とある提督と艦娘達
 執務室に備え付けられてある窓からは母港がよく見える。室内の備品は全て先代の物のままだが、アンティークで落ち着いた雰囲気は嫌いじゃなかった。部屋の端に置かれた段ボールは未だ片付かず、いつの間にか誰かに落書きをされていて蜜柑のイラストが猫のような謎の生物になっている。恐らく犯人は第六駆逐艦の誰かだろう。

「提督、紅茶のおかわりはいかがですか?」

 奥ゆかしく柔らかい声が耳に届く。窓から視線を少しずらせば、桜のように淡く可憐な笑みを唇に乗せる秘書艦の姿があった。


「ありがとう榛名。……そうね、もう一杯貰えるかしら」
「はい」

 洒落たティーポットから湯気と共に香り高い紅茶が注がれカップを満たす。なんでもこの紅茶は榛名の姉である金剛が用意した高級茶葉を使用しているらしい。さすが英国生まれといったところか。

「そういえば金剛は?お昼過ぎくらいから姿が見当たらないのだけれど」
「お姉様はスコーンを焼いているみたいですよ。良かったら提督も召し上がりませんか?」
「本当?嬉しいわ。金剛の作るスコーンは格別ですもの」
「ふふっ。提督のその言葉、お姉様が聞いたらきっと更に張り切っちゃいますよ」

 また作りすぎて三食全てスコーンなんてことが無ければ良いけれど、なんて少し苦笑を溢しながらナマエは紅茶に口をつける。
 夕陽が差し込み、室内が暖かいオレンジ色に満ちた頃、ぱたぱたと軽やかな足音が扉越しに聞こえた。榛名が「艦隊が帰ってきたようですね」と言った直後に勢い良く扉が開かれた。

「たっだいまー司令官!」

 一人が明るく第一声を発し、小さな体で精一杯駆けて抱きついてきた。くりくりした愛らしい目で此方を見上げる雷の頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細めて子猫のように頬を擦り寄せてきた。

「お帰りなさい。怪我はない?」
「全員小破未満だ。入渠する必要はないだろう」

 遅れて入って来たのは第二艦隊の旗艦、天龍だ。男勝りな彼女に小さな子を引率させるのは少々心配だったが、意外と面倒見が良く、すぐに駆逐艦たちがなついた。彼女に任せて正解だったようだ。

「お疲れ様、天龍。対戦の様子はどうだった?」
「まあまあと言ったところだ。回避も上手く出来ているし、砲撃もそれなりに当たっている」
「そう。よく頑張ったわね」

 駆逐艦たちの頭を順番に撫でてやる。電は素直に喜び、響は少しだけ頬を染め、暁は決まり悪そうにしながらも目元を緩めて大人しく撫でられていた。その様子を見た天龍が意地悪そうに口の端を持ち上げる。

「おやぁ?自分はレディだから子供扱いしないでーなんて偉そうに言ってた奴は何処のどいつだっけぇ?」
「う、煩いわね!司令官はレディだから良いのよ!」
「なんじゃそりゃ。単にお前が提督を好きなだけだろ」
「天龍、可愛いからってあまり暁をいじめないであげて」

 ナマエが窘めると、天龍はひょいと首を竦めた。暁は頬を膨らませながらも黙っていた。
 ちょうどその時、再び執務室の扉が開いた。

「Hey提督!スコーンが焼き上がったヨー!」

 飛び込まんばかりの勢いで入ってきた金剛は室内を見回してきょとんとして首を傾げた。しかしすぐに持ち前の明るい笑顔に戻り、手にしていたバスケットを軽く持ち上げてみせた。大きめのバスケットにはスコーンがこれでもかというほど山盛りに入っている。

「皆サン帰っていたのデスネ。せっかくデスからみんなで食べショー」



 金剛と榛名の手によって執務室がティーパーティー会場に早変わりし、ケーキスタンドを何処からか持ち出してきて女の子らしくカップケーキやマカロンなんかも用意された。他の艦隊も呼んで随分賑やかなお茶会になっていたが、一人だけ何か思い詰めたような顔をしている少女がいた。

「どうしたの電?……もしかして何処か痛いの?」
「はわわっ。ち、違うのです。電は元気なのです」

 小さな頭をふるふると横に振る。それでも幼い顔には影が差しているような気がしてナマエが見詰めていると、やがて電は大きな瞳を伏せてぽつりと呟いた。

「……いつか平和な世界は来るのかな、って考えていたのです」
「平和な世界?」
「電は司令官さんの為に頑張りたいと思っているのです。でも、敵を沈ませるのは悲しいのです。だから早く平和になって、司令官さんも敵もみんな笑顔でいれるようになりたいのです」

 電が語る想いは子供が簡単に掲げる薄っぺらいそれとは違い、深い誠意に満ちていた。平和を願うことは誰にでも出来ることだが、電のように仲間や敵のことまでも想って願うのはかなり難しいことではないだろうか。人は自分の人生を生きることに精一杯で、仲間のことを考えるのはどうしても後回しになってしまいがちだ。だからこそ電のように他人を気遣える人間は、人並外れた優しさと本当の思いやりを兼ね備えていることがわかるのだ。
 「変でしょうか?」と心配そうに此方を見上げる。ナマエは微笑み、屈んで目線を合わせてから電の頭を撫でた。

「そんなことないわ。とっても素敵なことだと思う。きっとここにいる艦隊の皆だって共感してくれると思うわ。……でもね、電」

 わざと声を落とすと、電は不安げに瞳を揺らした。純粋な反応が可愛い。ナマエは片目を瞑って金剛達のいる方向を指差した。

「今はパーティーを楽しみましょう。せっかくの楽しい時間なのに、一人で暗い顔をしていちゃ勿体ないわ」

 タイミングを合わせたかのように雷が「電ー!こっちおいでよ!」と手を振る。電はちらりとナマエを見てからにこりと笑って、雷達の方へと駆けて行った。
 その様子を見守っていると、突然後ろから誰かに腕を組まれた。

「Hey提督ぅ、電ばっかり構ってずるいデース。私の力作、食べてくだサーイ!」
「あっ。お姉様もずるいですよ!榛名も提督とご一緒させてください!」

 相変わらず元気な金剛と榛名に挟まれ、ナマエは苦笑を漏らした。艦娘達といるといつも元気を貰える。
 戦いの為に作られた艦娘だが、その心はとても温かく優しい。中には好戦的な娘もいるが、彼女達だって心は同じだ。本当は誰も戦いを望んでいないことをナマエは知っていた。すべての人々の為に、そして心優しい艦娘達の為に、一刻も早く平和な世界を取り戻したいと願うナマエだった。


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