらと愛の言葉が書かれていくものだから、その紙をそのままリリーに渡したんだ」
「気持ち悪いと思ってすぐに燃やしたんだけど……こいつがこんなロマンチックな言葉を書けるのかしらと不思議に思っていたの。なるほど、これで納得したわ」
「まあ、結局被害はなかったってことだね」

 ジェームズが変なのはいつものことだし、とリーマスがフォローするように付け加える。確かに結果的にシリウスには害が及んでいないだろうけど、私が彼に仕返しをしようとしたという事自体にシリウスは怒らないだろうか。不安になって彼を見上げると、暫くの間ちょっと複雑な表情をしていたが、私の視線に気付くとニヤリと口の端を持ち上げた。

「なかなか良いアイディアだな、ナマエ。その羽ペン何処で買ったんだ?」
「普通の自動速記羽ペンにちょっと魔法をかけた。そんなに難しくないからシリウスにもきっと出来るよ」
「当たり前だろ?俺に出来ない魔法なんてない」
「ふふっ、そうだったね。でも応用もきくから色々な悪戯に使えると思うよ」
「へえ、俺達に協力してくれるんだ」
「まあね」

 悪戯仕掛け人を味方につければ私に被害が及ぶことはないなんてセコいことは考えてない。いや本当に。
 杖の動かし方とその呪文をシリウスとジェームズに教えていると、突然リリーが何か思い出したように声を掛けてきた。

「ねえナマエ、あの言葉あなたが吹き込んだって言ってたわよね。あなたがあんなにロマンチックな言葉が思い付くなんて驚いたわ。もしかして本当は夢見る乙女だったりするの?」
「……え゛」

 さすが頭脳明晰の優等生、痛い所を突いてくる。比較的バッサリした性格のこの私が実は夢見る乙女だなんてとんだお笑い種だ。しかし事実、夢見る乙女なのかなあと思う時はある。甘いシチュエーションなんて考えればいくらでも出てくるし、ありきたりな愛の台詞も嫌いじゃない。
 いやいやいやいや単なる悪ふざけだよ、とかなんとか気のきいた言い訳でも出来れば良かったんだけど混乱した私は何も言えなかった。ニヤリとリリーが笑う。

「あら、もしかして図星?」
「……い、いや、そんなこと……あーもういいや、シリウス! 図書館行こ図書館!」
「え? お、おう」

 別にシリウスを巻き添えにしなくても良かったんだけど取り敢えず彼が一番近くにいたので腕を掴んで寮を飛び出す。視界の端に肩を竦めるリリーとちょっと嬉しそうなシリウスの顔が見えた、気がした。



(純粋な乙女のくせにどうしてシリウスの気持ちに気付いてあげられないのかしら)
(で、でも、みんなでホグズミードに行くのはきっと楽しいと思うよ?)
(そうだよ。それに見た?あのシリウスの嬉しそうな顔)
(女嫌いなパッドフットが珍しいよなー。そうだエバンズ、これからデートなんてどうだい?)
(結構よ)



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